マイケル・ルイスの近刊「ブーメラン」を読んでなかなか面白かったので、前作「世紀の空売り」を読んだところ、こちらはもっと面白かったのでご紹介したくなりました。
まず「ブーメラン」にも簡単に触れます。副題に「メルトダウンツアーにようこそ」とあるように欧州危機をアイスランド、ギリシャ、アイルランド、ドイツと国ごとに異なる事情をリポートしたものです。
漁業で生計を立ててきた国が突如として国を挙げて金融にのめり込み、僅かな期間の栄華(という幻想)の後、膨大な負債を残したアイスランド。政府職員の平均給与は民間の3倍、国有鉄道の歳入が1億ユーロなのに対しその職員の年俸総額は4億ユーロ、脱税が日常のギリシャ。ツアーは国民性や文化にも言及しながら続きます。
例えばドイツについては、「ドイツの民俗には糞、泥、肥やし、ケツへの言及が著しく多い」という人類学者アラン・ダンデスの言葉を引用する一方、ユニークなドイツ流の挨拶を紹介しています。「わたしのケツを舐めたまえ」というもので、この心温まる挨拶には「きみから先に舐めたまえ」と返すのが慣例だそうです。お上品な方なら腰を抜かさんばかりの挨拶です。これが経済危機とどういう関係にあるかは不明ですが、まあこれはルイスのユーモア精神の表れなのでしょう。
もうひとつの本「世紀の空売り」は米国のサブプライム・モーゲージ債の危うさにいち早く気づき、その崩壊に賭けて大儲けした3人の男たちの物語です。ほとんどすべての人が信じていることに疑いを持ち、実行するという類まれな才覚と勇気をもつ男達(あるいは単なる変わり者)。巨大な崩壊へと向かう過程がリアルに描かれ、緊迫感が伝わってきます。また市場の主なプレーヤーの人物像も興味深く描かれ、優れた物語を読む楽しさがあります。
サブプライム債市場の崩壊はベア・スターンズやリーマン・ブラザーズを破綻させただけでなく、世界の経済に巨大な衝撃を与えました。新聞の解説などをよく読んだつもりですが、なぜ米国の住宅ローンの一部の焦付きがこのような巨大な波となって世界を襲ったのか、私にはよく理解できていませんでした。しかし本書を読んでそのカラクリが少しわかりました。いま思うとマスコミに登場する解説者もよくわかっていなかったのではないかという気がします。
ごく簡単に言うと、信用度の劣る住宅ローンを集め、加工して作られたCDOがトリプルAの格付けを得て世界中に大量に売られ、その多くが紙くずとなって大混乱を招いたわけですが、トリプルAを付与したムーディーズなどの格付け会社、主役である投資銀行の幹部、CDS(債権などが債務不履行になった時に補償する商品)を売る保険会社、監視する役割を担う政府機関、そのどれもがその危険性に最後まで気づかなかったと書かれています。金融工学を使ったCDOの複雑さがその危険性を覆い隠した思われます。
トリプルAという格付けは大きな役割を果たしたわけですが、そこには格付け会社に対する投資銀行の強い関与と格付け会社の無能という問題があったことが指摘されます。むろん格付け会社は責任を取らず、リーマンなど投資銀行の幹部は数千万~数億ドルを持って「カネと共に去りぬ」となり、世紀の宴は終わり迎えます。
本書から外れますが、その後、潰れかけた金融機関の救済には税金が投入されました。また各国では経済が急激に落ち込み、その対策のための政府支出の増加を招きました。残されたのは巨額の財政赤字というわけです。結局ババ(ジョーカー)を引いたのは各国の納税者ということになりますか。
リーマンショックの直後、日本でも危機対策として大型の補正予算を組み赤字国債発行額は当初の約33兆円から44兆円になりました。その後の民主党政権は平時でも44兆円を維持し、財政危機に向かっているのは周知の通りです。大きい財政赤字は政治の対応能力を弱めます。つまり必要なところに予算が回らなくなります。
サブプライム債の崩壊は全体としては巨大な詐欺事件のように見えます。しかし関係者がそれぞれの立場で強欲(グリード)に身を委ねただけであり、通常の詐欺事件のように意図した主体、核となる者がありません。したがって全体の責任をとる者は誰もいないという不思議なことになりました。
拝金主義者らの巨大な宴とも言え、その後始末に世界中が迷惑しているというわけです。グローバル化は地震を世界中に伝える装置のようなものであり、アメリカやギリシャで起きた局地的地震によって世界が激震に見舞われる結果となりました。
