噛みつき評論 ブログ版

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マスコミの選挙責任

2016-07-25 09:04:36 | マスメディア
 ヤフー検索で「鳥越俊太郎」と入力すると追加する検索語の候補がずらっと表示されます(キーワード入力補助)。上から「女性問題」「認知症」「文春」…「ボケ」「スキャンダル」と、10項目のうち半数が「恥ずかしいもの」で占められています。よく使われる検索語が上位に表示されるようです。

 1位の「女性問題」は誰にでもありそうなことですが、2位の「認知症」は都知事候補者の"資質"としては驚くべきものです。むろん鳥越氏が認知症と決まったわけではありませんが、多くの人が認知症を疑っている可能性のあることを示しています。「火のない所に煙は立たぬ」です。鳥越氏の言動を見ていると、私もそれらしい兆候を感じます(元々かもしれませんが)。4年後は御年80、今でも危ういのに果たしてそれまでもつのかと、他人事ながら心配になります。

 鳥越氏を推薦した野党4党は身体検査だけでなく頭の検査もしたのでしょうか。もし任期途中で続行不可能となれば野党の責任は免れないでしょう。その鑑識眼も疑われます。鳥越氏は「体は大丈夫、今が一番健康」とは言われていますが、頭も大丈夫とは聞き及びません。

 問題は女性問題にも認知症にも大手マスコミはほとんど言及していないことです。週刊誌は女性問題を報じるなど、意気盛んですが、新聞やテレビはひどく腰が引けている感があります。日常的にネットに接している人との情報格差は実に大きいわけです。またネット情報は信頼性が低いという問題もあります。つまり新聞・テレビだけを見る人は情報が乏しく、ネットを見る人は不確かな情報が多いというのが現状です。

 候補者を判断するためにはテレビ討論会が有効ですが、それを鳥越氏は一度キャンセルされたそうです。知る限りですが、その後も僅かしか開かれていないようです。有権者が候補者を判断するのに必要な情報は極めて不十分だと思われます。マスコミの役割放棄です。これでは一か八かの選挙にならざるを得ません。

 ついでながら鳥越氏を推薦した野党の能力にも疑問が生じます。はたして東京都民の利益を考えた人選であったのでしょうか。安保法制や原発に反対する姿勢を選挙で訴える方が都民の利益になるでしょうか。野党は選挙に勝つことを優先した結果、知名度を重視し、行政能力などを軽視したのではないでしょうか。都知事選挙は図らずも野党4党の無能ぶりを明らかにしたようです。

一か八かの都知事選挙

2016-07-17 23:02:16 | マスメディア
 都知事選挙の勝敗はどれだけテレビで顔が売れているか、で決まるといっても過言ではないでしょう。過去の知事は問題が多い人が多く、知事にふさわしい有能な人を選ぶということがとても困難であるようです。一か八かの選択です。有能であってもテレビで顔が売れていない人は資格がないのと同じです。

 青島幸雄氏や舛添要一氏、さらに大阪ではあの横山ノック氏など、ふさわしからぬ人物を挙げるのは簡単です。ノック氏に至っては2回も当選した挙句、強制わいせつ事件を起こし辞めざるを得ませんでした。まさに前代未聞です。これらは選挙というシステムの妥当性を強く疑わせるものです。

 これほど問題の多い知事が選ばれてきたという事実は、問題がないだけで無能な知事も選出してきた可能性があります。知事は都民や府県民による選挙で選ばれますが、そのシステムそのものに問題があると考えるべきでしょう。民主的に選ばれればいいというものではないわけです。重要なのは選出方法より、いかにふさわしい人物を知事に選ぶかです。

 組織の長を決める方法は様々です。例えば、多くの国立大学の学長は学内組織関係者からの推薦により、学内選挙等を実施し、その結果を参考にして、学長選考会議が学長を選考するそうです。株式会社の代表取締役は取締役会で選任されます。双方とも多くの場合、選ぶ者が候補者をよく知っており、選ぶ者は少数です。

