しばらく前、関東地方は放送エリアでないのだが読売テレビの「そこまで言って委員会」に豊田真由子氏が出演されていた。ごく普通のまともな方という印象で、3年前マスコミに袋叩きにされた暴言家(私の造語)という印象はどこにもない。3年前にマスコミによって作られたイメージとの差があまりにも大き過ぎる。そのイメージに強い悪意があり、報道に影響を受けた人々はマスコミと一緒になって彼女に石を投げた。罪なき者も、罪あるものも。
豊田真由子氏は政策秘書の男性への暴言・暴行が週刊誌に載った。元秘書は暴行されたと被害届を警察に提出したが不起訴となった。しかし元秘書の録音による音声も公開され、マスコミはこの刺激的なネタに飛びつき、しばらくの間テレビはこの話題一色になった。彼女は東大法学部卒、厚労省、国費留学でハーバード大学、そして衆議院議員というエリートコースを歩んだ方で、そのことが嫉妬を招き、バッシングを一層強くしたこともあると思う。マスコミにはここまでの経歴の人はそういない。マスコミからは羨望を受けたのであろう。そしてマスコミは有能な政治家を葬り去った、寄ってたかって。
その結果、彼女はどうなったか。婦人公論6月9日号に豊田氏のロングインタビューが載ったので、その概要を紹介したい。その記事の題は
〈独占告白〉「このハゲ~!」騒動から3年・豊田真由子「意識のあるときは、死ぬことばかり考えていた」…終わりのない後悔と絶望にさいなまれ…
詳細は当記事をお読みいただきたいが、次の言葉が日常の風景を表している。「最初の報道で私はショックを受け、精神科に入院。体重は12キロ減って、意識のあるときは、ずっと死ぬことばかり考えていました。」「もう顔を上げて歩けない」「今でもインターホンが鳴ると、連日メディアにマンションを取り囲まれた恐怖がフラッシュバックし、家族一同、一瞬ビクッと固まってしまう」「あの騒動以降、私は人目を避け、隠れるように暮らしてきました」
公衆衛生学の知見によりテレビ出演を依頼された今年に3月9日まで、彼女は社会的生命をほぼ絶たれた状況に置かれた。彼女に非がないとは言わない。しかし彼女の元秘書に対する暴言によってここまでの制裁を受けることは実に理不尽なことと思う。まるでマスコミによるリンチである。弱った動物に集団で襲いかかるハイエナのようで見苦しい。04年、鳥インフルエンザの届出の遅れをマスコミに執拗に責められ、浅田農産会長夫妻が自殺するという痛ましい事件があった。自殺者まで出しても、みんなでやったことと誰も責任を取らない。謝罪の言葉すらなかった。
知人は連日、敵意ある記者らに家を取り囲まれる恐怖を経験し、私はそれを近くで目撃しているので、少しはわかる。単なる記事・報道と、連日すべてのマスコミがトップニュースで取り上げるというのでは質的な違いがある。後者には扇動の意味が加わるのだ。イエスは姦通して捕えられた女を石打刑にしようとする群衆に対して「罪のないものだけが女に石を投げよ」と教えたが、マスコミは罪に関係なくみんな石を投げよ、と教える。イエスは扇動を抑えるが、マスコミは扇動する。そして儲ける。
洪水のような報道は政治に影響与えることもあれば、人を死に追い詰めることもある。しかも誰も責任を取らない。責任を取らないから無責任な報道がなくならない。これを悪循環という。マスコミに煽られた結果としても、無責任な付和雷同、集団行動はまことに見苦しい。マスコミの言いなりにはならないという矜持を持っていただきたいものである。マスコミの信頼度は決して高くないという認識と共に。
マスコミの悪口を中心に長い間、書いてきました。一人の人間が書くものには一定のパターンがあり、新鮮味はやがて失われます(もともと新鮮味のないこともあり)。それにいつもよいネタがあるわけではありません。というわけで毎週の更新はここで終了とし、今後は随時更新ということにしたいと思います(いいネタのときだけ)。いままでお読みいただいた方々、誠にありがとうございました。
豊田真由子氏は政策秘書の男性への暴言・暴行が週刊誌に載った。元秘書は暴行されたと被害届を警察に提出したが不起訴となった。しかし元秘書の録音による音声も公開され、マスコミはこの刺激的なネタに飛びつき、しばらくの間テレビはこの話題一色になった。彼女は東大法学部卒、厚労省、国費留学でハーバード大学、そして衆議院議員というエリートコースを歩んだ方で、そのことが嫉妬を招き、バッシングを一層強くしたこともあると思う。マスコミにはここまでの経歴の人はそういない。マスコミからは羨望を受けたのであろう。そしてマスコミは有能な政治家を葬り去った、寄ってたかって。
その結果、彼女はどうなったか。婦人公論6月9日号に豊田氏のロングインタビューが載ったので、その概要を紹介したい。その記事の題は
〈独占告白〉「このハゲ~!」騒動から3年・豊田真由子「意識のあるときは、死ぬことばかり考えていた」…終わりのない後悔と絶望にさいなまれ…
詳細は当記事をお読みいただきたいが、次の言葉が日常の風景を表している。「最初の報道で私はショックを受け、精神科に入院。体重は12キロ減って、意識のあるときは、ずっと死ぬことばかり考えていました。」「もう顔を上げて歩けない」「今でもインターホンが鳴ると、連日メディアにマンションを取り囲まれた恐怖がフラッシュバックし、家族一同、一瞬ビクッと固まってしまう」「あの騒動以降、私は人目を避け、隠れるように暮らしてきました」
公衆衛生学の知見によりテレビ出演を依頼された今年に3月9日まで、彼女は社会的生命をほぼ絶たれた状況に置かれた。彼女に非がないとは言わない。しかし彼女の元秘書に対する暴言によってここまでの制裁を受けることは実に理不尽なことと思う。まるでマスコミによるリンチである。弱った動物に集団で襲いかかるハイエナのようで見苦しい。04年、鳥インフルエンザの届出の遅れをマスコミに執拗に責められ、浅田農産会長夫妻が自殺するという痛ましい事件があった。自殺者まで出しても、みんなでやったことと誰も責任を取らない。謝罪の言葉すらなかった。
知人は連日、敵意ある記者らに家を取り囲まれる恐怖を経験し、私はそれを近くで目撃しているので、少しはわかる。単なる記事・報道と、連日すべてのマスコミがトップニュースで取り上げるというのでは質的な違いがある。後者には扇動の意味が加わるのだ。イエスは姦通して捕えられた女を石打刑にしようとする群衆に対して「罪のないものだけが女に石を投げよ」と教えたが、マスコミは罪に関係なくみんな石を投げよ、と教える。イエスは扇動を抑えるが、マスコミは扇動する。そして儲ける。
洪水のような報道は政治に影響与えることもあれば、人を死に追い詰めることもある。しかも誰も責任を取らない。責任を取らないから無責任な報道がなくならない。これを悪循環という。マスコミに煽られた結果としても、無責任な付和雷同、集団行動はまことに見苦しい。マスコミの言いなりにはならないという矜持を持っていただきたいものである。マスコミの信頼度は決して高くないという認識と共に。
マスコミの悪口を中心に長い間、書いてきました。一人の人間が書くものには一定のパターンがあり、新鮮味はやがて失われます(もともと新鮮味のないこともあり)。それにいつもよいネタがあるわけではありません。というわけで毎週の更新はここで終了とし、今後は随時更新ということにしたいと思います(いいネタのときだけ)。いままでお読みいただいた方々、誠にありがとうございました。