噛みつき評論 ブログ版

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イージス艦衝突事故、なぜか自衛隊ばかり叩かれる

2008-02-28 16:18:55 | Weblog
 朝日やNHKはイージス艦の衝突事故を連日トップで取り上げました。報道を見ていると、自衛艦が一方的に悪い、という印象を受けます。そして同規模の海難事故と比べ異常なほどの報道の大きさに違和感を覚えます。まるで自衛隊に潜在的な憎しみをもっているかのようです。

 両船の航跡図を見る限り「あたご」の右前方から接近してきた清徳丸が右に舵を切り「あたご」の進路上に向かってきたように見えます。防衛省は清徳丸は前方約100メートルで大きく右にかじを切った、としています。清徳丸のコースは素人目にも不可解です。それに小型船なら、直前の回避動作も可能でしょう。

 事故の調査が終わっていない段階で、まして双方の過失が明らかでないときに、予断をもって、自衛艦や自衛隊を非難する調子の記事を連ねることは疑問です。政治的な意図があるのでは、と感じます。

 自衛艦側の過失の大きさは相手側の過失によって相対的に決まるものですから、双方の過失を調べる必要があります。非難はその後でよいのです。漁船にとっては痛ましい事故ですが、事故原因に関する報道は中立かつ冷静であるべきはあたりまえです。

 事故の責任を問い、防衛相の辞任を要求している野党がありますが、マスコミの自衛隊非難報道に乗せられて、事故原因の特定もできていない時点での辞任要求は軽率であるばかりか、メディアリテラシーの欠如が疑われます。また悲惨な事故をすぐさま自党の利益に利用しようとする行為は浅ましく、見苦しく感じます。

 誰も漁船側の過失に言及しないのはなぜでしょうか。マスコミが一斉に自衛隊非難に向いているとき、漁船側の過失に触れることはご法度なのでしょうか。戦時中の、異論が一切許されなかった時代に少し似ています。法的な強制はなくとも、実質的には言論の自由が制限されるわけです。

 一方で、マスコミが自衛隊に厳しすぎる態度をとり続けていることによる長期的な影響が考えられます。社会から認められる仕事を選びたいのは誰でも同じですから、マスコミの姿勢は自衛隊の人材の問題に悪影響を与えることでしょう。

 かつて自衛隊員の体格の平均値が他より劣っていることが問題になったことがありました。応募者が少ないために、選抜が十分できなかった結果です。

 国立大学の原子力関係学科の学生数は、1994年度から2006年度の間に10分の1以下にまで落ち込みましたが、その背景には常に反原発運動に味方する報道があったものと考えられます。優秀な人材の減少は事故の危険性を増やします(前回のコラム参照)。

 イージス艦衝突事故を大きく報道すれば、事故の再発防止に少しは役立つかもしれません。しかし、過度の報道は同時に自衛隊の質に悪影響を及ぼすことも理解すべきです。

 このようなことが続けば、自衛隊の要員確保ができなくなり、徴兵制もやむを得ず、ということになりかねません。自衛隊をいじめすぎて徴兵制、原発を叩きすぎて大事故、まあ皮肉としては面白いですが・・・。

 マスコミは、原発や自衛隊、医療など、社会に必要な機能に対して、ふさわしい評価を与えることの必要性を理解できないようです。日経の調査によれば「働きがい」は「自分の成長」や「達成感」などが上位で、賃金は7位であったそうです(02/25朝刊)。

名実とも「人はパンのみで生きるにあらず」という時代なのです。

原子力学科の学生数が十分の一以下に…反原発報道の大戦果?

2008-02-25 14:58:25 | Weblog
 エネルギー価格の上昇と温暖化問題の顕在化によって原子力発電の人気が高まってきました。米国が新設を再開するなど、世界的に拡大の方向が見られます。反原発運動の「教祖」であったドイツでも従来の全廃方針を見直す動きがあるそうです。原発のリスクに比べ必要度が高ければ、導入しようという合理的な判断でしょう。

 一方、日本では次のような事情が生まれています。
『経産省の調査によると、1994年度に1739人と最多を数えた国立大学の原子力関係学科の学生数は、2006年度に137人と、10分の1以下にまで落ち込んだ。学科再編で学科名から「原子力」が消えて統計から抜け落ちた影響もあるものの、人材供給の先細り傾向は既に「危機的な状況」(資源エネルギー庁幹部)にある』(1/6北海道新聞)

