シェイクスピア劇には罪の意識に苛(さいな)まれる人物がしばしば登場します。ハムレットでは兄である王を毒殺し王位と妃を奪ったクローディアス、マクベスでは妻にそそのかされてダンカン王を殺害するマクベス。いずれも自分の野心のために人を殺したものの、罪の意識に苛まれ、やがて滅びる運命をたどります。
罪の意識は悪行に対する強いブレーキとなります。もしブレーキの壊れた人間がいたら・・・。
寝屋川市の中一生徒2名の殺害事件はまことに異様で、同情心や罪悪感を持つ人間の仕業とは思えません。山田容疑者が殺害したとすればですが、得られるものの大きさと罪の大きさの釣り合いが取れません。子供二人の命と引き換えに何を得たのでしょうか。
恐らく異常な性格の持ち主であって、一瞬の快楽のために残虐な行為に及んだものと想像できます。共感能力や罪悪感は全くないか、あっても非常に希薄であったのでしょう。それはサイコパスを思い起こさせます。
サイコパスは反社会性人格障害者、精神病質者とも呼ばれ、その定義も不明確ですがウィキペディアでは次のように説明されます。
「他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の期待を裏切り・・・」
良いところなしですが、共感能力の欠如と罪悪感がないことは他の定義と共通しています。平気で嘘をつくという特徴も多く挙げられています。また「先天的な原因があるとされ、殆どが男性である。脳の働きを計測すると、共感性を司る部分の働きが弱い場合が多いという」とも書かれています。別資料ですが脳の画像データに異常のあることがわかったとか、男女比は3:1などの記述もあります。
サイコパスの出現率は国や地域によって大差があるようで、米国では4%、アジアではその10分の1程度とも言われます。まあ正確な調査は期待できないので、目安程度と思っておいた方がよいでしょう。それでも相当な数が存在することになりますが、そのほとんどは社会人として適応しているわけです。
中一生徒2名の殺害事件は悪魔の仕業とも思えるものです。もしかしたら悪魔という想像上の存在が出来上がったのはこのような、理解できない邪悪な行為が元になったのかもしれません。
その犯行は到底許せるものではありませんが、容疑者自身もその異常な性癖と反社会性異常人格ゆえの運命に翻弄された人間、とも言えます。この種の犯罪は累犯の傾向があるとされますが、それは生来の性格に由来するところがあるためでしょう。犯罪は貧困など社会の病理から生まれるという考え方では説明がつきません。
また累犯の傾向が明らかであっても、犯罪者の「人権」が重視されるために有効な予防策が実施できないことも被害を広げる原因となっています。外国では所在地を特定できるGPS機器の所持を義務付けたり、注意を促すために地域住民に犯罪者のことを知らせたりする例があると聞きます。
それにしてもこの事件の報道は過剰でした。「安保法案はよくわからん」という意見が過半を占めますが、この事件報道の1割でも安保法案の解説に充てれば状況は変わるでしょう。国民に理解されていない安保法案を通すことは反対、と他人事のように主張するメディアがありますが、「理解されていない」のはメディアがその報道を十分しなかったためでもあります。
罪の意識は悪行に対する強いブレーキとなります。もしブレーキの壊れた人間がいたら・・・。
寝屋川市の中一生徒2名の殺害事件はまことに異様で、同情心や罪悪感を持つ人間の仕業とは思えません。山田容疑者が殺害したとすればですが、得られるものの大きさと罪の大きさの釣り合いが取れません。子供二人の命と引き換えに何を得たのでしょうか。
恐らく異常な性格の持ち主であって、一瞬の快楽のために残虐な行為に及んだものと想像できます。共感能力や罪悪感は全くないか、あっても非常に希薄であったのでしょう。それはサイコパスを思い起こさせます。
サイコパスは反社会性人格障害者、精神病質者とも呼ばれ、その定義も不明確ですがウィキペディアでは次のように説明されます。
「他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の期待を裏切り・・・」
良いところなしですが、共感能力の欠如と罪悪感がないことは他の定義と共通しています。平気で嘘をつくという特徴も多く挙げられています。また「先天的な原因があるとされ、殆どが男性である。脳の働きを計測すると、共感性を司る部分の働きが弱い場合が多いという」とも書かれています。別資料ですが脳の画像データに異常のあることがわかったとか、男女比は3:1などの記述もあります。
サイコパスの出現率は国や地域によって大差があるようで、米国では4%、アジアではその10分の1程度とも言われます。まあ正確な調査は期待できないので、目安程度と思っておいた方がよいでしょう。それでも相当な数が存在することになりますが、そのほとんどは社会人として適応しているわけです。
中一生徒2名の殺害事件は悪魔の仕業とも思えるものです。もしかしたら悪魔という想像上の存在が出来上がったのはこのような、理解できない邪悪な行為が元になったのかもしれません。
その犯行は到底許せるものではありませんが、容疑者自身もその異常な性癖と反社会性異常人格ゆえの運命に翻弄された人間、とも言えます。この種の犯罪は累犯の傾向があるとされますが、それは生来の性格に由来するところがあるためでしょう。犯罪は貧困など社会の病理から生まれるという考え方では説明がつきません。
また累犯の傾向が明らかであっても、犯罪者の「人権」が重視されるために有効な予防策が実施できないことも被害を広げる原因となっています。外国では所在地を特定できるGPS機器の所持を義務付けたり、注意を促すために地域住民に犯罪者のことを知らせたりする例があると聞きます。
それにしてもこの事件の報道は過剰でした。「安保法案はよくわからん」という意見が過半を占めますが、この事件報道の1割でも安保法案の解説に充てれば状況は変わるでしょう。国民に理解されていない安保法案を通すことは反対、と他人事のように主張するメディアがありますが、「理解されていない」のはメディアがその報道を十分しなかったためでもあります。