噛みつき評論 ブログ版

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GDPで計れないもの

2013-09-30 09:59:46 | マスメディア
 登山に便利な携帯用GPSというものがあります。カーナビを小型化し、道路地図の代わりに地形図を使ったようなもので、自分の位置、歩いた軌跡、予定ルートなどを表示できます。山の遭難原因の多くを占める道迷いに対して大変有効ですが、日本では米国のガーミン社製のものが主流であり、日本語版は地図を含めて10万円近く、英語版でも3~5万円する上、中高年の登山者には習熟が難しく広く一般に普及している状況とはいえません。

 そんな折、不要になった古いスマホを手に入れたので、地図ロイドと山旅ロガーというGPS用の無料アプリをインストールして試してみました。これも無料の国土地理院の電子国土基本図をダウンロードする手間がかかりますが、ガーミン製に比べて、軽く薄い上、画面は大きくて見やすい、機能が豊富で操作体系が洗練されている、など実用上、十分なものでした。

 無線LAN(Wi-Fi)で予め地図を読み込んでおけば携帯電話の契約は不要なので、SIMカードのないスマホ(白ロムと呼んでいる)でも使えます。この場合、維持費もゼロです。

 私は300円の機能強化版の山旅ロガーを使っていますが、無料版でも十分使用可能です。無料、あるいは300円という低廉な価格は提供者が価値に見合った金銭を要求する気があまりないことを示しています。無料のソフトウェアをパソコンではフリーウェアあるいはフリーソフト、スマホでは無料アプリと呼んでいるようですが、それぞれ数十万種類が公開されています。

 無料で提供しておいて、人気が出たら一部を有料化して稼ぐというモデルもありますが、成功者はごく一部で、大部分は金銭目的ではないと考えられます。基本ソフト(OS)であるリナックスも数千人の協力で作られ、無償提供されています。ウォール街で人気の「価値を提供せずにカネを得る」方法とはまさに正反対です。

 私も従来からテキストエディターやファイル管理、音楽編集など多くの優れたフリーウェアの世話になり、とても感謝しています。これらの価値の総計を金額で表せば膨大なものになるでしょうが、家族による介護などと同様、GDPの数値には含まれません。

 価値あるものを無償で提供するという彼らの行動は今までの経済学の想定を超えたものです。他にも、質問するとたちまち解答が寄せられるように、ネットでは労力の無償提供があたりまえになりました。一部の人を除き、ここでは金銭は主要な動機でないようです。

 翻って現実の世界に目を向けると、逆の方向の動きが目立ちます。拝金主義に彩られたバブル時代、それに続く新自由主義がもてはやされた時代、どちらもカネが価値の中心になった観があります。つまり逆方向の二つの流れが同時に起きたようにも見えます。

 例えば1997年以来、賃金が下がり続けている一方で、企業の内部留保が大きく増えたとされています。これには様々な理由が考えられますが、ひとつには分配を抑え収益を至上とする風潮、新自由主義によって正当化された価値観があったと思われます。このような風潮は無数のシャイロックを生み出しました。会社が社会的存在であることを否定し、株主のものであるという形式論まで登場して、この風潮を正当化するのに使われました。

 規制が緩めば大小のシャイロックたちは元気づき、富の集中に弾みがつきます。いわば19世紀の「裸の資本主義」への回帰です。当然ながら周囲はそのとばっちりを受け、格差が生じるのはあたりまえ、実にわかりやすい話です。それにしても、社会を巻き込む思想や風潮のもつ力はたいしたものです。

 少し話がそれましたが、金銭以外の動機で活動する人々と、その対極の金銭を得ることを最大の動機とする人々が共存しているのは興味ある現象です。二極分化といえるかも知れません。どちらがよいなどと言うつもりはありませんが、貧しくもないのにカネがすべてとばかりガツガツ稼ぐ姿はあまりエレガントに見えないことは確かです。