 不人気の背景には日本特有の「原子力アレルギー」、そして「原子力は危険」との印象をばら撒いてきた主要マスメディアの不断の努力があります。

 反原発報道は原発を止めることはできませんでしたが、学生の意欲を殺いで、人材の供給を止めるという長期的な成果を勝ち取ることができたというわけです。

 原発の是非は徹底的に技術的なリスク評価をした上で、議論すべき問題ですが、現状の反対論はそうではありません。例えば、朝日新聞07/03/17のトップ記事には、99年の志賀原発の制御棒落下事故のメカニズムの図解がありますが、その図は高校理科レベルの知識もない人が描いたと思われるもので、理解不能なものです(参考)。

 日本を代表する新聞が、この程度ですから、原発反対の運動は多分に情緒的なものだと思われます。最近の例では、柏崎刈羽原発の地震被害の誇張された報道の結果、危険だとしてイタリアのサッカーチームの来日は中止されました。ところが仏の左派系高級紙ルモンドは強い地震によく耐えたと、肯定的に報道したそうです。

 ノーベル物理学賞を受けたソ連のP・カピツァは、チェルノブイリ事故の前、ソ連での原発に慎重論を唱え、原発を安心して任せられるのは几帳面な日本人とドイツ人だけだと述べたそうです。不幸にしてこの予言は的中しました。

 日本人の原発管理能力が認められたのですが、優れた人材があってこその話です。人材不足によって管理能力が低下すれば、事故の起きる可能性は高くなります。大事故が起きたとき、原発反対を推し進めた人たちは、自分たちの行為が原発技術者の人材不足を招いたことを忘れ、「それ見たことか」と胸を張るのでしょうか。

魔法?『文字を大きく情報たっぷり』の朝日紙面改革

2008-02-22 10:26:02 | Weblog
 3月31日から朝日新聞は文字が大きくなるそうです。2月17日の朝刊にはその告示が載っています。その表題が「文字を大きく 情報たっぷり」なのです。文字を大きくしてなぜ情報がたっぷりなのか、また情報が5.5%減るのは実質的には値上げではないか、という疑問が生じます。

 はじめ私はその意味を理解できませんでした。本文には文字の縦だけを7%大きくし、1行の字数を11×15段から13×12段に改めると説明されています。つまり165字が156字になり約5.5%の減少となります。情報量が減るのに、なぜ「情報たっぷり」なのでしょう。

 増ページをする、あるいは広告比率を減らすというのならわかりますが、その記述はどこにもありません。そうでないなら、「情報たっぷり」は今流行の「偽装」表現と思わざるを得ません。

 「金利下げ、利息たっぷりの預金」「量を減らし、栄養たっぷりのパン」「ガソリンを一層よく食う、経済性たっぷりの車」

 朝日の表現が通るなら、こんなインチキ表現も許されなければなりません。些細な問題だと思われるかもしれませんが、入学試験にも多く引用されるなど、語法に強い影響力をもつ新聞の表現だけに、こんな表現を広げていただくとちょっと困ってしまいます。

 こんな矛盾する表現を平気で使うのは学力低下のせいなのでしょうか。それとも悪質な故意の「偽装」なのでしょうか。まあどちらにせよ、困ったものであります。

 また購読料が同じならこの変更は、つまり情報量の約5.5%減は情報単価の約5.8%の値上げでもあります。私達はすぐゴミになる紙を買っているのではなく、情報を購入しているのですから。

 他の業界では値上げのとき、苦しい事情を説明し理解を求めるのですが、新聞社には全くその気がないだけでなく、読みやすくしてやっているんだという姿勢ばかりが目につきます。恩を売ってこっそり値上げ、ここだけはいまだに殿様商法が通じるようです。

朝日にも優れた記事・・・この見識が紙面全部に反映されればよいのですが

2008-02-18 12:57:53 | Weblog
 2月4日から始まった9回の連載記事「ニッポンの科学」は、BSE問題や電磁波、農薬規制、遺伝子組み替え食品など、理解がとても科学的とはいえない現状を取り上げています。