 これに対して民主的な知事選挙では一般に選挙民が候補者を知るのはマスコミが提供する情報だけです。その情報に基づいて判断した結果が今までの信頼できない選挙結果であります。個人は様々ですが、選挙民という集団として捉えればその特性は平均化され、安定した性格をもつ集団として見ることができます。

 つまり集団としての行動(y)は情報に対するひとつの関数f(x)として捉えることができます。ひとり1人は個性があり、独自の判断をする人であっても集団としてみれば安定した入出力装置であります。ここで鍵を握るのはマスコミの情報です。それも選挙開始よりずっと以前にマスコミが流した情報が候補者のイメージを決定し、それが支配的であろうと思われます。

 余談ですが、そのように考えると今回の都知事選挙では御年76歳の鳥越俊太郎氏がかなり有利であると考えられます。鳥越氏は自ら「ちょっとアホな人間です」と自己紹介されています。ちなみに「鳥越俊太郎」と「アホ」で検索すると195万件もヒットしました(すべてが鳥越氏をアホとしているわけではありませんが)。アホという評判の高い人物なのでしょうか。最近の会見でも意味不明な発言が話題になりました。そしてさらに高齢になられると、痴呆のため業務遂行不能なんてことが起きないとも限りません。そうなれば前代未聞の事態です。そうはならなくても知事としての勉強、学習ができるのでしょうか。

 鳥越氏は、2年ほど前のNHKスペシャル「ニッポンの平和を考える 集団的自衛権の行使容認は?」(抜粋)に出演されていました。なぜか自信たっぷりで説明する鳥越氏の発言には、見識の偏り、論理の弱さがよく表れています。討論相手の岡本行夫氏らとの対比が鮮やかです。ついでながらNHKの三宅司会者の司会にはがっかりしました。他に有能な人がいないのでしょうか。

 知事を選ぶシステムを変えるのが有効ですが、それは形式的な民主主義者が多いため簡単ではありません。現状においては、せめてテレビは候補者の討論会を何度も実施すべきでしょう。優れた司会者の下で都知事に限定したテーマを長時間討論させれば出るべきところからはホコリもボロも出るでしょう。泡沫候補が入れば人数が多くなりすぎるので、小規模な世論調査でもして、「落選確実」の方には出席を辞退してもらうとか、いろいろな手があると思います。とにかく選挙結果を左右するのはマスメディアであり、彼らにはまともな情報提供の責務があると自覚していただきたいものです。そして一か八かの不確実な選出方法にも疑問を感じていただきたいものです。

防衛に反対する国

2016-07-11 08:59:04 | マスメディア
 高高度防衛ミサイル(THAAD)の在韓米軍への配備決定を受けて、中国外務省は、中国は強烈な不満と断固とした反対を表明する」と非難しました。これは北朝鮮のミサイルに備えるためのものですが、同時に中国によるミサイル攻撃を防ぐこともできるためでしょう。

 中国は「中国を含む周辺国の安全保障と戦略的なバランスを著しく損なう」としています。しかしTHAADは専ら防衛用で、攻撃兵器ではないことを考えると少し奇妙です。本音は自国のミサイル攻撃を無力化されたくないのでしょう。

 敵対する二つの国があり、一方が軍事力を急拡大をすれば軍事的均衡が失われ、緊張や不安定を招きます。その脅威に対し、他方が防衛力を強めるのは当然のことであり、軍事拡大した国が非難するのは筋が違います。たしかにせっかく拡大した攻撃力が減殺されるわけなので、そりゃ嫌なことでしょうけど、堂々と反対する姿勢が気になります。

 つまり、この非難の裏には拡大した軍事力を直接使うか、あるいは脅迫に使う意思のあることが推定できるからです。例えば、隣家に武器を持つような怖い人が住んでいるので、しっかり戸締りをしたら、戸締りはするな、と隣家が言うようなものです。正直というべきでしょうか。