日韓対立におけるメディアの貢献

2013-09-23 10:09:09 | マスメディア
 対立してもロクことはないとわかっていても、韓国との関係には一向に改善の兆しが見られません。韓国を嫌悪する一群の人々は昔から存在していますが、最近は韓国に親近感を持っていた人々にまで嫌悪感が広がっているといわれています。私も韓国は北朝鮮に劣らず話のわからない国だという印象が強くなりました。

 しかし、ある国民が短期間に憎らしい性格に変わったり、礼を忘れてしまったりすることは考えにくいことです。とすれば急激に変わったのは報道であり、報道が作り出すイメージであると考えることができます。

 そのきっかけとなったのは昨年夏の李明博前大統領の竹島上陸ですが、その後の展開は売り言葉に買い言葉、憎しみの連鎖が続いているような観があります。憎まれ口は関係悪化の主因ですが、国と国との関係で憎まれ口を叩くのはマスメディアです。口は災いの元なり、です。

 日本のメディアは一見、抑制的に見えますが、韓国のネガティブなニュースを多く、大きく取り上げて興味をかきたてている可能性があります。韓国嫌いの読者には韓国のネガティブなニュースが受けるからです。それでなくても、日本ではダイオキシン騒動や食品偽装騒ぎのようにすべての報道が同一方向に流れることは経験済みです。

 つまり日本と韓国のマスメディアは両国の関係悪化に協力しているというわけです。嫌悪の拡大再生産ですね(まあ貢献度は韓国メディアの方が上だと思いますが)。メディアにとっては、勇ましい記事を書くことがそれぞれの読者を喜ばせ、営業的には「正しい方法(*1)」なのでしょうけど。

 まるで犬猿の仲の人間のように国全体が感情的に対立し、まともに話し合いさえもできないとはずいぶん子供っぽいように感じます。これと対照的なのが米国とロシアです。CIA元職員の引き渡しやシリア問題で対立していた両国がシリアの化学兵器問題では協力して解決する方向に向かいました。大人の関係ですね。

 自国民が相手の国を憎いと思っていれば、政府は相手国に対し強硬姿勢を貫くことで国民の支持が得られ、逆に妥協をすることは困難となります。メディアが作り出す相手国のイメージがその政府の外交政策に強く影響します。

 こんなとき、双方のメディアが多少意識的にでも相手国の良い面を報道するようにすれば結果はずいぶん違ったものとなるでしょう。「親しい関係」までは無理としても感情的な対立のない普通の関係になればよいわけです。

 また後の調査で否定され、本人も創作だと認めた吉田清治の著書や証言を愚かにも信じ、従軍慰安婦問題を執拗に取り上げた朝日新聞、「日本の右傾化」を懸念する報道をして、韓国をいたずらに刺激した左派メディアは、両国の対立に大きく「貢献」していることを自覚していただく必要がありましょう。表の顔とは裏腹に、彼らの本心は対立を願っているのでしょうか。

(*1)1931年から44年にかけて新聞各紙は勇ましい記事で戦争を煽り、大きく部数を伸ばしました。首位であった毎日は240万部から320万部へ、朝日は140万部から370万部へと大躍進を遂げました。とくに朝日は戦争に便乗した、軍需産業顔負けの「偉大な勝者」なのです(部数は中央公論新社「検証 戦争責任Ⅰ」171ページのグラフから読み取った概数値です)。

消費税論議

2013-09-16 09:50:08 | マスメディア
 消費税の増税を予定通り来年4月に実施すべきかどうかの議論が盛んです。大まかに色分けすると財政規律や長期金利の安定を重視するグループは実施を支持し、景気の腰折れを心配するグループは延期、あるいは税率を下げよ、と主張します。双方とも、もっともらしい理屈を並べての説明がなされます。

 争点は増税が上昇局面を迎えた景気に対してどの程度の悪影響を与えるのか、という点に絞られます。しかし今の経済学では増税の影響を正しく予測することは無理なようです。有効な予測ができないからこそ、様々な意見が堂々と発表されるというわけです。

