この3月、北海道湧別町の地吹雪の中で、父親が娘を抱いたまま亡くなるという痛ましい事故が起きました。そのとき救助に向かった消防がすぐ近くまで行きながら、父親の携帯電話の位置情報を携帯電話会社から得ようとしたが得られず、父娘の捜索を中断していたことが、なぜか事故から2ヶ月以上経ってから報じられました。携帯電話会社が直ちに位置情報を提供しなかったのは個人情報保護のためであったそうです。
福島第一原発の事故ではバッテリーが間に合わなかったために炉心溶融が起きた可能性が指摘されています。バッテリーが緊急に手配されたものの積んだトラックは高速道路の通行許可がなかなか得られず、到着したのは2日以上経った14日の午後8~9時で、すでに炉心溶融、3号機の爆発が起きた後でした。
どちらも関わった人間が真面目に規則やマニュアルに従った結果です。誰にも咎められることはありません。判断を迫られた担当者が事態の緊急性をどこまで理解していたかが不明なので担当者の機転のなさを責めるわけにもいきません。
日本の鉄道は運行時間の正確さで世界に例がないほどであるとされています。南米のある国では遅れることが日常茶飯事で、あるとき珍しく定刻に到着したと思ったら前日の列車であったというエピソードがあるほどです。一般にラテン系の民族は日本人と対照的に語られます。また日本の消費者の目の厳しさも世界一といわれます。恐らく2番目はドイツでしょう。
第2次対戦で日本はひどい負け方をしました。なぜ戦争を始めたかという視点も大切ですが、なぜあれほどの犠牲を払うまで戦争終結を図らなかったのかという視点も重要です。かつて外交問題の解決手段としての戦争はそれほど特別なものではなく、多くの国が採用していました。しかし日本が敗色鮮明となっても降伏しなかった事実はかなり特異なものと思われます。文句を言わず、組織の論理に従うという生真面目さが災いしたとも考えられます。
たいていの物事には二面性があります。真面目さは美点として肯定的に語られますが、裏面には視野狭窄、思考の硬直性、すぐ必死になる傾向などが存在します。また真面目すぎては本人はもとより周囲も面白くありません。
どれも規則を重んじた真面目な(硬直的な)対応ぶりが招いた災厄です。ではどうすればよいのでしょうか。5月22日の朝日新聞には「携帯会社もマニュアル化を」と見出しで次のように述べています。
「消防などが情報提供を求める際に的確に状況を伝える必要がある。携帯会社側も具体的ケースを想定し、担当者がすぐ判断できるようにマニュアル化した方が良い」
これは問題が起きるたびにマニュアルを増補・改訂していく方法で、誰でも考えつくものです。しかしマニュアルでは予想外の事態には対応できません。マニュアルがどんどん複雑になっていくのも問題です。さらにはマニュアルに従うばかりで、自分で考えないロボットのような人間を増やすことにもなります。マニュアルですべてに対応できるなら、人間を置く必要はなく、ロボットで十分です(可能なら)。
マニュアルに頼るばかりではなく、人命や重大事故ににつながると判断される場合は必要に応じてマニュアルや規則を無視してもよいとする考え方があってよいのではないでしょうか。この一行があれば、杓子定規でない合理的な対応が可能になります。また自分で判断する人間を育てることにも役立つことでしょう。法の支配を崇める人々には嫌われそうですが、条件によっては不法行為を問われない緊急避難という概念が既に存在します。
法を無視するやり方、つまり超法規措置はダッカ・ハイジャック事件のとき、なんと政府自らが実施しました。人命を救うためとはいえ、犯人グループに加担したことになり、テロリズムを助長するという非難を世界から浴びました。超法規措置でも犯罪に加担すれば問題ですけれど、超法規措置は政府でもやっているということであります。あまり一般的になりすぎても困りますが。
福島第一原発の事故ではバッテリーが間に合わなかったために炉心溶融が起きた可能性が指摘されています。バッテリーが緊急に手配されたものの積んだトラックは高速道路の通行許可がなかなか得られず、到着したのは2日以上経った14日の午後8~9時で、すでに炉心溶融、3号機の爆発が起きた後でした。
どちらも関わった人間が真面目に規則やマニュアルに従った結果です。誰にも咎められることはありません。判断を迫られた担当者が事態の緊急性をどこまで理解していたかが不明なので担当者の機転のなさを責めるわけにもいきません。
日本の鉄道は運行時間の正確さで世界に例がないほどであるとされています。南米のある国では遅れることが日常茶飯事で、あるとき珍しく定刻に到着したと思ったら前日の列車であったというエピソードがあるほどです。一般にラテン系の民族は日本人と対照的に語られます。また日本の消費者の目の厳しさも世界一といわれます。恐らく2番目はドイツでしょう。
第2次対戦で日本はひどい負け方をしました。なぜ戦争を始めたかという視点も大切ですが、なぜあれほどの犠牲を払うまで戦争終結を図らなかったのかという視点も重要です。かつて外交問題の解決手段としての戦争はそれほど特別なものではなく、多くの国が採用していました。しかし日本が敗色鮮明となっても降伏しなかった事実はかなり特異なものと思われます。文句を言わず、組織の論理に従うという生真面目さが災いしたとも考えられます。
たいていの物事には二面性があります。真面目さは美点として肯定的に語られますが、裏面には視野狭窄、思考の硬直性、すぐ必死になる傾向などが存在します。また真面目すぎては本人はもとより周囲も面白くありません。
どれも規則を重んじた真面目な(硬直的な)対応ぶりが招いた災厄です。ではどうすればよいのでしょうか。5月22日の朝日新聞には「携帯会社もマニュアル化を」と見出しで次のように述べています。
「消防などが情報提供を求める際に的確に状況を伝える必要がある。携帯会社側も具体的ケースを想定し、担当者がすぐ判断できるようにマニュアル化した方が良い」
これは問題が起きるたびにマニュアルを増補・改訂していく方法で、誰でも考えつくものです。しかしマニュアルでは予想外の事態には対応できません。マニュアルがどんどん複雑になっていくのも問題です。さらにはマニュアルに従うばかりで、自分で考えないロボットのような人間を増やすことにもなります。マニュアルですべてに対応できるなら、人間を置く必要はなく、ロボットで十分です(可能なら)。
マニュアルに頼るばかりではなく、人命や重大事故ににつながると判断される場合は必要に応じてマニュアルや規則を無視してもよいとする考え方があってよいのではないでしょうか。この一行があれば、杓子定規でない合理的な対応が可能になります。また自分で判断する人間を育てることにも役立つことでしょう。法の支配を崇める人々には嫌われそうですが、条件によっては不法行為を問われない緊急避難という概念が既に存在します。
法を無視するやり方、つまり超法規措置はダッカ・ハイジャック事件のとき、なんと政府自らが実施しました。人命を救うためとはいえ、犯人グループに加担したことになり、テロリズムを助長するという非難を世界から浴びました。超法規措置でも犯罪に加担すれば問題ですけれど、超法規措置は政府でもやっているということであります。あまり一般的になりすぎても困りますが。