どの店で買うか、どの商品を買うかはすべて消費者の選択に委ねられます。販売者はひたすら選ばれる立場です。商品やサービスの供給が需要を上回る社会では選択権は消費者側にあり、販売側は選ばれるために絶えまない努力を強いられます。努力をやめれば脱落することを意味します。
日本の消費者は商品の品質やサービスの質にうるさく、商品やサービスの質は高いレベルにあるといわれています。そのためもあって、自動車や家電など日本の工業製品の品質の高さは定評があります。
サービスに於いても同様です。私はよく通販を利用しますが、早ければ翌日に届きます。宅配便による配達が夜遅くになることもしばしばですが、彼らは笑顔で応対してくれます。私はあまり利用しませんが配達の時間指定まで可能で、便利になったものです。消費者にとってずいぶん居心地のよい社会になりました。
少し昔、知人がアメリカ製の大型バイク、ハーレーダビットソンを買い、オイルが漏れるので販売店に相談したところ、「漏れるのが普通だ」と取り合ってもらえなかったそうです。ハーレーのオイル漏れは最近でも有名なようで、これがアメリカンクォリティだと皮肉られたりします。過剰品質といわれる日本とは対極の、おおらかなお国柄なのでしょう。
商品の質を高め、価格を低下させる競争は消費者にとっては利益であることが多く、ほぼ無条件によいこととされてきました。その背景には独占や寡占体制、あるいは不公正な規制による競争制限の弊害があったのでまあ仕方ないですが、競争は善、競争制限は悪、という考え方は単純すぎるように思います。
過度の競争状態は生産者・販売者側に強い負担となります。数百円の買い物でも丁寧に頭を下げてくれますが、紳士的な客ばかりではありません。販売員に怒鳴るような客は見ていても不快ですが、そのような客に頭を下げるのはストレスがたまることでしょう。宅配便の時間指定は便利な反面、同じ地域を何度も回るという不効率と仕事量の増加を生みます。食品の安全性に対するマスコミの厳しすぎる要求は生産者・販売者側に強いストレスをもたらすでしょう。
競争が激しくなるほど消費者のわがままを満たすことが必要になり、生産・販売側の仕事はきつくなって、従事している人の負担が増えます。消費者としてはわがままが通る天国であっても、消費者の多くは生産・販売者でもあるので、片足は地獄に置いているわけです。
仕事のストレスなどが原因で労災認定された鬱病などの精神疾患を患った人は連続して増加しているそうです。またOECDのFactbook2009によると、日本人の主観的幸福度は34カ国中、下から9番目という低さで、日本はロシア、韓国、ブラジルにも及びません。社会心理学者のホワイトによると日本人の幸福度は178カ国中90位となっています。これには生産・販売者としての居心地の悪さが関係しているのではないかと思います。
オイル漏れが普通というのもちょっと困りますが、消費者を過度に持ち上げる風潮は一方でモンスターペアレントなど理不尽な要求をする連中に栄養を与えているとも言えるでしょう。
市場の競争が効率性を生むのは承知していますが、「過ぎたるは及ばざるが如し」であります。世の中には競争が好きな人もいれば、嫌いな人もいます。競争が嫌いな人や、物質的豊かさにあまり価値を認めない人にとって、競争を強いられる社会はたぶん居心地が良いものではないでしょう。過度の競争がもたらす負の側面にもう少し注意が向けられてもよいと思います。
日本の消費者は商品の品質やサービスの質にうるさく、商品やサービスの質は高いレベルにあるといわれています。そのためもあって、自動車や家電など日本の工業製品の品質の高さは定評があります。
サービスに於いても同様です。私はよく通販を利用しますが、早ければ翌日に届きます。宅配便による配達が夜遅くになることもしばしばですが、彼らは笑顔で応対してくれます。私はあまり利用しませんが配達の時間指定まで可能で、便利になったものです。消費者にとってずいぶん居心地のよい社会になりました。
少し昔、知人がアメリカ製の大型バイク、ハーレーダビットソンを買い、オイルが漏れるので販売店に相談したところ、「漏れるのが普通だ」と取り合ってもらえなかったそうです。ハーレーのオイル漏れは最近でも有名なようで、これがアメリカンクォリティだと皮肉られたりします。過剰品質といわれる日本とは対極の、おおらかなお国柄なのでしょう。
商品の質を高め、価格を低下させる競争は消費者にとっては利益であることが多く、ほぼ無条件によいこととされてきました。その背景には独占や寡占体制、あるいは不公正な規制による競争制限の弊害があったのでまあ仕方ないですが、競争は善、競争制限は悪、という考え方は単純すぎるように思います。