 それに加え、景気は外部要因に大きく左右されます。輸出先の国の景気が拡大したり、逆にリーマンショックのようにどこかの国で金融危機が生じたりすると大きな影響を受けますが、どれもまず予測できません。

 これらのことを考えると現時点で増税の是非を断言することなどかなり乱暴なことと思います。せいぜい「6:4で増税がよいと思う」程度のことしか言えないのが本当でしょう。ところがどちらの派も確信をもって主張しているように見えます。危うい根拠で自信を持つ人が多いことに感心します。

 しかしこれらの意見が我々の目に触れるのはメディアを通じてですが、「どちらかといえば増税の方が少しマシです」といった曖昧な意見はメディアが取り上げないためかもしれません。インパクトがあり、激しく敵対するような刺激的・独断的な意見がメディアに好まれるからです。近藤誠氏のガンに関する過激な本はべストセラーになりますが、まともな本はあまり売れません。一般に、不確かなものを断定する意見の方がメディアや世の中に受け入れられやすい傾向があります(この方が信用できないことが多い)。

 また数年後、どちらが正しかったかが判明するかと言えば必ずしもそうともいえません。その途中に起きる、景気に影響を与える様々な要因が混じり合って、個々の要因を正確に評価することが困難なことが多いからです。人文科学の「特徴」ですが、その気楽さが安易な発言を大量に生み出すのでしょう。二流の学者・評論家もなかなか淘汰されない仕組みです。すぐ後で当否が明確になる競馬の予想屋の方が厳しい世界ですね。

 それはともかく、来年4月に増税すれば景気が失速するから景気がさらによくなるまで延期せよ、というのが有力な反対意見ですが、それいはこの先、景気がよくなるという条件が必要です。しかし延期しても景気がよくなる保証はどこにもありません。よくもならず、あるいは悪化して長期間、増税が不可能になる可能性も少なくありません。

 せっかく実現できそうになった増税の機会が失われてしまうことは延期派の最大の弱点です。これは財政再建をさらに困難にする重大なリスクですが、なぜか指摘されることはほとんどありません。消費税の増税は失政ばかり多かった民主党政権の数少ない功績です。これをやらなければ民主党政権の3年半は全くの無に帰します(そんなことはどうでもいいことですが)。

 所詮、消費税増税は「やってみなけりゃわからん」類の話です。どうせわからんのであれば、せっかくのチャンスを逃す手はないということも言えましょう。今やらずしていつやるのか、です。どちらがよいのか私にはむろん判断できませんが、延期しても景気がよくならず、はては増税の機会を失うということになれば最悪の事態です。増税のチャンスはいつまでも待ってくれません。

 ところで世論調査では増税に反対する意見が賛成意見を上回っています(NHKの調査によると予定通りの増税支持は27%)。いつもメディアは多数派を民意、民意と騒ぐのですが、今回はなぜか静かです。きっとメディアも増税止む無し、なのでしょう。自分の主張に都合の良いときだけ民意を利用するというわけです。これはご都合主義と呼ばれます。

朝日教に朝日信者

2013-09-09 10:13:24 | マスメディア
「25歳のとき左翼にならない人には心がない。35歳になってもまだ左翼のままの人には頭がない」

「20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない」

 基準の年齢が少し異なりますが、恐らく原典は同じでしょう。チャーチルの言葉として紹介されることが多いのですが、否定する説もあります。それはともかく、この言葉が今もよく引用されるのは多分にうなづけるところがあるからでしょう。

 9月8日の朝日の「日曜に想う」という欄に「名作に常識は似合わない」という記事が載っています。小中学校の図書館で「はだしのゲン」を閲覧制限することに反対した朝日の社説(8/30)を補強する内容です。筆者は大野博人論説主幹ですが、社説で「発達段階にあるからこそ、子どもたちが本を自由に読む機会も、最大限に保障されなければならない」という理解不能の文を書いた人物と同一人かもしれません。

