噛みつき評論 ブログ版

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核シェルターなしという無防備はなぜ起きたか

2017-09-24 22:54:54 | マスメディア
 9月15日早朝、北朝鮮のミサイルが日本上空を通過した。しかしこれ以降、ざっと見た限り朝日の朝刊1面に北朝鮮問題が載ったことはない。北朝鮮の挑発的な言動や行動に対して朝日の報道は非常に抑制的である。NHKや民放の報道と比較してもその差は歴然としている。

 妙に抑制的なのは戦争の脅威が身近になると朝日など左派のメディアが主張してきた護憲、すなわち9条さえあれば平和が保たれるという考えの論拠が危うくなるためだろうと思われる。中国の軍事的脅威に対しても報道は抑制的であった。急膨張する中国の軍事力の脅威を知らせる記事は控えめで、その実像を理解している人は少数であろう。

 さて最近、日本でも核シェルターが注目を浴びるようになったそうである。2002年の資料だが日本核シェルター協会によると、どのくらいの国民をシェルターに収容できるかを示した割合は、スイスとイスラエルが100%、ノルウェーは98%、米国は82%、ロシアは78%、英国は67%、シンガポール54%、韓国ソウル市300%と続く。しかし日本は0・02%、ほぼ皆無と言ってよい。世界の常識から大きく外れている。

 何故こんな異常なことが起きたのだろうか。ひとつは日本の国民が核戦争などまず起こらないと考えていたためであろう。もうひとつは核戦争が起きれば壊滅状態となってシェルターなど役に立たないと考えていたためと思う。これらは何れもマスメディアによって広がった考え方であろう。

 とりわけ左派メディアは他国からの戦争の可能性を徹底的に否定した。そうでなければ9条による平和という主張の根拠がなくなるからである。反面、左派メディアは日本が軍国主義になって他国を侵略するという時代錯誤の妄想を煽ったわけである。滑稽で、かつ恥ずかしいことであるが、この的外れの論調は左派メディアだけでなく進歩的文化人と言われる人々にまで長く大きな影響力を持った。

 日本に核シェルターがほぼ皆無なのはそのおかげであると思う。しかし核戦争の可能性は現実味を帯びてきた。また核攻撃を受ければ壊滅するという理解も疑問である。広島や長崎は木造家屋が中心で爆風に弱く、放射線の遮蔽効果も小さい。広島は午前8時15分という多くの人々が移動する時間であったことも人的被害を大きくしたのではなかろうか。この点、米国は悪質である。

 今の都市はより強固な建物が中心であり、警報が出されれば爆心地以外は以前より被害は軽減される可能性がある。当然ながら、多くの地域において核シェルターは有効であろう。白か黒、オール・オワ・ナッシングではなく現実的な対応が重要であると思う。

 戦争は起きないと断言することは誰にもできない。つまり可能性はある。しかし日本だけは全くの無防備状態なのである。もし戦争になれば日本の人的被害は突出して大きいものになるかもしれない。護憲や9条を熱心に煽ってきたメディアのおかげである。日本は9条があるから攻撃してはいけないと北朝鮮に頼んでみてはどうか。「平和を愛する北朝鮮の公正と信義に信頼して…」

読み違い戦争

2017-09-18 09:06:44 | マスメディア
 悪玉と善玉が対決する漫画はよく見られる。多くの悪玉は自信たっぷりでいつも明るく高笑いする人物として描かれる。一方、善玉はクソ真面目な人物として描かれるれることが多く、人物としての面白さは悪玉の方が多い。

 北朝鮮の金正恩もいつも自信たっぷりであり、明るい笑顔がしばしば報道される。数百人を粛清したといわれる残虐さ、アメリカを焦土にする、日本の4島を核で海に沈める、といった過激な言動は漫画の悪玉そっくりである。漫画では最後に滅びるのだが、こちらはそう簡単なことではない。

 余談はともかく、最近フィナンシャルタイムズに載った記事(2017年9月5日付、日経に転載)は面白かった。冒頭の部分を紹介する。

「20世紀に起きた大きな戦争は、何らかの破滅的な誤算が誘因となって発生することが多かった。1914年、中立国ベルギーに侵攻したドイツは、英国が同国を守るために参戦してくるとは予想していなかった。ソビエト連邦のスターリンも41年、ヒトラーが侵攻してくるとは思ってもいなかった。日本と米国も、互いの意図と対応を何度も読み違えた末、日本による真珠湾攻撃で開戦するに至った。50年に始まった朝鮮戦争では、米国は中国が参戦してくるとは考えていなかった。
(中略) 金正恩委員長と米国のトランプ大統領は、共に何をしでかすか予測がつかない。両者が互いの行動を読み違えた末に、破局的な結果に至るという危険性が今や現実味を帯びている」

