『権力は油断も隙もない』これは26日の朝日に載った池上彰氏のコラム「新聞ななめ読み」の表題で、高市氏の電波停止発言という小見出しがついています。コラムの冒頭で、「総務省から停波命令が出ないように気をつけないとね」というテレビ局の現場での発言を紹介しています。続いて、
「高市早苗総務相の発言は、見事に効力を発揮しているようです。国が放送局に電波停止を命じることができる。まるで中国政府がやるようなことを平然と言ってのける大臣がいる。驚くべきことです。欧米の民主主義国なら、政権がひっくり返ってしまいかねない発言です」・・・民主党政権下でも同様の発言があったのに、ずいぶん大袈裟な反応です。
池上氏は一昨年の慰安婦誤報騒動では朝日を批判した連載記事を差し止められ、朝日とひと悶着ありましたが、今回は一転、朝日側に強く寄り添ったものです。なかなか器用な方とお見受けしましたが、これでは「新聞ななめ読み」より「新聞すなお読み」とした方がよさそうです。
高市総務相の発言要旨は、
「放送が公益を害し、将来に向けて阻止することが必要であり、同一の事業者が同様の事態を繰り返す」ような場合、
「行政指導しても全く改善されず、繰り返される場合に、何の対応もしないと約束するわけにはいかない」というものです。
これに対するものとして池上氏は2007年の福田政権での増田寛也総務相の国会答弁を取り上げた朝日の10日付朝刊を紹介しています。
「増田総務相は電波停止命令について、「適用が可能だとは思う。ただ、行政処分は大変重たいので、国民生活に必要な情報の提供が行われなくなったり、表現の自由を制約したりする側面もあることから、極めて大きな社会的影響をもたらす。したがって、そうした点も慎重に判断してしかるべきだと考えている」
そして「権力の行使は抑制的でなければならない。現行法制の下での妥当な判断でしょう」と池上氏は納得しています。高市発言と増田発言はほぼ同じ内容で、両者とも停止命令は可能という判断です。また正当な理由なくして停波命令を出せば、それこそ政権がひっくり返ってしまうほどの影響があるでしょう。
メディアの立場として横から口を出されたくないのはわかりますが、この問題では、日本の放送史上初めて、放送法違反による放送免許取消し処分が本格的に検討されたとされる1993年の「椿事件」を忘れてはなりません。日本民間放送連盟の第6回放送番組調査会の会合において、テレビ朝日報道局長の椿貞良は、選挙時の局の報道姿勢に関して、
『「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」
「日本共産党に意見表明の機会を与えることは、かえってフェアネスではない」
との方針で局内をまとめた、という趣旨の発言を行った』(ウィキペディアによる)
こんな発言が公の場で堂々と行われることに驚きますが、民放連の政治的な立ち位置に加えて、放送業界の驕慢さが感じられます。報道した産経はこれにより1994年度の新聞協会賞を受賞しました。産経の報道がなければこれらは秘密裏に行われたわけで、放送の独善的な政治関与という事実は国民の知らないままになっていたでしょう。
高市発言に激しく反対する人たちは「椿事件」のようなことをやっても停波命令しないという保障を政府に求めていると理解できます。毎年数万点が刊行される本ならば好きなことを言ってもたいしたことになりませんが、5局しかないキー局のどれかが好き放題をやれば放置は出来ません。それが公共性をいわれる所以です。前にも触れましたが、ルワンダの大虐殺のきっかけを作ったのはラジオ放送局でした。
また菅政権当時、平岡秀夫総務副大臣は参院総務委員会で「放送事業者が番組準則に違反した場合には、総務相は業務停止命令、運用停止命令を行うことができる」と答弁していたという事実もあります。なぜかこれには朝日も池上氏も触れていません。自説のためには都合の悪いことを伏せる、解釈を都合よく変えるなど、池上氏は朝日にすっかり同調されたようです。
