最高裁は4月1日「裁判員制度に関する意識調査」の結果を発表しました。それによると,「20代~60代の約65パーセントの方が参加意向を示している」として、国民の過半数が参加に同意しているかのような印象を与えています(調査結果 P22)。
この「65%が参加意向」の元となった質問は「裁判員裁判への参加意向」で、その答は以下の5項目からの選択となっています。
1「参加したい」 (4.4%)
2「参加してもよい」(11.1%)
3「あまり参加したくないが義務なら参加せざるを得ない」(44.8%)
4「義務であっても参加したくない」(37.6%)
5「わからない」
5は可否を問わないので実質的には1~4からの選択です。1,2,3は参加肯定に分類され、参加否定は4だけです。しかも4の「義務であっても参加したくない」は国民としての義務までも拒否するという意味を含みますから選択する人はその分減少します。逆に言うと、この37.6%は強烈な拒否の意向を示しています。
3の「あまり参加したくないが義務なら参加せざるを得ない」は44.8%と最多ですが、これは参加したくなくても義務感さえ強ければ選択するよう仕組まれています。参加を拒否して、罰を受けたくない人も選択する可能性があります。したがって参加意向が明確なのは1と2の合計15.5%だけです。
また、2の「参加してもよい」に対応する「参加したくない」が不自然にも省かれていて、可否に対する回答項目の対称性が失われています。
「参加意向が多数」という結果を引き出すため、ずいぶん無理をしたアンケートであると思います。A新聞は世論調査の設問を工夫する技術に長けて、自社の主張に近い調査結果を得るのが得意である、と言われていますが、最高裁も負けず劣らずです。しかし作為が一目瞭然なのはちょっといただけません。A新聞のように豊かな経験がないからでしょう。
範を示す立場であり、もっとも公正さが要求される最高裁がこんな姑息な調査をやっていいのでしょうか。姑息なご都合主義は最高裁の信頼度を下げることにつながります。
ご都合主義というと、つい数年前、最高裁の代表は司法制度改革審議会で「市民に評決権を与えるべきではない、それは間違う危険があるからだ」「陪審は統計的に誤判の率が高い報告がある」と述べたそうです(「世界」6月号)。それがいつ賛成に鞍替えされたのか疑問ですが、それに対する説明はないそうです。
調査には苦しい作為の跡が歴然としているのに、マスコミがなぜ沈黙しているのか、大変不思議です。朝日の例ではこの20年ほどの間に殺人事件数は増加していないのに殺人事件報道は最大5倍にもなりました(参照)。殺人事件や偽装事件を重視し、大きい紙面を割く報道姿勢の下では、相対的に「面白くない」ニュースは軽視されるのでしょうが、これでは権力の監視という看板が色褪せて見えます。
以下は最新のNHKの調査結果です。
裁判員として参加したい : 18%
裁判員として参加したくない : 77%
裁判員制度は必要 : 42%
裁判員制度は必要ない : 50%
この結果と最高裁の結果の差は大きすぎます。裁判員制度が民意に沿うものか、あるいは民意に背くものなのかをはっきりさせるために、マスコミは参加の可否だけでなく、裁判員制度の是非をも含めた調査を改めて実施してはどうでしょうか。最高裁の信頼性も同時に明らかになることでしょう。
最高裁判所という司法界の頂点に立つ組織が国民を騙すような調査を実施する。そんな国が一流の先進国と見られるでしょうか。
この「65%が参加意向」の元となった質問は「裁判員裁判への参加意向」で、その答は以下の5項目からの選択となっています。
1「参加したい」 (4.4%)
2「参加してもよい」(11.1%)
3「あまり参加したくないが義務なら参加せざるを得ない」(44.8%)
4「義務であっても参加したくない」(37.6%)
5「わからない」
5は可否を問わないので実質的には1~4からの選択です。1,2,3は参加肯定に分類され、参加否定は4だけです。しかも4の「義務であっても参加したくない」は国民としての義務までも拒否するという意味を含みますから選択する人はその分減少します。逆に言うと、この37.6%は強烈な拒否の意向を示しています。
3の「あまり参加したくないが義務なら参加せざるを得ない」は44.8%と最多ですが、これは参加したくなくても義務感さえ強ければ選択するよう仕組まれています。参加を拒否して、罰を受けたくない人も選択する可能性があります。したがって参加意向が明確なのは1と2の合計15.5%だけです。
また、2の「参加してもよい」に対応する「参加したくない」が不自然にも省かれていて、可否に対する回答項目の対称性が失われています。
「参加意向が多数」という結果を引き出すため、ずいぶん無理をしたアンケートであると思います。A新聞は世論調査の設問を工夫する技術に長けて、自社の主張に近い調査結果を得るのが得意である、と言われていますが、最高裁も負けず劣らずです。しかし作為が一目瞭然なのはちょっといただけません。A新聞のように豊かな経験がないからでしょう。
範を示す立場であり、もっとも公正さが要求される最高裁がこんな姑息な調査をやっていいのでしょうか。姑息なご都合主義は最高裁の信頼度を下げることにつながります。
ご都合主義というと、つい数年前、最高裁の代表は司法制度改革審議会で「市民に評決権を与えるべきではない、それは間違う危険があるからだ」「陪審は統計的に誤判の率が高い報告がある」と述べたそうです(「世界」6月号)。それがいつ賛成に鞍替えされたのか疑問ですが、それに対する説明はないそうです。
調査には苦しい作為の跡が歴然としているのに、マスコミがなぜ沈黙しているのか、大変不思議です。朝日の例ではこの20年ほどの間に殺人事件数は増加していないのに殺人事件報道は最大5倍にもなりました(参照)。殺人事件や偽装事件を重視し、大きい紙面を割く報道姿勢の下では、相対的に「面白くない」ニュースは軽視されるのでしょうが、これでは権力の監視という看板が色褪せて見えます。
以下は最新のNHKの調査結果です。
裁判員として参加したい : 18%
裁判員として参加したくない : 77%
裁判員制度は必要 : 42%
裁判員制度は必要ない : 50%
この結果と最高裁の結果の差は大きすぎます。裁判員制度が民意に沿うものか、あるいは民意に背くものなのかをはっきりさせるために、マスコミは参加の可否だけでなく、裁判員制度の是非をも含めた調査を改めて実施してはどうでしょうか。最高裁の信頼性も同時に明らかになることでしょう。
最高裁判所という司法界の頂点に立つ組織が国民を騙すような調査を実施する。そんな国が一流の先進国と見られるでしょうか。