 読み違いの危険を説いているわけだが、その通りだと思う。また次のように述べる。

「金氏が高度な核兵器の開発を進めているのは、現体制の維持が狙いだとの見方がもっぱらだ。金氏は、イラクのフセイン大統領やリビアのカダフィ大佐といった独裁者が自らの政権崩壊に至ったのは、核兵器を保有していなかったからだとみている。従って、核兵器を保有する以外に自分が生き残る道はないというのが彼の結論だろう。
(中略) 金氏がこう考えていることには、ある意味、安堵を覚える。そう考えているのであれば、核による先制攻撃をする可能性は低いからだ。しかし、金氏の行動を見ていると、核兵器を保有すれば先制攻撃はしないだろうという漠然とした安心感は裏切られる可能性がある、と考えざるを得ない側面もある。というのも、もし核による抑止力が唯一の目的だとすれば、なぜ米国や日本、さらには中国までをも挑発する必要があるのかという疑問が生じるからだ」

 後半が重要で、私も以前から北朝鮮の無用とも思われる挑発行為に疑問を持っていた。フセインやカダフィになりたくなければもっと静かに核開発をするのが合理的だと考えられるからである。過度の挑発は米の先制攻撃を招きかねない。派手な挑発にどんな意味があるのだろうか。FTの記事でも金氏の行動は合理性を欠く人物、つまり「核を持った狂人」とみなされ、先制攻撃を正当化する意見が通りやすくなる、と述べている。

 しばしば失敗例として語られるのがチェンバレンの融和政策である。1938年、チェコのスデーデン地方の割譲を要求したナチス・ドイツに対し、英チェンバレン首相はミュンヘン会議でその要求を認めた。一時的な平和が訪れたが、それは巨大な災厄となった第二次大戦を招いたとされている。チェンバレンはヒットラーの意図を見事に読み違えたわけである。金氏が何を考えているか、誰もわからない。金氏がミニヒットラーである可能性も排除できない。FTの記事はこう結んでいる。

「金氏が、現体制が崩壊し、自らの命をも危ういとの見通しに直面したら、核による先制攻撃をする危険性は間違いなく高まる。
 こうした危険性に対処するのは、権力の座にあるのが経験を豊富に積んだ理性的な指導者であっても難しいだろう。ところが今、判断を下すべきキーパーソンは、しかるべき経験もなく切れやすい71歳のビジネスマンと、粛清におびえ、こびへつらう取り巻きしかいない33歳の独裁者だ」

 この記事の筆者はGideon Rachman氏、優れた識見であると思う。

嫉妬によるバッシング

2017-09-11 09:16:40 | マスメディア
 政治家の不倫が明るみに出ると国を挙げての大騒ぎになる。不倫ゆえに離党した山尾議員は失礼ながら民進党では珍しく有能な人物に見えた。惜しいことである。私は民進党を支持するわけではないが、同党がこんな体たらくでは日本の政治全体にマイナスである。不倫ごときが政治生命を失うほどの重大事なのか、疑問である。

 メディアの大騒ぎの裏には記者らの嫉妬があるように思えてならない。聖書に有名な一節がある。姦淫したとして捕らえられた女を前にして、イエスは「なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て」と言ったという(ヨハネの福音書8:3~7)。誰も女に石を投げず、去っていったという。自身の罪を認めたわけで、当時の人間は正直であったらしい。イエスの言葉に耳を傾けず、皆で石を投げるのが現代のメディアである。

 山尾議員に集団で石を投げた記者たちはどうであろうか。不倫の機会があったとき「それはできません」と断るような人物ばかりなのだろうか。大半の男は機会があればやりたいと思っている。男ならばわかる。ただやりたくてもできない悔しさ、嫉妬が山尾議員への攻撃に油を注いでだのではないか。自分でやっていたり、あるいはやりたくてもできない記者達が議員を非難するのは偽善である。また女性のエリートというだけで同等以下の男は嫉妬心を持つことが多い。

 確かに不倫はバレると家庭などの個人的な部分に悪影響をもたらす。しかしそれを承知の上でやってしまうのは抗し難いほどの魅力があるからである。しかし悪影響が及ぶのは公の分野ではない。よほど溺れない限り、政治という仕事にはあまり関係がない。また不倫が全くない世の中など全くつまらないという意見もあるだろう。

 あるアンケート調査によれば不倫の経験者は男性:37.0%、女性:24.4%となっている。正直に答えていないものもいるので実数はもう少し多いかもしれない。芸能ほどではないにしろ、メディア業界では恐らくもっと高い数値となると思われる。その記者たちが不倫を激しく批判するのは不誠実であり、偽善であるだけでなく、大変見苦しい。とにかく、個人的な感情で大袈裟に騒ぎ、政治が歪められては国全体の損失になる。政治家として有能で良い仕事ができれば不倫などどうでもよい。そのほうが社会には有益である。