過度の競争状態は生産者・販売者側に強い負担となります。数百円の買い物でも丁寧に頭を下げてくれますが、紳士的な客ばかりではありません。販売員に怒鳴るような客は見ていても不快ですが、そのような客に頭を下げるのはストレスがたまることでしょう。宅配便の時間指定は便利な反面、同じ地域を何度も回るという不効率と仕事量の増加を生みます。食品の安全性に対するマスコミの厳しすぎる要求は生産者・販売者側に強いストレスをもたらすでしょう。
競争が激しくなるほど消費者のわがままを満たすことが必要になり、生産・販売側の仕事はきつくなって、従事している人の負担が増えます。消費者としてはわがままが通る天国であっても、消費者の多くは生産・販売者でもあるので、片足は地獄に置いているわけです。
仕事のストレスなどが原因で労災認定された鬱病などの精神疾患を患った人は連続して増加しているそうです。またOECDのFactbook2009によると、日本人の主観的幸福度は34カ国中、下から9番目という低さで、日本はロシア、韓国、ブラジルにも及びません。社会心理学者のホワイトによると日本人の幸福度は178カ国中90位となっています。これには生産・販売者としての居心地の悪さが関係しているのではないかと思います。
オイル漏れが普通というのもちょっと困りますが、消費者を過度に持ち上げる風潮は一方でモンスターペアレントなど理不尽な要求をする連中に栄養を与えているとも言えるでしょう。
市場の競争が効率性を生むのは承知していますが、「過ぎたるは及ばざるが如し」であります。世の中には競争が好きな人もいれば、嫌いな人もいます。競争が嫌いな人や、物質的豊かさにあまり価値を認めない人にとって、競争を強いられる社会はたぶん居心地が良いものではないでしょう。過度の競争がもたらす負の側面にもう少し注意が向けられてもよいと思います。
今朝見たニュースでライターの安全装置が取りざたされていました。車火災で子供が死亡し、父親の証言で車内にライターが放置されていたらしいことがわかり、それらしき燃えかす(カケラ)も見つかったとのことから(数年前にも住宅火災で似たようなシチュエーションの事件があったとか)生産者団体の長が会見を行って安全装置の必要性を自ら発言するといった内容でした。そして日本のマスコミが好む表現として「アメリカの例」も併せて報道されていました(アメリカではすでに子供が簡単に着火できないような安全装置を取り付けたライターを販売しているのだそうです)。
例えば100円ライターに安全装置を取り付けて、3歳児では着火できなくしてみても、5歳児ならば着火できるかもしれない。そうして類似事故を5歳児が引き起こすと今度は対象年齢を上げてより複雑化した安全装置を組み込んだライターを開発するのでしょう。しまいには18歳以下では使えないよう、身分認証機能付きライターの製造が義務づけられたりして。いったいいくらするんだろう? そのライター(^_^;)
ここで問題にすべきは製造者責任ばかりなのでしょうか。保護者(消費者)の果たすべき責務はなかったのでしょうか。扱いに注意が必要なモノは子供の手の届かないところへ保管するとか、十分な言い聞かせをしておくとかの予防措置をとるべきではなかったのか。
もし器具(この場合はライターですが)に、ひいては製造者にのみ責任が生じるのであれば世界から刃物や兵器関連メーカーは消えてなくなることでしょう。自動車を始めとした乗り物もだめですね。他にもたくさんありますが、本来有るべき用途と使用方法を逸脱した際の責任は使用者(消費者)側にもあるはずだし、大概の取扱説明書や保証書にはそのように書いてあるはずなのですが……。
しかし製造者や販売者は「消費者のニーズ」に応えることが利益に繋がるとの観点からやはり「社会的要求」に迎合して行かざるを得ないのでしょう。なにやらスパイラルな相関関係ができあがってしまっているみたいな、最早抜け出せない無間地獄に陥っているカンジですかね。
それにしても主観的幸福感178カ国中90位ですか。ほぼ中間点の位置取りですね。さすが中流好きの日本人ですね。ストレスは一流だけど。
ハーレー、ご存知のようですね。国産ではオイル漏れは半世紀前の問題です。
ライダーによる火災の件は当然親が注意すべき問題だと思います。生産者が責任をもつべきものではないでしょう。
しかし着火を難しくして事故が減るようならぱそうした方が良いという考えも成り立ちます。そうしたことが消費者を甘やかすことになっているのですが。