 連載初回はBSE全頭検査の問題が取り上げられており、以下に要約します。

 『全頭検査のために日本産牛肉は安全だと信じられてるが、実は全頭検査の意味はあまりなく、国際獣疫事務局による危険度ランクで日本は、①危険が無視できる国でも、②危険が十分管理されている国でもなく、③の危険度不明の国になっている。
 BSEのために日本人が変異型クロイツフェルトヤコブ病(vCJD)を発病する確率は無視できる程度(*1)であるにもかかわらず実施された世界に類のない全頭検査は「消費者の不安解消」を掲げる議員らの声に押されて始まった。
 国際獣疫事務局が定めるBSE対策の基準は危険部位の除去とピッシングの禁止などで、検査はふくんでいない。日米間の輸入再開議論がかみ合わなったのは日本が世界の標準とは異なる考え方をしていたからである。(ピッシングとは死ぬ時の痙攣を防ぐためロッドを頭から脊椎に通すこと。病原体が他の部位に拡散する危険性が指摘されている。日本ではまだ多く行われている)』

(*1 発病の確率については2回目の記事にもありますが、安井至氏の資料も参考になります)

 つまりもともと意味のない「消費者の不安」を解消するために、必要もなく、合理性もない全頭検査を多額の税金を使って実施しているというわけであります。優先されたのは全頭検査という消費者に対するわかりやすさであり、本当に必要な感染防止の有効性ではありませんでした。その結果、日本独自のやり方が生まれたというわけです。

 マスコミの注視する中、大勢の人間がよってたかって知恵を出し合って得た結論が、目先の不安を取り除ければよいという姑息な、不合理なものになってしまったことをこの記事は示唆しています。

 大変よい記事なのですが、惜しいことにひとつ抜けていることがあります。それはすべての元になった、理不尽な「消費者の不安」がなぜ発生したか、ということへの言及です。

 この「消費者の不安」の発生は新聞・テレビの大活躍ぬきには語れません。政府の発表に問題なしとはいえないでしょうが、やはり「国民的不安」に拡大した立役者はマスメディアでしょう。牛がひっくり返る映像を何度見せられたことでしょう。感染の恐怖を騒ぎ立てる情報が溢れました。

 日本で初めてBSE感染牛が見つかったのは01年の9月10日ですが、安井至東京大学生産技術研究教授(当時)は同月22日付で、英国での事例から推定し「10頭以内で納まるのなら、死者が出る確率をゼロにできるだろう」と自身のHPに記されています。メディアがこのような冷静な意見を取り上げた記憶はありません。

 図式的にいうと、まずマスコミがBSEの危険性を大袈裟に伝え、国民の不安が極度に高まった結果、政府は不安を抑制することを優先し、素人受けのする見当違いの政策を採り続けたということになります。このようなパターンは環境ホルモンやダイオキシン問題などでも見られます。

 合理的な対策より、理科と数学に弱いマスコミの方々にも理解されやすい対策が選ばれる傾向があることに注意する必要があります。

 この記事はメディア自らの責任には一切触れないという点に不満は残ります。しかし、メディアが騒いできた様々な問題に対して、遅すぎるとは思いますがいままでの誤解を解くという意味で大変評価できます。騒いだ根拠を自ら否定する記述も少なくありません(もっともそういう部分は第三者風に「客観的」に書かれているのはさすがです)。

 このような見識が朝日全体のものになることを期待します。期待の実現にはあまり自信はありませんが・・・。

医療崩壊の原因は医師の説明不足というNHKの珍解釈

2008-02-14 20:03:10 | Weblog
 ようやく大手メディアも医療崩壊を取り上げだしました。いつもながら何故かブームのように一斉にです。NHKも2月12日のニュースウォッチ9で、手術を止めた病院や、訴訟を起こされてそれまで築き上げたものを失った医師などを紹介し、訴訟リスクによって医療が防衛的・消極的になっている深刻な現状を訴えました。

 珍しく医療側の立場を取り上げた点は評価できますが、スタジオに戻ってからの締めくくりがいけません。NHK社会部医療担当の山内昌彦デスク氏は医療崩壊の原因である訴訟の増加について次のように説明されました。

 『患者が訴訟をするのは「原因を知りたい」と「再発防止につなげたい」という気持ちからです。医師の側はクレームを言う人が増えた、権利意識が高まったとか云いますが、医師側がしっかり説明してこなかったつけが訴訟の増加につながっているのです』

