朝日やNHKはイージス艦の衝突事故を連日トップで取り上げました。報道を見ていると、自衛艦が一方的に悪い、という印象を受けます。そして同規模の海難事故と比べ異常なほどの報道の大きさに違和感を覚えます。まるで自衛隊に潜在的な憎しみをもっているかのようです。
両船の航跡図を見る限り「あたご」の右前方から接近してきた清徳丸が右に舵を切り「あたご」の進路上に向かってきたように見えます。防衛省は清徳丸は前方約100メートルで大きく右にかじを切った、としています。清徳丸のコースは素人目にも不可解です。それに小型船なら、直前の回避動作も可能でしょう。
事故の調査が終わっていない段階で、まして双方の過失が明らかでないときに、予断をもって、自衛艦や自衛隊を非難する調子の記事を連ねることは疑問です。政治的な意図があるのでは、と感じます。
自衛艦側の過失の大きさは相手側の過失によって相対的に決まるものですから、双方の過失を調べる必要があります。非難はその後でよいのです。漁船にとっては痛ましい事故ですが、事故原因に関する報道は中立かつ冷静であるべきはあたりまえです。
事故の責任を問い、防衛相の辞任を要求している野党がありますが、マスコミの自衛隊非難報道に乗せられて、事故原因の特定もできていない時点での辞任要求は軽率であるばかりか、メディアリテラシーの欠如が疑われます。また悲惨な事故をすぐさま自党の利益に利用しようとする行為は浅ましく、見苦しく感じます。
誰も漁船側の過失に言及しないのはなぜでしょうか。マスコミが一斉に自衛隊非難に向いているとき、漁船側の過失に触れることはご法度なのでしょうか。戦時中の、異論が一切許されなかった時代に少し似ています。法的な強制はなくとも、実質的には言論の自由が制限されるわけです。
一方で、マスコミが自衛隊に厳しすぎる態度をとり続けていることによる長期的な影響が考えられます。社会から認められる仕事を選びたいのは誰でも同じですから、マスコミの姿勢は自衛隊の人材の問題に悪影響を与えることでしょう。
かつて自衛隊員の体格の平均値が他より劣っていることが問題になったことがありました。応募者が少ないために、選抜が十分できなかった結果です。
国立大学の原子力関係学科の学生数は、1994年度から2006年度の間に10分の1以下にまで落ち込みましたが、その背景には常に反原発運動に味方する報道があったものと考えられます。優秀な人材の減少は事故の危険性を増やします(前回のコラム参照)。
イージス艦衝突事故を大きく報道すれば、事故の再発防止に少しは役立つかもしれません。しかし、過度の報道は同時に自衛隊の質に悪影響を及ぼすことも理解すべきです。
このようなことが続けば、自衛隊の要員確保ができなくなり、徴兵制もやむを得ず、ということになりかねません。自衛隊をいじめすぎて徴兵制、原発を叩きすぎて大事故、まあ皮肉としては面白いですが・・・。
マスコミは、原発や自衛隊、医療など、社会に必要な機能に対して、ふさわしい評価を与えることの必要性を理解できないようです。日経の調査によれば「働きがい」は「自分の成長」や「達成感」などが上位で、賃金は7位であったそうです(02/25朝刊)。
名実とも「人はパンのみで生きるにあらず」という時代なのです。
両船の航跡図を見る限り「あたご」の右前方から接近してきた清徳丸が右に舵を切り「あたご」の進路上に向かってきたように見えます。防衛省は清徳丸は前方約100メートルで大きく右にかじを切った、としています。清徳丸のコースは素人目にも不可解です。それに小型船なら、直前の回避動作も可能でしょう。
事故の調査が終わっていない段階で、まして双方の過失が明らかでないときに、予断をもって、自衛艦や自衛隊を非難する調子の記事を連ねることは疑問です。政治的な意図があるのでは、と感じます。
自衛艦側の過失の大きさは相手側の過失によって相対的に決まるものですから、双方の過失を調べる必要があります。非難はその後でよいのです。漁船にとっては痛ましい事故ですが、事故原因に関する報道は中立かつ冷静であるべきはあたりまえです。
事故の責任を問い、防衛相の辞任を要求している野党がありますが、マスコミの自衛隊非難報道に乗せられて、事故原因の特定もできていない時点での辞任要求は軽率であるばかりか、メディアリテラシーの欠如が疑われます。また悲惨な事故をすぐさま自党の利益に利用しようとする行為は浅ましく、見苦しく感じます。
誰も漁船側の過失に言及しないのはなぜでしょうか。マスコミが一斉に自衛隊非難に向いているとき、漁船側の過失に触れることはご法度なのでしょうか。戦時中の、異論が一切許されなかった時代に少し似ています。法的な強制はなくとも、実質的には言論の自由が制限されるわけです。
一方で、マスコミが自衛隊に厳しすぎる態度をとり続けていることによる長期的な影響が考えられます。社会から認められる仕事を選びたいのは誰でも同じですから、マスコミの姿勢は自衛隊の人材の問題に悪影響を与えることでしょう。
かつて自衛隊員の体格の平均値が他より劣っていることが問題になったことがありました。応募者が少ないために、選抜が十分できなかった結果です。
国立大学の原子力関係学科の学生数は、1994年度から2006年度の間に10分の1以下にまで落ち込みましたが、その背景には常に反原発運動に味方する報道があったものと考えられます。優秀な人材の減少は事故の危険性を増やします(前回のコラム参照)。
イージス艦衝突事故を大きく報道すれば、事故の再発防止に少しは役立つかもしれません。しかし、過度の報道は同時に自衛隊の質に悪影響を及ぼすことも理解すべきです。
このようなことが続けば、自衛隊の要員確保ができなくなり、徴兵制もやむを得ず、ということになりかねません。自衛隊をいじめすぎて徴兵制、原発を叩きすぎて大事故、まあ皮肉としては面白いですが・・・。
マスコミは、原発や自衛隊、医療など、社会に必要な機能に対して、ふさわしい評価を与えることの必要性を理解できないようです。日経の調査によれば「働きがい」は「自分の成長」や「達成感」などが上位で、賃金は7位であったそうです(02/25朝刊)。
名実とも「人はパンのみで生きるにあらず」という時代なのです。