噛みつき評論 ブログ版

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韓国の暴走、その2

2019-08-25 21:24:10 | マスメディア
 あおり運転男はカっとなって前後のみさかいを失う。そして冷静になってから代償の大きさを知る。これは個人の話だが、国にも感情があまりに「豊かなために」頭に血が上り、冷静さを失うことがあるようだ。こじれ(拗れる)にこじれた日韓である。韓国の振る舞いは感情に支配される子供の喧嘩に似ている。

 先週、日本が輸出の管理強化をし、強い姿勢示したことに対し、文在寅大統領に少し態度を軟化させ、対話と協調を求める発言が見られるようになった、と書いた。だが、日本がそれに反応しなかったとして、さらに強硬な手段に出た。これを見る限り、感情過多の反応に見える。

 一方、文政権のGSOMIA破棄は反日を示すことに自らの政権基盤を確実にするため、あるいは側近のスキャンダルを隠すためという話もある。さらには自由主義圏を離れ、北朝鮮や中国に接近するという本音の発現であるという観測もある。北朝鮮や中国は陰謀や粛清が日常の、したたかな国であり、信頼に値する国とは思えない。甘い理想主義者が互角に渡り合えるとはとても考えにくい。

 偉い学者や評論家などによって様々な観測が行われているが、本当のことはわからない。もしかしたらひどい誤認ゆえの行動であったり、ただの愚かさなのかもしれない。しかしひとつはっきりしたことがある。韓国の行動は合理的な考え方では予測できないということである。平たく言えば、なにをするかわからない国だということである。つまり信用できない。

 韓国は1965年の日韓基本条約や慰安婦問題日韓合意を反故にするなど、約束を守ろうという意識が元々薄いようだ。つまり自身の信用をあまり重要視していないように見える。それはしばしば嘘をつくことでもわかる。今回も韓国はGSOMIA破棄について米国の理解を得ていると話していたが、直後に嘘であることが米国の反応で分かった。それらに加えて予測不能の行動となると、もう付き合いは難しい。

 韓国という国が従来の軌道を外れ、どこに行こうとしているのかは大変興味深い問題である。文政権は高い支持を得ているのでそれは国民の選択でもあるが、合理的には考えられない方向へと向かっているようにも見える。それは否応なく周囲にも影響をもたらす。我々の安全にも関わってくるから、対岸の火事というわけにはいかない。これを奇貨として、日本が環境変化に左右されにくい安全保障体制の確立を考える機会となればと思う。

 ついでながら、日韓対立の最初の種を撒いた朝日新聞の見解を知りたいと思い、朝日の社説を見た。GSOMIA破棄の発表は22日だが23日の社説はこれに触れず、24日の社説の下段に載った。因みに優先度の高い上段には「羽田新ルート 住民の懸念忘れずに」とあり、朝日は飛行ルートが優先課題のようだ。

 下段に「国と地域の未来を考える冷静な思考を踏み外したというほかない。大統領はいま一度、熟考し、決定を覆すべきである」と述べ、韓国の判断を批判している。しかしそのあとがおかしい。以下の通り。

『①米政府は「失望」を表明している。だが、その米国も日韓に対して安保と貿易問題を絡める一方的な要求を繰り返してきた。今回の韓国の判断の背景には、米国自らが招いた威信の低下があるのも事実だろう。
 ②ロシアと中国は最近、日韓周辺に軍用機を飛ばし、共同で監視飛行する異例の挑発にでた。日韓の対立悪化と日米韓の連携のゆるみが、北東アジアの安保環境に影を落としつつある。
 ③こうした現状を顧みずに、強硬姿勢にひた走る外交は慎むべきだ。安倍政権は輸出規制強化の理由に安全保障面の問題を掲げたが、今回の文政権はそれを逆手に協定破棄に踏み切った。歴史問題から、経済、安保へと広がる対立の連鎖を断ち切らなくてはならない。
 ④文大統領は今月、植民地支配からの解放を祝う日の演説で、厳しい日本批判を控えた。だが報復合戦の根本にあるのは徴用工問題であり、この懸案を少しずつでも進展させなければ関係改善は望めない』