 この説明では医師側が以前に比べ説明を十分しなくなったから、訴訟が増加したということになります。本当に医師側の説明が変ってきたのでしょうか。

 逆に、医療側の説明はずいぶん丁寧になってきた印象があります。渡される薬にも説明書がついてくるのが普通になりました。このような流れの中で説明が不充分なために訴訟が増加したという医療担当デスク氏の解釈は理解不能です。事故の場合だけ説明が不充分になったということも考えられません。

 医療事故に関する関する新聞記事の件数と医療不信の相談件数が強い相関関係にあったことはもうひとつの報道被害・・・医療崩壊を推進するマスコミ報道で述べましたが、報道が専門的な知識を欠いたまま、常に患者側に立ち、医療側を批判することに終始する結果、医療に対する不信が積み重なってきたと考えられます。その当然の結果としての訴訟の増加です。

 医療側と患者側との関係が、信頼から敵対へと変化して来たことが訴訟増加の背景と見ることができます。また、患者は医療サービスを買う客であり、客だから強い立場で完全な仕事を要求できるという意識も影響しているでしょう。そこには医療は不完全なもの、やってみなければわからないリスクあるものという考えが希薄です。これらは常に患者や消費者の側に立つ報道と無縁ではありません。

 もし医療担当デスク氏の解釈が正しいのなら、対策は医師側が患者に充分説明するだけでよい筈です。そんな簡単なことではないでしょう。現状把握が見当違いでは、まともな対策が出てくるわけがありません。

 また患者側の訴訟動機を原因究明と再発防止に限定し、損害賠償や慰謝料の請求を除外していることも気になります。権利意識が高まったなどという医師側の説明を否定し、患者側の説明を鵜呑みにする偏りが感じられます。永年、患者側についたクセが抜けないのでしょうか。

 訴訟増加の原因のひとつが医療事故報道であるとは認め難いでしょうが、だからといって医療側に責任を転嫁するのは見苦しいだけではなく、対策を誤るという結果につながります。これは医療崩壊という切迫した問題に対する認識に関することであり、重大です。

 他に比して信頼できるメディアとされているNHKの、それもゴールデンタイムの看板番組での発言ですから影響は少なくありません。数千人の優秀な(筈の?)人間を擁するNHKの医療担当デスクというと最も医療問題に精通している方の筈です。勉強不足か能力不足かは知りませんが、それでこの程度の理解とは驚きます。

 放送内容に関しては事前のチェックがあるのでしょうから、このデスク氏の見識レベルはNHKのレベルとも言えます。マスメディアは国民をリードする立場ですから、見当違いの理解をすると重大な不利益をもたらす可能性があります。

 よい番組も多いNHKですが、番組を十分にチェックする仕組みを期待したいと思います。これに比べると、NHKの一部職員の不祥事など、ニュースとしての「華々しさ」はあるものの、些事に過ぎません。ごく一部の人間が手を染める不祥事はどの組織でもよくあることで、ゼロにするのは無理というものです。下手にゼロを目指せば、ジョージ・オーウェルが描いた「1984年」の超管理社会になるのがオチでしょう。

赤福に行列、白い恋人の石屋製菓フル生産…これをどう理解しますか

2008-02-11 10:46:16 | Weblog
 『復活「赤福」に行列 ノー天気にもほどがある』
 週刊朝日2月22日号の見出しです。見出しは、まだ懲りずに赤福を買い求める客にあきれ、批判しているようです。この記事の筆者は、客が偽装をもっと深刻に受け止め、赤福がみんなに見放されてしまうことを期待していたのでしょうか。

 一方、2月7日の日経の春秋は次のように書いています。
『伊勢神宮の参拝客に合わせ、内宮前の本店を開いたのは日の出前の午前5時。その時点で寒空に300人以上が列を作り、開店すると拍手も起きたそうだ。石屋製菓も昨年11月22日の販売再開以来、1日50万枚のフル生産をしてなお追いつかぬ売れ行きという。げに神様ならぬお客様とはありがたいものだ。
 「土産の定番」のブランドに安住し、消費者の信頼を裏切った2社を、神様は1度だけ大目に見たのかもしれない。もちろん、次の過ちは許されない。』