 そこでは青年が金貸しの老婆と妹をおので打ち殺すドストエフスキーの「罪と罰」などを挙げ「名作は常識や良識の枠にはおさまらない」と結論します(ずいぶん簡単に結論を出しますね)。従って「はだしのゲン」は名作であるから良識の枠におさまらなくてもよい、図書館は良識の枠におさまらい作品があってこそ意味があるのだと主張します。

 一般向けの図書館ならばその通りですが、今回の騒動は小中学校の図書館に置くかどうかの問題ですから、論点が全く異なります。朝日は昔から論点のすり替えが得意技だといわれてきましたが、これでは簡単にバレてしまいます。すり替えの腕がいささか落ちたようです。

 なぜ朝日はこんな非常識な見解を堂々と主張するのでしょうか。理由のひとつは前回触れたように幼少期の洗脳システムを維持することであると思われますが、もうひとつは左翼と宗教にしばしば見られる教条主義の思考方法にあるのではないかと思います。古くは連合赤軍、現代ならイスラム過激派やタリバンでおなじみの原理主義といってもよいでしょう。

 「はだしのゲン」騒動では「知る権利の侵害」という言葉がしばしば登場しました。「知る権利」が閲覧制限に反対する根拠とされたわけです。「知る権利」はむろん必要なものですが、これは成人を対象としたものであり、赤ちゃんや子供を対象にしたものではないでしょう。

 しかし閲覧制限に反対する連中は子供をも対象にしています。人権などを絶対的かつ形式的に捉えて細かい差異を無視するのが教条主義の特徴です。複雑な世界を単純に捉える方法なので「頭がない」人に適した方法なのかも知れませんが。

 かつて左派メディアはソ連や中国を賛美し、北朝鮮を地上の楽園であると宣伝しました。一方的に不可侵条約を破り、降伏後の日本に侵攻して殺戮や強姦を繰り返した挙句、数十万人の日本人を長期間抑留し苛酷な労働を強制したソ連までを礼賛したのは実に不可解ですが、その裏には共産主義を絶対的な善と見る妄想があったと思われます。非武装中立論も同じ妄想によって現実から目を背けている例だと考えれば理解できます。きっと古臭いクセから逃れられないのでしょう。

 社説も「日曜に想う」も朝日を代表する、35歳を優に超えた幹部の方々によるものでしょう。いい歳をして左翼のままでいるのは、チャーチル流に言えば「頭がない」か「知能が足りない」ということになります。そうかもしれませんが、宗教の一種だと見ることもできます。朝日教、朝日信者という言葉は単なる揶揄でなく、深い洞察の結果と言えるでしょう。

 とすれば朝日新聞は約770万部を誇る教団の機関紙、亜流宗派の毎日は約340万部の機関紙です。とにかく話があまり通じない巨大な異質集団が存在することは大きな不安定要因であります。

子供を洗脳する罪・・・はだしのゲン騒動から見えるもの

2013-09-02 10:00:04 | マスメディア
 キリスト教徒の親をもつ子はキリスト教徒に、イスラム教徒の親をもつ子はイスラム教徒になる可能性が圧倒的に高いといわれます。これは幼少期の環境が支配的な影響を与えることを示す好例です。そうして成人した者は他の宗派の者、無心論者との間に越え難い溝を生じ、相互理解を困難にします。

 オウム真理教は過激な思想を持ちながら多くの信者を集めましたが、その多くは年少者でした。年少者は知識・経験が少なく、判断能力が乏しいために、易々と信じ込まされる傾向があります。重罪を犯した人たちもオウムに接触していなければまっとうな生涯を送れたことでしょう。年少者にとって「外部の力」がいかに恐ろしいかを物語っています。

 オウムはそれをよく知っていたわけです。オウムと同様、賢い朝日新聞もそのことはよくご存知のようで、小中学生ならばもっと効果的だとお考えになったのでしょう。この時期に強烈なインパクトを与えればその効果は永続的だと。