 段落①、米国が安保と貿易問題を絡める一方的な要求を繰り返してきたことが米国の威信の低下を招いたという意味にとれるが、理解できない。
 段落③、安倍政権は輸出規制強化の理由に安全保障面の問題を掲げたが、今回の文政権はそれを逆手に協定破棄に踏み切ったとある。これはほとんど韓国のいいがかりに近い。安倍政権が輸出管理を強化したのは安全保障上の懸念を払拭するためだが、韓国のGSOMIA破棄は安全保障の仕組みを壊したものである。安全保障という言葉は同じだが両者は次元の異なるものである。
 段落④、『根本にあるのは徴用工問題であり、この懸案を少しずつでも進展させなければ関係改善は望めない』としているが、これは韓国の言い分と同じである。朝日は1965年の日韓基本条約を韓国同様、否定する立場であることが分かる。どちらとも話を通じることは困難である。それに朝日は日韓対立に火をつけた先駆者である。多少とも反省の気持ちがあってもよいのだが、それはどこにも感じられない。

韓国の暴走、どこへ行く

2019-08-18 22:19:29 | マスメディア
 ものごとがこじれる(拗れる)とは複雑な事情が絡んで、物事がすらすら運ばなくなることを言う。韓国と日本はまさにその関係である。数十年前から良好とは言えなかったが、文在寅大統領の登場で新しいステージに入った。これ以上は望めないほどの拗れようである。

 日本にいると、手に入る情報は日本のメディアによるものがほとんどであるから、情報の偏りがあると想像できるが、日韓の問題に関しては、朝日・毎日など韓国の代弁をするメディアがあることから情報の偏りはそれほどないと思う。つまり日本国内では日本・韓国、双方の立場の事情が分かるというわけである。左派メディアのおかげだろう。その上での話である。

 韓国による謝罪や補償などの執拗な要求と、それを後押しするどころかリードする左派メディアの圧力によって日本は韓国に謝罪を続け、様々な譲歩を重ねてきた。その結果、韓国の反日感情が弱まることはなく、韓国の居丈高な態度はむしろ強まった。日本の外交の失敗であると思う。3品目の輸出手続きの管理強化に賛成する国民が95%と圧倒的なのはそれまでの日本外交に対する不満の鬱積ゆえであろう。そりゃ、自分たちの世代のことならともかく、2代前、3代前の日本人がした行為について謝罪と補償を際限なく要求されればうんざりするだろう。さらに事実の一部に朝日新聞社制作の捏造があるとなれば尚更である。

 国と国の関係は個人間の関係と似ている。いろんな人がいるようにいろんな国がある。信用できない人もいれば信用できない国もある。例えばゆすり・たかりをするような人間に甘い態度を示すと、つけあがり、次々と要求を突きつけてくる。譲歩すればさらに踏み込んでくる人もいる。逆に譲歩すれば相手も譲歩する種類の人間もいる。人も国も様々である。要は相手を自分と同じ種類であると決めてかからないことだ。

 文在寅大統領のやることはかなり危なっかしい。もし韓国が軍事的、経済的に優位であれば、日本は強い危機に陥るかもしれない。国家間の約束を簡単に破るが、その行為は国の信用を無くし、国益を大きく損ねる行為であるから、まともな国はまずやらない。信用を失うことの不利益は個人も国家も同じだ。

 日本に対する強気は、韓国の置かれた立場に関する認識の誤りに由来するのではないか。北朝鮮に対する「片思い」と北朝鮮の冷たい仕打ち、これも北朝鮮に対する見識の誤りを示すものだと思う。最低賃金額の改定も経済への無知が原因だろう。一言でいうと現実認識がおかしいのである。これは夢見る人によくある「症状」である。鳩山元首相が思い浮かぶ。一方、司法やマスコミの上層部に左派の人物を配するなど支配体制の強化は着々と進んでいると報道されている。現実的な部分もあるようだ。

 それはともかく、日本が輸出の管理強化をし、今までにない強い姿勢示したことは文在寅大統領に少し変化をもたらしているように見える。対話と協調を求める発言が見られるようになった。まだどうなるかわからないが、道理では一歩も動かないが「力」では軽く動くという国、人がいることを忘れないでおきたい。