集団の暴走

2017-09-04 09:18:07 | マスメディア
 これだけ多くの人間がいるのだから、アホなことや不合理なことをやって没落、あるいは刑務所に入ったりする者が出るのは仕方がない。しかし集団的、組織的に不合理なことをして周囲に大きな災厄をもたらす例も少なくない。テロは無辜の人々を殺傷するだけでなく、不安や多くの警備費や移動の不自由さをも強いる。

 テロを実施したオウム真理教やイスラム過激派はむろんのこと、ナチズムのドイツ、10倍以上の生産力のある米国に戦いを挑んだ日本の行為も現在からみれば不合理な行為であると映る。集団的な行為の場合、集団内には一定方向に引っ張るようなメカニズムが働くのであろう。なぜそのようなことが起きるのか、実に興味ある問題である。1969年、カリフォルニア州パロアルトの平凡な高校で起きた事件はこの疑問にヒントを与えてくれる。ちょっと長くなるが以下、西田 公昭著「マインド・コントロールとは何か」から引用する(孫引き)。

 1969年、ある高校教師が、歴史の授業でナチス支配下のドイツにおける全体主義を教えようとしていた。彼は講義で映画を見せて全体主義を説明したが、学生たちは、ドイツの民衆がなぜヒトラーについていったのか、なぜだれもナチの行動を批判できなかったのかが、まったく理解できないという様子であった。そこで、その高校教師はある試みをおこなった。

 教師は、生徒に「規律と力を作り出せることを証明しよう」と提案し、姿勢、持ち物から、先生に対する呼び方、質問の仕方や答え方などについて細かく規律をつくり、軽いゲームのつもりで守ってみるように指導した。はじめ教師は嫌がられるのではないかと懸念したが、ふだん自由な雰囲気で教育されてきた生徒たちは、嫌がるどころか競争心をもって規則に従おうとした。不気味なことに、生徒たちは規則を覚えるたびに、つぎの規則を欲してゆき、授業終了のベルがなり終わっても、彼らはその規則を続けようとした。もはやゲームではなかった。

 やめようとはいわずに、逆に彼は「規律の他に、共通の目的のためにはたらく共同体に参加しなくてはならない、この運動を『ザ・ウェーブ』とする」と主張した。さらに「この運動の信念に従って行動することが力を得る」と主張した。生徒たちは、運動の旗印を作り、運動員章をつくり、この運動はクラス外の人びとにまでものすごい勢いで広がっていった。

 この教師の教科学習の試みは、とどまることを知らず、数日間で全校の生徒たちに浸透していった。ナチスの運動とそっくりであった。彼らは、自分たちの自由と交換に、メンバー間の平等と「ザ・ウェーブ」グループに入っていない人に対する優越を得て、差別をし、攻撃をした。また彼らは、この運動はちょっとしたゲームであり、いつでもやめられるつもりでいた。しかし、やめようという者はほとんどいなくなり、そうした者は密告され、制裁を受けることになっていった。

 結局、この歴史教師は、メンバー全員を講堂に集め、テレビ画面を用意し、もう一度、ヒトラーの映画を見せ、自分たちのやっていることがナチスと同じであったことを示し、だれでもが第二のナチになって歴史が繰り返される危険性のあることを説明した。

生徒たちは愕然として目が覚め、軍隊調の姿勢をくずし、軍旗をすてた。
(引用終わり)

 経験の浅い若者とはいえ、わずかな時間でこんなにも簡単に集団的な暴走が可能になることにまず驚く。ポルポトによる100万人以上の虐殺、同規模のルワンダの殺戮、数千万人規模と言われるスターリン粛清や毛沢東の紅衛兵運動、最近ではイスラミックステート(IS)などの説明にも有効であろうと思う。この本ではマインドコントロールとして紹介されているが、現実にはこのような強い支配状態だけでなく、もっと緩やかな支配状態は広く存在すると思われる。

 イスラム過激派の母体はイスラム教であり、テロや殺人を犯したかつての赤軍派の母体は共産主義である。宗教の一部、強い政治思想をもつマスメディアなどにもこのようなメカニズムが働く可能性がある。9条があれば平和が保たれるというように現状認識が合理性を欠いたり、非現実的な主張をする組織・団体は要注意であろう。憲法で保障される信教の自由はオウムなどの集団暴走の温床でもある。だから廃止すべきというつもりはないが、それを金科玉条にするような憲法崇拝の単純さもまた厄介である。

(この高校の話はドイツで2008年に「ウェーブ」として映画化されている)