まず「ブーメラン」にも簡単に触れます。副題に「メルトダウンツアーにようこそ」とあるように欧州危機をアイスランド、ギリシャ、アイルランド、ドイツと国ごとに異なる事情をリポートしたものです。
漁業で生計を立ててきた国が突如として国を挙げて金融にのめり込み、僅かな期間の栄華(という幻想)の後、膨大な負債を残したアイスランド。政府職員の平均給与は民間の3倍、国有鉄道の歳入が1億ユーロなのに対しその職員の年俸総額は4億ユーロ、脱税が日常のギリシャ。ツアーは国民性や文化にも言及しながら続きます。
例えばドイツについては、「ドイツの民俗には糞、泥、肥やし、ケツへの言及が著しく多い」という人類学者アラン・ダンデスの言葉を引用する一方、ユニークなドイツ流の挨拶を紹介しています。「わたしのケツを舐めたまえ」というもので、この心温まる挨拶には「きみから先に舐めたまえ」と返すのが慣例だそうです。お上品な方なら腰を抜かさんばかりの挨拶です。これが経済危機とどういう関係にあるかは不明ですが、まあこれはルイスのユーモア精神の表れなのでしょう。
もうひとつの本「世紀の空売り」は米国のサブプライム・モーゲージ債の危うさにいち早く気づき、その崩壊に賭けて大儲けした3人の男たちの物語です。ほとんどすべての人が信じていることに疑いを持ち、実行するという類まれな才覚と勇気をもつ男達(あるいは単なる変わり者)。巨大な崩壊へと向かう過程がリアルに描かれ、緊迫感が伝わってきます。また市場の主なプレーヤーの人物像も興味深く描かれ、優れた物語を読む楽しさがあります。
サブプライム債市場の崩壊はベア・スターンズやリーマン・ブラザーズを破綻させただけでなく、世界の経済に巨大な衝撃を与えました。新聞の解説などをよく読んだつもりですが、なぜ米国の住宅ローンの一部の焦付きがこのような巨大な波となって世界を襲ったのか、私にはよく理解できていませんでした。しかし本書を読んでそのカラクリが少しわかりました。いま思うとマスコミに登場する解説者もよくわかっていなかったのではないかという気がします。
ごく簡単に言うと、信用度の劣る住宅ローンを集め、加工して作られたCDOがトリプルAの格付けを得て世界中に大量に売られ、その多くが紙くずとなって大混乱を招いたわけですが、トリプルAを付与したムーディーズなどの格付け会社、主役である投資銀行の幹部、CDS(債権などが債務不履行になった時に補償する商品)を売る保険会社、監視する役割を担う政府機関、そのどれもがその危険性に最後まで気づかなかったと書かれています。金融工学を使ったCDOの複雑さがその危険性を覆い隠した思われます。
トリプルAという格付けは大きな役割を果たしたわけですが、そこには格付け会社に対する投資銀行の強い関与と格付け会社の無能という問題があったことが指摘されます。むろん格付け会社は責任を取らず、リーマンなど投資銀行の幹部は数千万~数億ドルを持って「カネと共に去りぬ」となり、世紀の宴は終わり迎えます。
本書から外れますが、その後、潰れかけた金融機関の救済には税金が投入されました。また各国では経済が急激に落ち込み、その対策のための政府支出の増加を招きました。残されたのは巨額の財政赤字というわけです。結局ババ(ジョーカー)を引いたのは各国の納税者ということになりますか。
リーマンショックの直後、日本でも危機対策として大型の補正予算を組み赤字国債発行額は当初の約33兆円から44兆円になりました。その後の民主党政権は平時でも44兆円を維持し、財政危機に向かっているのは周知の通りです。大きい財政赤字は政治の対応能力を弱めます。つまり必要なところに予算が回らなくなります。
サブプライム債の崩壊は全体としては巨大な詐欺事件のように見えます。しかし関係者がそれぞれの立場で強欲(グリード)に身を委ねただけであり、通常の詐欺事件のように意図した主体、核となる者がありません。したがって全体の責任をとる者は誰もいないという不思議なことになりました。
拝金主義者らの巨大な宴とも言え、その後始末に世界中が迷惑しているというわけです。グローバル化は地震を世界中に伝える装置のようなものであり、アメリカやギリシャで起きた局地的地震によって世界が激震に見舞われる結果となりました。