本来あるべき解決法が難しいとき、関西では「しゃーないなぁー」と言って、筋は通らなくても実現可能な方法を選びます。例えば他人の借金の尻拭いなどです。「しょうがないなあ」と同様の意味ですが、筋を通す行為ばかりでは社会は円滑に動きません。
7年前、愛知県内で認知症の91歳の男性が電車にはねられて死亡した事故を巡り、JR東海側が損害が発生したとして遺族に賠償を求めた裁判で、2審の名古屋高等裁判所は1審で認定された男性の長男の責任は認めなかったものの、男性の妻に対しては「夫を監督する義務があるのに十分ではなかった」と判断し、およそ360万円の支払いを命じました。・・・(4/24NHKニュースより)
賠償を命じられた男性の妻は当時85歳なので現在は92歳程度と思われます。一方、賠償を請求したJR東海は巨大企業です。JR東海にとっては360万円は微々たる金額ですが、自分のところで起きた事故で夫を失った92歳の女性から無理やりカネを取り上げようというお話です。
JR東海は法人ですが、巨大な資産をもつ個人だと考えれば、これは極めて非情、かつドケチな行為、恥ずかしい行為と見られるでしょう。法人といっても個人に準じたものであり、それを動かしているのは個人の集りなので、この仮定はまったくの的外れとは思えません。
JR東海は法的権利を主張し、筋を通したわけですが、どう見ても紳士的な行為とは言えません。しかしJR東海の行為を倫理的に批判する論調は見られません。そのような倫理観は過去のものになったようです。
JR東海の行為は法的には正当なものです。また被害の原因者を徹底的に追及するというマスコミの好む風潮とも合致します。しかしこのJR東海の行動と高裁の判決は認知症患者を介護する人に重い負担を要求します。24時間の監視義務を負わせることになるからです。認知症患者の自由を奪うだけでなく、その社会的コストは膨大なものとなるでしょう。
NHKの調査によると、認知症の人が徘徊などして起きた鉄道事故はこの8年余の間に少なくとも76件、このうち64人が死亡していたとされています。年間にすれば10件足らずであり、鉄道会社1社あたりの平均では年間1件以下と思われます。このように損害額が小さく、かつ低い確率の事故に対しては「しゃーないなぁー」という解決方法があってよいと思います。
鉄道各社がこの僅かな金額を負担すれば上記のような悪影響は避けられ、また社会全体としての介護コストは低く済むと思われます。鉄道会社が負担するからといって線路への徘徊が増えるとも思えません。
漱石は「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される」と「草枕」に書きましたが、世の中は「角が立つ」方向、不寛容な方向にばかり動いているように感じます。
部分的な合理性が全体の不合理を招くことは少なくありません。JR東海や高裁の判決が示す方向には、不合理で、不寛容な社会があるように思われます。もし「JR東海よ、恥を知れ」なんて判決を下す裁判官がいたら文句なしに尊敬するのですが。
7年前、愛知県内で認知症の91歳の男性が電車にはねられて死亡した事故を巡り、JR東海側が損害が発生したとして遺族に賠償を求めた裁判で、2審の名古屋高等裁判所は1審で認定された男性の長男の責任は認めなかったものの、男性の妻に対しては「夫を監督する義務があるのに十分ではなかった」と判断し、およそ360万円の支払いを命じました。・・・(4/24NHKニュースより)
賠償を命じられた男性の妻は当時85歳なので現在は92歳程度と思われます。一方、賠償を請求したJR東海は巨大企業です。JR東海にとっては360万円は微々たる金額ですが、自分のところで起きた事故で夫を失った92歳の女性から無理やりカネを取り上げようというお話です。
JR東海は法人ですが、巨大な資産をもつ個人だと考えれば、これは極めて非情、かつドケチな行為、恥ずかしい行為と見られるでしょう。法人といっても個人に準じたものであり、それを動かしているのは個人の集りなので、この仮定はまったくの的外れとは思えません。
JR東海は法的権利を主張し、筋を通したわけですが、どう見ても紳士的な行為とは言えません。しかしJR東海の行為を倫理的に批判する論調は見られません。そのような倫理観は過去のものになったようです。
JR東海の行為は法的には正当なものです。また被害の原因者を徹底的に追及するというマスコミの好む風潮とも合致します。しかしこのJR東海の行動と高裁の判決は認知症患者を介護する人に重い負担を要求します。24時間の監視義務を負わせることになるからです。認知症患者の自由を奪うだけでなく、その社会的コストは膨大なものとなるでしょう。
NHKの調査によると、認知症の人が徘徊などして起きた鉄道事故はこの8年余の間に少なくとも76件、このうち64人が死亡していたとされています。年間にすれば10件足らずであり、鉄道会社1社あたりの平均では年間1件以下と思われます。このように損害額が小さく、かつ低い確率の事故に対しては「しゃーないなぁー」という解決方法があってよいと思います。
鉄道各社がこの僅かな金額を負担すれば上記のような悪影響は避けられ、また社会全体としての介護コストは低く済むと思われます。鉄道会社が負担するからといって線路への徘徊が増えるとも思えません。
漱石は「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される」と「草枕」に書きましたが、世の中は「角が立つ」方向、不寛容な方向にばかり動いているように感じます。
部分的な合理性が全体の不合理を招くことは少なくありません。JR東海や高裁の判決が示す方向には、不合理で、不寛容な社会があるように思われます。もし「JR東海よ、恥を知れ」なんて判決を下す裁判官がいたら文句なしに尊敬するのですが。