 松江市教育委員会が学校図書室での「はだしのゲン」の閲覧を制限をしたことに対して、「発達段階にあるからこそ、子どもたちが本を自由に読む機会も、最大限に保障されなければならない(朝日)」「知る権利の侵害」などと批判が巻き起こりました。社説でこれを取り上げたのは朝日(2回)、毎日、東京と、おなじみの顔ぶれです。

 8月27日の朝日の夕刊には「はだしのゲン」から次のような中国戦線における残虐場面が画とともに引用されています。
「首を面白半分に切り落としたり」「刀剣術の的にしたり」「妊婦の腹を切りさいて赤ん坊をひっぱりだしたり」「女性の性器のなかに一升瓶がどれだけ入るかたたきこんで骨盤を砕いて殺したり」

 これを小学生に読ませてもよいという感覚はとても理解できません。なんとも残虐な行為ですが、事実だとしても、恐らくこれは極端な例を集めたものでしょう。しかし子供は日本軍は悪鬼の集団だと思う可能性があります。大人には軍のひとつの側面と理解できますが、子供ではそうはいかず、誤った認識を与えることになります。

 過激な性描写のある本を小中学生に与えれば、幼い頭はそれに占領されてしまいます。過激な暴力本も同じです。野放しにすれば異常性欲人間や暴力人間が出来上がる可能性があり、制限には合理性があります。発達段階にあるからこそある程度の制限は必要です。また「知る権利の侵害」というのであれば右翼漫画も図書室に置かなければなりません。置かれなかった漫画は閲覧制限を受けていることになりますから。

 ウィキペディアによると「はだしのゲン」は少年ジャンプに連載されたあと、左派系オピニオン雑誌『市民』に連載、次に日本共産党系の論壇誌である『文化評論』に連載、その後、日教組の機関紙『教育評論』に連載。学校への漫画持ち込みを厳禁とする教師が多い中、「はだしのゲン」だけは校内で堂々と読める唯一の漫画となったとあります。

 掲載誌の履歴を見ればこの漫画がどういう性格のものか、想像がつきます。とりわけ後半は掲載誌の意向に作者が迎合した可能性もあります。今回「はだしのゲン」が大きな騒ぎになったのは、日教組お気に入りの反戦漫画ということで小中学校の図書館で特別扱いされていたという特権が危うくなったからだと考えれば納得がいきます。

 無垢な、判断力のない子供の頭を宗教や思想、特定の考え方に染め上げるのは洗脳に近い行為です。アンフェア、卑怯な行為です。幼少期に教え込まれたものは変わりにくく、特定の価値観・歴史観を持つ硬直的な集団を生みます。それは社会に「話の噛みあわない一群」を作り上げることにもなります。戦争の原因ともなる宗教対立は双方が理解できない、話が噛みあわないことが主因であり、解消は極めて困難であることを想起していただきたいと思います。

 戦争を防ぐには、戦争の残酷さを感情に訴えるだけではなく、政治体制の問題や国際環境、満州事変以後の新聞の積極的な協力など、戦争に至ったさまざまな要素をも学ばせる必要があります。また上記の残虐行為には、新聞が戦争を煽ったという時代背景があったことも教える必要があります。これらには先生方の勉強が必要ですが・・・。

 その後、批判を浴びてその措置が撤回されたことを、朝日は8月27日の朝刊一面トップ、社会面の約2/3、同日夕刊の社会面のほぼすべてを使って掲載しました。輝かしい勝利宣言です。そこに載せられたコメントはやはり閲覧制限に反対するものばかりです。

 この熱意、この力の入れようは尋常ではありません。将来の朝日読者(信者)を確保すめためという「下心」もあるでしょうが、判断力のない子供に対する思想教育を邪魔するものには容赦しないという朝日新聞の強いメッセージが込められているようです。メッセージというより脅し、思想弾圧のようです。まあ朝日を日教組の機関紙だと考えれば実によく分かる話なのですが。