「警察」を「けいさつ」と書けば優しい感じになります。また「ケイサツ」と書けば胡散臭い印象を与えます。芸術も「ゲイジュツ」と書けばなんやら怪しげな感じになります。低レベルではあるが少しよいという意味の「まし」も「マシ」と書いたほうがより強調されます。
日本には漢字という表意文字のほかに、カタカナとひらかなという二種類の表音文字があります。二種類もの表音文字は一見、無駄のように見えますが、より豊かな表現を可能にします。しかも表音文字は表意文字に比べ、はるかに少ない文字数で足りますから、覚えるのに大した苦労はありません。
外来語をカタカナ表記にすると、外来語ということがわかるだけでなく、対応する日本語とは違ったイメージを持たせることができます。「借金」と「ローン」は同じものですが、「ローン」と言えば暗いイメージを消すことができます。昨今話題の「カジノ」は華やかなイメージがありますが日本語では「賭博場」です。これはずいぶんいかがわしい場所という感じがします。
「カジノ」導入の是非についての議論が盛んですが、これを「賭博場」と言い換えればきっと反対派が増加することでしょう。「カジノ」と「賭博場」、同じものですが表現する言葉が変われば、賛否も変わるというのは不思議なことです。
言葉によって賛否が変わるということは、言葉がもつ意味よりもそのイメージによって賛否を決める人が存在することを示しています。本来、賛否の判断は賭博場の詳しい内容や経済的利益・税収はどの程度か、その社会的影響、例えば博打にはまって破綻する人がどれくらい出るか、などを冷静に評価して決めるべきものです。
我々は身近で切実な問題に対してはそれなりに熟慮して判断します。しかし政治上の課題、例えば集団的自衛権の是非といった問題は身近でない上、複雑であるため容易に判断ができません。外部からの武力攻撃など将来起こり得るさまざまな出来事の確率まで考慮する必要があるからです。こうした難しい問題ではイメージに頼って安易に判断する傾向が強いと考えられます。
複雑で判断が難しい問題に対して、賛否をコントロールしようと思えば、それを特定のイメージに結びつける方法が有効です。多くの人はイメージによって判断するからです。朝日新聞は集団的自衛権を戦争や徴兵と結びついたイメージに仕立て上げようとしましたが、これは有効な方法だと思います。
しかしイメージ戦略によって自社の思う方向に誘導することは、有権者が自ら考える機会を奪うものであり、民主主義を否定するものです。また有権者に判断材料を提供するという報道機関の役割を放棄するものでもあります。報道機関としては最悪ですが、今回の朝日事件はその手口の一部が世間にバレてしまい、とうとう謝罪に追い込まれたものと理解できます。
話がそれたので元に戻します。このように考えると、人の思考やその結果としての判断にはずいぶんいい加減なところがあると思わざるを得ません。メディアのイメージ戦略のために、熱狂的な人気を得て登場した民主党政権はその輝かしいイメージが消滅すると惨めな残骸をさらすのみとなりました(こちらが本当の姿に近いと思いますけれど)。これはイメージによる判断がいかに危いかを示しているように思います。
日本には漢字という表意文字のほかに、カタカナとひらかなという二種類の表音文字があります。二種類もの表音文字は一見、無駄のように見えますが、より豊かな表現を可能にします。しかも表音文字は表意文字に比べ、はるかに少ない文字数で足りますから、覚えるのに大した苦労はありません。
外来語をカタカナ表記にすると、外来語ということがわかるだけでなく、対応する日本語とは違ったイメージを持たせることができます。「借金」と「ローン」は同じものですが、「ローン」と言えば暗いイメージを消すことができます。昨今話題の「カジノ」は華やかなイメージがありますが日本語では「賭博場」です。これはずいぶんいかがわしい場所という感じがします。
「カジノ」導入の是非についての議論が盛んですが、これを「賭博場」と言い換えればきっと反対派が増加することでしょう。「カジノ」と「賭博場」、同じものですが表現する言葉が変われば、賛否も変わるというのは不思議なことです。
言葉によって賛否が変わるということは、言葉がもつ意味よりもそのイメージによって賛否を決める人が存在することを示しています。本来、賛否の判断は賭博場の詳しい内容や経済的利益・税収はどの程度か、その社会的影響、例えば博打にはまって破綻する人がどれくらい出るか、などを冷静に評価して決めるべきものです。
我々は身近で切実な問題に対してはそれなりに熟慮して判断します。しかし政治上の課題、例えば集団的自衛権の是非といった問題は身近でない上、複雑であるため容易に判断ができません。外部からの武力攻撃など将来起こり得るさまざまな出来事の確率まで考慮する必要があるからです。こうした難しい問題ではイメージに頼って安易に判断する傾向が強いと考えられます。
複雑で判断が難しい問題に対して、賛否をコントロールしようと思えば、それを特定のイメージに結びつける方法が有効です。多くの人はイメージによって判断するからです。朝日新聞は集団的自衛権を戦争や徴兵と結びついたイメージに仕立て上げようとしましたが、これは有効な方法だと思います。
しかしイメージ戦略によって自社の思う方向に誘導することは、有権者が自ら考える機会を奪うものであり、民主主義を否定するものです。また有権者に判断材料を提供するという報道機関の役割を放棄するものでもあります。報道機関としては最悪ですが、今回の朝日事件はその手口の一部が世間にバレてしまい、とうとう謝罪に追い込まれたものと理解できます。
話がそれたので元に戻します。このように考えると、人の思考やその結果としての判断にはずいぶんいい加減なところがあると思わざるを得ません。メディアのイメージ戦略のために、熱狂的な人気を得て登場した民主党政権はその輝かしいイメージが消滅すると惨めな残骸をさらすのみとなりました(こちらが本当の姿に近いと思いますけれど)。これはイメージによる判断がいかに危いかを示しているように思います。