 週刊朝日の見出しは、食品偽装を全く許せない悪事として厳格な報道してきたことの当然の帰結と言ってもよいでしょう。日経の春秋はそれに比べるとやや寛大です。

 しかし私は別の解釈をしています。一部の消費者は、赤福や石屋製菓の偽装は安全性に不安はなく、騒ぐほどのものではないと考えていたのではないでしょうか。開店時に拍手となると、過大なバッシングをむしろ気の毒に思っていたのではないかと思います。

 マスメディアが描く世界では食品偽装は大変危険な悪事でありました。それが社会一般の認識だと見誤られてきたのではないでしょうか。週刊朝日の記事はそれを最も誤認した例だと思われます。

 マスメディアは記事をより多く売るため、その衝撃度を増すことに腐心するという属性を備えています。無視できるような危険も巨大に見せるのが商売です。ダイオキシン、環境ホルモン、電磁波、いづれも不安だけばら撒いて、いつの間にか過去のものになりました。後始末は聞きません。

 同様に、僅かな違反行為を重大に見せるために、可能な限り基準を厳格なものに見せるのも彼らの手口です。そうすることによって非難のパワーを上げるわけです。これらの動機の根っこにあるものは売らんかなの商業主義だと言ってもよいでしょう。

 視聴率を上げたいため、雑誌や新聞の販売を伸ばしたいためという理由のために、社会が生産者にとってより厳格な方向に向かうことに危惧を感じます。

 食品でも医療でも、他の産業でもサービスや生産物の提供側は少数側であり、多数側は常に消費者・患者です。マスメディアは常に多数側の味方につきます。消費者・患者はたとえ間違っていてもマスメディアから非難を受けることはありません。マスメディアは多数の消費者を「客」としているからでしょう。

 しかし消費者の多くは生産者・サービス提供者でもあります。生産者への品質やサービスに対する過剰な要求は多くの消費者自身にはね返ります。それは緊張を強いられる苛酷な労働の原因のひとつになるでしょう。まあ、働かず、消費だけの人には住みやすい世になるかもしれませんけどね。

「殺人毒ギョーザ」と煽り、社説で冷静を呼びかける…朝日のマッチポンプ商法

2008-02-07 10:07:11 | Weblog
 『殺人毒ギョーザ』『食品テロか』『いまも農薬食品は「野放し」状態』『戦慄、続々報告される死亡例』『恐怖の食品工場』『中国製食品最新リスト』

 スポーツ新聞の見出しではありません。02/01朝日朝刊に掲載された週刊朝日の広告に書かれた見出しの言葉です。週刊朝日は朝日新聞社発行の比較的「上品」とされる週刊誌です。週刊朝日を購入すると、本体の目次には『中国「殺人食品工場」の実態』という語句まであります。品性を疑いたくなります。

 死亡続発の「殺人食品工場」製の食品は危険だから中国製食品最新リストを手に入れて身を守ろう、というメッセージが伝わってきます。中国ギョーザの恐怖につけ込み、さらにその恐怖を拡大しようとする意図が見えます。

 記事の中身は見出しから想像がつくとおりで、中国での事故例やひどい話の記述が中心です。「家計を節約しても命を落としては元も子もない」が結語であります。

 一方、同日の朝日新聞社説では冷静な対処を呼びかけています。一部を抜粋します。

 『中毒が起きたことが公表されると、日本では中国食品への不安の声が一気に高まった。中国製というだけで、今回のギョーザとは無関係の冷凍食品がスーパーから撤去されたり、外食産業でメニューからはずされたりする動きが出た。

 だが、日本人の食生活はいまや中国食品なしでは成り立たない。中国にとっても、輸出先として日本はなくてはならない存在だ。中国食品の安全は日中の共通の利益なのだ。中国人技術者を日本に招いて食品安全の研修をする構想があるのも、共通の利益があるからだろう。

 今回の事件は、長い間の停滞から再出発したばかりの日中両国にとって、大きな試金石といえる。冷静に協力し合って解決に導けば、中毒事件の打撃を減らし、成熟した関係への一歩ともなる』

 大変まともな主張であり、同じ会社のものとはとても思えません。この会社には表の顔とは異なった裏側の顔があるのでしょうか。

 少なくとも現時点では、事件が中国の生産・流通システムに起因したものと断定できるわけでなく、日本での混入が否定されたわけでもありません。意図的なものであれば日本でも起こりえますし、事実過去にはありました。

 原因が確定しない段階で中国製品のすべてが危ないと思わせるような報道は慎むべきです。可能性は低そうですが、もし原因が中国側でなかったらどうするんだろうと、他人事ながら心配です。

