「世界で2009年の景気動向を最も悲観しているのは日本の経営者」という調査結果が発表されました。1月26日の日経によると、調査は世界36ヶ国・地域の中堅企業経営者対象に行われ、景況感がよいとする人の割合から悪いとする人の割合を引いた景況DI値は日本が-86で悲観度トップです。DI値の低い国はタイの-63、仏の-60、高い方はブラジルの+50、インドの+83となっています(ブラジルやインドのDI値はかなりの好景気を示すもので、世界中が危機にあるかのような日本の報道からは想像できません)。
一方、周知のように欧米の金融機関に比べ日本の金融機関の損失は軽微とされ、円の価値の上昇は日本経済の比較優位の結果と見ることができます。輸出産業の落ち込みは大きいですが、日本のGDPに占める輸出の割合は15%で、これは英仏独の輸出比率18~38%に比べると、むしろ低い数値です。
日本の経済的状況は世界の中で最悪レベルではなく、日本の経営者が世界一悲観的という調査結果は現実を正しく反映したものとは思えません。民族的な特性として日本の経営者がもともと悲観的な性格を持っているとは考えにくく、もっとも強く疑われるのは、彼らが得ている情報に悲観的な偏り(バイアス)があるのではないかということです。その情報の多くはマスコミが提供したものです。
つまりマスコミが悲観的な情報を多量、かつ過大な扱いで流し続けたために日本の経営者が世界でもっとも悲観的になったと推測することができます。例えば1/23朝日新聞朝刊は「09年度成長率、日銀がマイナス2%予測 戦後最悪」を一面トップに掲載していますが、どこまで信頼できるかわからない予測を戦後最悪という説明までつけてトップに掲げることに疑問を感じます(日経トップは「日銀見通し、2年連続マイナス成長」)。
日本のマスコミには、大地震の後には震度1や2の地震まで細かく報道する、あるいは有名な食品偽装事件があると、取るに足りない同種の事件まで大きく報道するというように、トレンド(傾向、流行)を追う習性があります。これは独自性とは逆の、一種の付和雷同傾向と考えてもよいと思います(情けないことですが)。
危機の場合、その深刻さを表すニュースは高い価値を与えられ大々的に報道される反面、危機を否定する方向に働くニュースは無視あるいは軽視されます。それは深刻な危機というシナリオが一度出来上がると、当分の間、報道には危機という方向性が与えられてしまうようです。この方向性の決定はとても主観的なものであり、客観報道とは相反するものです。
人の判断は与えられる情報によって決定されます。情報が独立変数であり、判断は従属変数です。外部から見れば、人はある関数で規定される入出力装置と見ることができます。関数は人により異なり、奇人・変人は変わった関数をもっていると考えられますが、ある集団全体としての平均的な関数は安定したものと考えられるので、判断の平均値は情報によって決定されるといっても差し支えないわけです。
日本の経営者が世界一悲観的ということは、日本のマスコミの悲観的な偏向が世界一という推定が可能です。一つひとつの記事にウソはなくても、偏った記事の選択、過大な扱いによって結果的に誤った認識を与えているわけです。
悲観的になるのは経営者だけではありません。マスコミから情報を得ている消費者も世界一悲観的になるかも知れず、買い控えなどを通じて危機をさらに深刻化させるということになります。
「私たちが恐れなければいけないただ一つのことは、恐れそのものであるいうことである」-これは恐慌のさなかに大統領になったF・ルーズベルトの就任演説の一節です。
日本のマスコミは「恐れ」を拡大することが自分の仕事だと心得ているようです。これをやめさせるには、不況になればまっ先に新聞の購読を中止することがもっとも有効です。
(参考)不景気を増幅するマスコミという装置
一方、周知のように欧米の金融機関に比べ日本の金融機関の損失は軽微とされ、円の価値の上昇は日本経済の比較優位の結果と見ることができます。輸出産業の落ち込みは大きいですが、日本のGDPに占める輸出の割合は15%で、これは英仏独の輸出比率18~38%に比べると、むしろ低い数値です。
日本の経済的状況は世界の中で最悪レベルではなく、日本の経営者が世界一悲観的という調査結果は現実を正しく反映したものとは思えません。民族的な特性として日本の経営者がもともと悲観的な性格を持っているとは考えにくく、もっとも強く疑われるのは、彼らが得ている情報に悲観的な偏り(バイアス)があるのではないかということです。その情報の多くはマスコミが提供したものです。
つまりマスコミが悲観的な情報を多量、かつ過大な扱いで流し続けたために日本の経営者が世界でもっとも悲観的になったと推測することができます。例えば1/23朝日新聞朝刊は「09年度成長率、日銀がマイナス2%予測 戦後最悪」を一面トップに掲載していますが、どこまで信頼できるかわからない予測を戦後最悪という説明までつけてトップに掲げることに疑問を感じます(日経トップは「日銀見通し、2年連続マイナス成長」)。
日本のマスコミには、大地震の後には震度1や2の地震まで細かく報道する、あるいは有名な食品偽装事件があると、取るに足りない同種の事件まで大きく報道するというように、トレンド(傾向、流行)を追う習性があります。これは独自性とは逆の、一種の付和雷同傾向と考えてもよいと思います(情けないことですが)。
危機の場合、その深刻さを表すニュースは高い価値を与えられ大々的に報道される反面、危機を否定する方向に働くニュースは無視あるいは軽視されます。それは深刻な危機というシナリオが一度出来上がると、当分の間、報道には危機という方向性が与えられてしまうようです。この方向性の決定はとても主観的なものであり、客観報道とは相反するものです。
人の判断は与えられる情報によって決定されます。情報が独立変数であり、判断は従属変数です。外部から見れば、人はある関数で規定される入出力装置と見ることができます。関数は人により異なり、奇人・変人は変わった関数をもっていると考えられますが、ある集団全体としての平均的な関数は安定したものと考えられるので、判断の平均値は情報によって決定されるといっても差し支えないわけです。
日本の経営者が世界一悲観的ということは、日本のマスコミの悲観的な偏向が世界一という推定が可能です。一つひとつの記事にウソはなくても、偏った記事の選択、過大な扱いによって結果的に誤った認識を与えているわけです。
悲観的になるのは経営者だけではありません。マスコミから情報を得ている消費者も世界一悲観的になるかも知れず、買い控えなどを通じて危機をさらに深刻化させるということになります。
「私たちが恐れなければいけないただ一つのことは、恐れそのものであるいうことである」-これは恐慌のさなかに大統領になったF・ルーズベルトの就任演説の一節です。
日本のマスコミは「恐れ」を拡大することが自分の仕事だと心得ているようです。これをやめさせるには、不況になればまっ先に新聞の購読を中止することがもっとも有効です。
(参考)不景気を増幅するマスコミという装置