 さらに韓国という一応は民主主義の国が、危ない大統領を選び、国を危ない方向に導くのを止められるかを注視したい。日本では鳩山氏を圧倒的多数で選んだが、それをやったのはマスメディアである。しかし1年も建たないうちに引きずり下ろしたのもマスメディアの力であろう。ただ鳩山内閣の失敗は明確であったので、マスメディアも理解ができたわけである。韓国の場合、メディアが左派に支配されればそれも難しくなる。民主主義の下で誕生した大統領が韓国を好ましくない方向に導くのを民主主義体制が止められるかどうかの実験でもある。

気象庁の非科学的表記法

2019-08-11 21:37:32 | マスメディア
 日本には毎年のように台風が訪れる。その都度、テレビや新聞には台風情報が載る。ところが台風の大きさと強さの欄が"―"と表記されていることがある。多くの人はこの台風は大きさと強さがまだ不明なのか、と理解するだろう。まさかそれが小型で、弱いという意味だとは想像しないと思う。

 気象庁のウェブサイトには用語の解説がある。それによると台風の大きさは3つに分類されている。風速15m/s以上の半径が800km以上を「超大型」、500kmから800kmを大型、500km未満を(表現しない)と記されている。(表現しない)のが"―"なのである。強さについても、詳細は省くが、風速によって4つに分類されている。強い方から「猛烈な」「非常に強い」「強い」そして弱いは(表現しない)となっている。

 気象庁の意図は「小型」「弱い」という表記は油断を招きかねないとして避けたいのだと思う。しかし"―"では誤解を生む。また、これは文学ではない。科学の分野であるからには表現は正確にするのが当然である。この表記の裏には読者・視聴者の理解力を小学生並みに低く見ている気持ちがあるのではないか。

 気象庁のウェブサイトには気象警報・注意報などに関する実に詳しい資料が載っている。しかしあまりに複雑すぎて理解が難しい。特別警報、警報、注意報、早期注意情報があり、それぞれ大雨や洪水、暴風などの気象現象との組み合わせになる。さらにこれとは別に短時間記録的大雨情報というものがある。これは別のページであり、全体との関係性はわからない。また問題を一層複雑にしているのが内閣府が発表する警戒レベルである。警戒レベルは1から5まであり、気象庁の警報などにある程度対応する。ある程度と言ったのは大雨特別警報はレベル5であるが高潮特別警報と高潮警報はレベル4、大雨警報と洪水警報がレベル3と、警報のレベルと警戒レベルが一致しないからである。こんなわかりにくいものを、よってたかってよく作ったものだと感心する。

 これらの情報を元に具体的な避難勧告や避難指示は自治体から出されるのだが、大雨の場合、避難勧告と避難指示は共に警戒レベル4に含まれる。緊急性が異なる勧告と指示が同じレベルというのはわけが分からない。7月3日、鹿児島市全域の約59万人に対して避難指示が出された。ところが実際に避難したのは0.6%に過ぎなかった。全域避難が問題になり、後で市の担当者が説明した。全域と言ったが、実際の避難指示は危険な地域に対してであったと。実にいい加減な釈明である。それなら避難指示の際に説明すべきである。他の例でも実際の避難者の率はこんなものだろう。これは結果的に気象庁、内閣府、自治体の出す情報が信用されていないことを示している。

 気象警報、避難情報にはわかりやすさと信頼性が重要である。気象庁は視聴者を小学生並みに見たような表現をしながら、一方で内閣府とともに複雑怪奇な情報の体系を作って国民に発表している。関係者は災害を防ごうと個々に努力しているのはわかるが、結果としては失敗していると言うべきだろう。避難率0.6%がそれを物語る。

 ついでながら数年前、気象庁は特別警報なるものを作り、発令の単位を府県単位とするという不思議な決定をした。府県単位は誰が考えても大きすぎる。この第一号は京都府などに出されたが、日本海側の大雨であった。100km以上離れた京都市も特別警報下に入り無用な混乱を招いた。逆に2013年10月の伊豆大島の豪雨災害では死者・行方不明者が39名を出したが、この時、特別警報が発令されなかった。府県単位の発令(つまりこの場合東京都全域となる)なので、伊豆大島だけの降雨予想では面積が足りず、出せなかったということらしい。降雨予想の地域が一定以上ないと発令できない仕組みらしい。最も緊急性の高い特別警報が出ていないことが住民の油断を招いた可能性がある。府県単位という当初の愚かさが招いた結果である(現在は改善されているそうである)。