 翌日(02/06)の日経には「冷凍食品の販売量が4割減」との記事が出ていますが、6割の人は煽られずに買っているわけですから、冷静な人も結構いるものです。

 メタミドホスの経口急性毒性については、半数致死量(LD50)が体重1kgあたり30mgとされています。これは60kgの成人では1800mg(個体差があり、子供ではかなり少なくなります)に相当します。今回検出された最高値は130ppmですから、ギョーザ1kgにつき130mg含まれているわけです。この濃度で半数致死量に達するには計算上13.8kgのギョーザが必要です。

 子供の重症例もあり、もっと高濃度のものが存在する可能性を否定できませんが、少なくともいまの段階で殺人ギョーザなどと呼ぶのは余計な恐怖を招き、不適切でしょう。誇大な報道の影響は、一般の消費者にとっては買うものを変更するだけですみますが、関係業界には深刻な影響を与えます。罪のない失業者を必要以上に生むという、理不尽な可能性があることを週刊朝日の記者は想像しているのでしょうか。

 週刊誌で火をつけて、新聞で水をかける、もっとも水はあまり読まれない社説だけであり、新聞の主要部は火をつける方の役割です。結局、火勢が強くて、社説はおそらく焼け石に水でしょう。それを承知の上のことだろうと思います。

 モラルと使命感を捨て、販売量だけを考えれば、こんな週刊誌ができ上るのでしょうか。もし、すべてを承知の上での恐怖の煽動記事なら、悪質です。反対に使命感に基づく恐怖報道ならば、見識が疑われます。

 いずれせよ、一時の販売には寄与しても、長期的には信用を失うことになるのではと心配してしまいます。週刊誌ってものは元々こんなもんだ、と言われればそれまでですが。

βカロチンの危険性は知らないが、赤福や吉兆の偽装はみんな知っている…日本国の奇怪

2008-02-04 16:29:20 | Weblog
 βカロチンは喫煙者の肺がん発生を抑制するというふれこみで登場した。しかし、その後の大規模な疫学研究によって、βカロチンをサプリメントで飲み続けると逆に肺ガン発生率が高くなるという信頼できる研究結果が相次ぎ、その見解は既に定着しているようである。

 2月3日の日本経済新聞の「健康情報を読み解く」では、このβカロチンが有害という事実がどれだけの人に知られているかということを問題にしている。筆者である坪野氏が講演会の会場で、知っているか否かを聴衆に挙手で示してもらった結果である。

 それによると手を挙げるのはたいてい聴衆の1割未満、一般市民の場合も栄養士などの専門職の場合も変わらないという。私は数年前から日経の同様の欄などで何度か目にしているが、1割未満とは意外なほどの低率である。

 ついでに同記事に載った研究結果の主要部分を紹介する。94年のフィンランドの喫煙者3万人を対象とする研究では最長8年間の投与で肺ガン発生率は18%増加、96年の米国の喫煙者など2万人対象の研究では4年間の投与で28%の増加となっている。さらに質の高い臨床試験12件をまとめた07年の論文ではβカロチンのサプリメントによって喫煙者に限らず、総死亡率が7%増加した。

 最悪なのは当初広まったβカロチン有益説だけを信じたままの人の存在である。死の危険を高めるβカロチンのサプリメントを、せっせと金を出して買い続けている人がいる可能性がある。

 βカロチンは肺ガン予防という期待が大きかっただけに、大規模な研究が実施されたのだが、その結果は薬と思ったものが毒であったというわけで大きい衝撃をもたらした。

 現在様々なサプリメントが販売されている。数年前から所得番付の上位に健康食品会社の経営者が目立っており、販売量も無視できるものではない。統計的に意味のある対象者数と数年間以上の時間をかけた研究を経て、有害性、有益性を確認しているものがどれだけあるだろうか。

 βカロチンのサプリメントの危険性を知っている者が1割未満だという事実をマスメディアは重く受け止めてほしい。賞味期限や産地の偽装で命を落とす人はまずいないが、このサプリメントで死亡する人は統計上いる筈である。どうやら死亡であっても「劇的な死」でなければ報道の価値は低いようだが、広く知らせることができるのはマスメディアしかないのである。(参考:これで報道の使命を果たされていますか)