 一方、沖縄の有力な左派紙、琉球新報は6月11日、社説で「中国軍艦尖閣航行 話し合いでの解決提案を」と題し「日本側も今回の事態に乗じて今後、中国の脅威を喧伝することは厳に慎むべきである」と述べたそうです。

 また昨年の9月3日、北京では抗日戦勝式典と軍事パレードが行われましたが、同日の朝日新聞夕刊は一面トップで『中国「兵力30万人削減」』という見出しを高々と掲げました。核ミサイルなどを多数並べた軍事パレードは軍事力の誇示です。兵力30万人削減は合理化によるものとされ、これを強調した見出しは軍備縮小との誤解を招きます。中国の脅威を過少に伝えようとする意図が見えます。

 中国の脅威が明確になればなるほど、安保法の必要性が明確になります。したがって安保法に反対しているメディアは中国の脅威をなるべく伏せておきたいのでしょう。THAADに対する中国の強烈な反対の真意を報じれば安保法への支持を増やす可能性があります。そのためか、左派メディアの報道は消極的であるようです。

 安保法に反対する立場だから中国の脅威は控えめにしか報道しない、というセコイやり方はまさに主客転倒です。現状を正しく認識できなければ、国の方向を危うくしかねません。地味な問題のようですが、このような報道の積み重ねは将来に重大な影響を与える可能性があります。

裁判員制度の自己目的化

2016-07-03 23:53:20 | マスメディア
 裁判員候補の無断欠席が増加し、今年の1~3月では4割弱に達しているという報道を受け、朝日の読者欄に次のような趣旨の投稿が載りました(5/29)。

「裁判員裁判の結果が上級審で覆されることも国民が意義を感じにくい一因ではないか。裁判員裁判は国民の視点を裁判に採り入れることを目的に始まったはずだ。それなのに、これでは裁判員を務めた人のみならず、国民にとっても意義を感じられない。裁判員の負担は軽くないので、それでも務めたいと思えるような運用がなされるべきだ」

 この投稿者は裁判員裁判の判決をもっと優先しろ、とおっしゃりたいようです。しばしば上級審で覆るという現状では裁判員が意義を見出せなくなり、無断欠席が増加するのだと説明されます。

 この主張は一見、正しいものに見えます。それは裁判員制度自体が目的だとして考えた場合です。しかし裁判員制度はより正しく、より妥当な判決を出すための手段であり、決して目的ではありません。手段として理解すれば、上級審での変更は、より妥当な判決のために必要なものであることがわかります。

 このような考えを敷衍(ふえん)すると、自衛隊員に災害救助のスコップばかりを持たせては隊員の士気が低下するので、もっと銃を持たせて実戦をやらせるべきだ、ということになりかねません。自衛隊の目的は発砲ではなく国の安全を確保することです。裁判員制度のように、いつの間にか本来の目的よりも組織の存続が目的となる例は珍しくありません。組織は自己増殖することを示したパーキンソンの法則も自己目的化の結果と言えるでしょう。

 裁判員制度は国民の視点を裁判に採り入れることを目的として始められたのですが、それは「看板」「形だけ」であって、それによってより正しい判決が得られるという確信があったわけではないと思われます。もしそうなら上級審を優先する仕組みは必要はありません。最高裁を裁判員裁判にすればよいわけです。民主的な裁判員制度だからといって、正しい判決を保証することはありません。英国の国民投票の結果を見ればわかります。

 よく知られていることですが、朝日の読者欄は自社の政治的主張に沿うものを優先してきた伝統があります。従軍慰安婦の誤報の発覚以後、反対論も少しは載せるようになったようですが、基本姿勢は変わっていないようです。この投稿でも自社の意見の反映と見てよいと思います。

 組織自体を目的と考える傾向は組織の自己目的化などと言って昔からしばしば指摘されていることですが、本来の目的を忘れてしまうことが問題です。1人の投稿者が間違っても大した問題ではありませんが、朝日が採用して数百万の読者に届けてしまっては小さな問題ではなくなります。投稿者に対し、文章指導だけでなく内容指導まで行う朝日にはもう少しまともな識見を望みたいものです。