ある精神科医の欺瞞

2019-08-04 22:43:54 | マスメディア
 京都アニメーション放火事件はまことに痛ましく、かつ理不尽なものであった。放火犯の動機についてあれこれ言われているが、どんな動機があったにせよ、まともな人間は罪のない社員を焼き殺すようなことには結びつかない。その意味でガソリン男は、精神科医の診断がどうであれ、精神異常者と見て間違いないだろう。

 7月29日朝、NHKラジオ第一放送に著名な精神科医である斎藤環氏が登場した。斎藤氏の主張は、京都アニメーション放火事件の犯人が精神障害者であるかのような報道がなされたことに関し、安易に精神障害者が危険人物とみなされることへの懸念であった。むろんこれはもっともなことである。しかし彼の説明は誤った数値を並べ、さらに都合の悪い事実を伏せるなど、学者として極めて不誠実なものであった。以下、斎藤氏の説明要旨を簡単に述べる。

「犯罪白書によれば精神障害者の検挙率は0.6%に過ぎない。精神障害者は全人口の2%を占めるので、精神障害者の犯罪率は一般より低い。また殺人・放火の重大犯罪に於ける精神障害者の再犯率はそれぞれ6.8%、9.4%なのに対して、一般は28.0%、34.6%であり、精神障害者の再犯率は低い」

 このように精神障害者は一般よりも安全であるとの主張をしているわけであるが、この数字に疑問を感じたので調べてみた。平成30年版の障害者白書によれば、精神障害者の数は知的障害者108万2千人(全体の0.9%)、精神障害者392万4千人(同3.1%)、合計500万2千人(同4%)である。斎藤氏の言う2%はどこにもない。また斎藤氏は殺人・放火の再犯率を提示しているが、これはあまり意味があるとは思えない。それよりも殺人・放火の重大犯罪に占める率がずっと重要である。平成30年版の犯罪白書によれば、精神障害者による殺人・放火犯罪はそれぞれ13.4%、18.7%に達する。つまり人口3.1%(4%?)に過ぎない精神障害者であるが殺人・放火に関しては一般よりずっと高い犯罪率なのである。犯罪全体でも精神障害者が占める割合は1.5%であり、斎藤氏の言う0.6%とは2.5倍もの開きがある。斎藤氏は犯罪白書をどう読んだのか。これほどのデタラメは理解困難である。大衆は小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい、と言ったのはヒトラーだが、これは大きな嘘である。

 斎藤氏は精神障害者の犯罪率という最も重要なデータを誤るだけでなく、精神障害者による殺人・放火が高い率で起きている事実を故意に伏せたものと思われる。精神障害者が誤った偏見を受けることは避けなければならないのはわかる。しかしそのために誤った情報を提供したり、故意に誤解を招くような情報の恣意的選択は許されない。そんなことをすれば朝日新聞と同じである。斎藤氏は数十冊に及ぶ本を出版している。本の大量生産がお得意のようだが、こんな不誠実な姿勢では本の信頼性にも疑念が生じる。

 また殺人・放火犯罪が13.4%、18.7%という事実は重大である(精神障害者などによる殺人の実数は117件)。なぜならその中には理不尽な、つまり合理的に予想できないような犯罪が含まれるからである。被害者になる理由、つまり因果関係がなければ犯罪を予想して避けることなど、不可能に近い。殺人・放火犯罪が13.4%、18.7%といっても絶対数ではたいしたことはないのであまり怖がることはないと思うが、こんな重大な事実を伏せてまで自分の主張を通す態度は許せるものではない。

 これを全国放送したNHKもその嘘に加担した。誤解を日本中に広める手助けをしたわけである。間違いであるならば訂正広告を出すのが当然である。番組は「三宅民夫の真剣勝負」という気負ったセリフがジャジャジャジャーンという大音量の音楽の後に出てくる印象の悪いものだが、三宅氏とのやり取りを聞いていると、予め打ち合わせているのがわかる。当然、チェックの機会はあったと思う。怠慢というか無能というか、公共放送として情けない。ついでに言うと、三宅氏の質問も的確さを欠き、しかも緩慢である。失礼ながらこの役はもっと頭の切れる人がふさわしいと思う。