左派メディアの政府不信は、韓国の朴政権の姿勢同様、もう歴史的なものと思われます。国民が選んだ政権なのですから、自国政府に対する不信は自国民に対する不信であります。左派の方々には人間不信という特質でもあるのでしょうか。
「高市早苗総務相の発言は、見事に効力を発揮しているようです。国が放送局に電波停止を命じることができる。まるで中国政府がやるようなことを平然と言ってのける大臣がいる。驚くべきことです。欧米の民主主義国なら、政権がひっくり返ってしまいかねない発言です」・・・民主党政権下でも同様の発言があったのに、ずいぶん大袈裟な反応です。
池上氏は一昨年の慰安婦誤報騒動では朝日を批判した連載記事を差し止められ、朝日とひと悶着ありましたが、今回は一転、朝日側に強く寄り添ったものです。なかなか器用な方とお見受けしましたが、これでは「新聞ななめ読み」より「新聞すなお読み」とした方がよさそうです。
高市総務相の発言要旨は、
「放送が公益を害し、将来に向けて阻止することが必要であり、同一の事業者が同様の事態を繰り返す」ような場合、
「行政指導しても全く改善されず、繰り返される場合に、何の対応もしないと約束するわけにはいかない」というものです。
これに対するものとして池上氏は2007年の福田政権での増田寛也総務相の国会答弁を取り上げた朝日の10日付朝刊を紹介しています。
「増田総務相は電波停止命令について、「適用が可能だとは思う。ただ、行政処分は大変重たいので、国民生活に必要な情報の提供が行われなくなったり、表現の自由を制約したりする側面もあることから、極めて大きな社会的影響をもたらす。したがって、そうした点も慎重に判断してしかるべきだと考えている」
そして「権力の行使は抑制的でなければならない。現行法制の下での妥当な判断でしょう」と池上氏は納得しています。高市発言と増田発言はほぼ同じ内容で、両者とも停止命令は可能という判断です。また正当な理由なくして停波命令を出せば、それこそ政権がひっくり返ってしまうほどの影響があるでしょう。
メディアの立場として横から口を出されたくないのはわかりますが、この問題では、日本の放送史上初めて、放送法違反による放送免許取消し処分が本格的に検討されたとされる1993年の「椿事件」を忘れてはなりません。日本民間放送連盟の第6回放送番組調査会の会合において、テレビ朝日報道局長の椿貞良は、選挙時の局の報道姿勢に関して、
『「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」
「日本共産党に意見表明の機会を与えることは、かえってフェアネスではない」
との方針で局内をまとめた、という趣旨の発言を行った』(ウィキペディアによる)
こんな発言が公の場で堂々と行われることに驚きますが、民放連の政治的な立ち位置に加えて、放送業界の驕慢さが感じられます。報道した産経はこれにより1994年度の新聞協会賞を受賞しました。産経の報道がなければこれらは秘密裏に行われたわけで、放送の独善的な政治関与という事実は国民の知らないままになっていたでしょう。
高市発言に激しく反対する人たちは「椿事件」のようなことをやっても停波命令しないという保障を政府に求めていると理解できます。毎年数万点が刊行される本ならば好きなことを言ってもたいしたことになりませんが、5局しかないキー局のどれかが好き放題をやれば放置は出来ません。それが公共性をいわれる所以です。前にも触れましたが、ルワンダの大虐殺のきっかけを作ったのはラジオ放送局でした。
また菅政権当時、平岡秀夫総務副大臣は参院総務委員会で「放送事業者が番組準則に違反した場合には、総務相は業務停止命令、運用停止命令を行うことができる」と答弁していたという事実もあります。なぜかこれには朝日も池上氏も触れていません。自説のためには都合の悪いことを伏せる、解釈を都合よく変えるなど、池上氏は朝日にすっかり同調されたようです。
左派メディアの政府不信は、韓国の朴政権の姿勢同様、もう歴史的なものと思われます。国民が選んだ政権なのですから、自国政府に対する不信は自国民に対する不信であります。左派の方々には人間不信という特質でもあるのでしょうか。