滋賀県東近江市の湖東記念病院で入院患者を殺害したとして12年間服役した元看護助手西山美香さんの無罪が確定した。4月2日、大津地検が上訴権を放棄したことによる。西山さんの逮捕から12年の服役を含め、無罪確定まで約16年の歳月が過ぎた。人生のもっとも輝かしい時期を殺人犯として獄中で過ごす、これほどひどい人権侵害はないと思うが、これに対して誰ひとり責任を取らず、謝罪すらない。
彼女を殺人犯に仕立て上げたのは山本誠刑事(45)を中心とする滋賀県警とされる。しかしその事件の真偽を判断するのが仕事である筈の裁判所は一審、二審、最高裁とすべて誤りを犯した。何のための三審制か。この背景には起訴有罪率99.9%(年度により少し差がある)という日本独特の司法制度があると思う。
99.9%という有罪率は起訴をする検察がほとんどすべての有罪・無罪を決めているということを意味する。裏返せば裁判所は有罪・無罪を決定するところではないということだ。主な仕事は検察側が求刑する量刑を2割ほど割引いて判決を言い渡すことである。99.9%を検察が決めるという状態では、裁判所は有罪・無罪の判断能力を求められないし、判断能力も維持できないだろう。
99.9%の起訴有罪率は本当に有罪の者だけを起訴しているのだから優れた制度だ、と言う見方がある。確かにそういう側面はある。だが怪しい者でも起訴する自信がなければ野放しと言うことになる。しかし検察という捜査機関が裁判まで担うことは大きな問題である。裁判の本来の意味が失われるわけであり、北朝鮮並みのやり方になる。元判事の井上薫・弁護士は「私も刑事事件を2000件ほど手がけましたが、無罪判決は1件だけでした」と述べる。この方の場合有罪率は99.95%である。
裁判所の判事と検事とは人事交流があり、両者の関係は友好的であり、緊張状態とは言えない。99.9%には裁判所の検察に対する信頼があると思われる。つまり両者は実質的に独立した機関とは言えないのではないか。
西山さんの事件では彼女の無罪を示す証拠を警察が提出しなかったとされる。警察や検察は決して無謬ではない。偶然の出来事が誰かを犯人だと思わせるような状況を生むこともある。そうした場合の、誰もが間違うような場合の判断ミスは仕方がない。しかし、西山さんの事件はそうではない。無罪を示すような証拠を故意に提出しなかったことは山本誠刑事ら警察が西山さんを殺人犯に仕立て上げたこと、つまり自らが有罪の決定をするつもりであったことが推定できる。
自然死した人を殺害したとして事件を創作し、殺人犯人をでっち上げるのは論外である。しかも犯人とされたのは軽度の発達障害のある若い女性である。社会経験の少ない弱い女性を大の男が寄ってたかって罪に陥れたもので、卑劣極まりない。警察・検察は事件の犯人を捕まえたら評価される。担当刑事は評価されたことだろう。その小さな評価と無実の女性のかけがえのない人生とは比較にもならない。事件の主役、山本誠刑事はその後特別公務員暴行陵虐罪で書類送検されたが不起訴、現在、県警本部警部に昇進しているそうだ。殺人犯をでっち上げても評価は下がらないようである。
こんな理不尽なことが起きて、謝罪なし、責任なしでは納得できるわけがない。それがまかり通るなら、司法制度の問題と考えなければならない。残念なことにこの事件ではマスメディアの反応が弱い。前に書いたが、朝日に従軍慰安婦の記事を書いた植村隆氏の裁判に手弁当の弁護士が170名も駆けつけたのと大違いである。政治信条には熱心な彼らだが、本心では人権問題などには関心がないのかもしれない。偽善の匂いがする。
こんな理不尽なことが起きることを防ぐにはマスメディアのキャンペーンによって制度を動かすしかないだろう。ダイオキシンや環境ホルモン、モリカケのような、ロクでもない騒ぎではなく、たまには役立つことをやっていただきたい。
参考 関連拙記事
事件の詳細をお知りになりたい方は片岡 健氏による次の記事が参考になります。
再審開始の湖東記念病院事件 県警の捜査資料から新たな疑惑
彼女を殺人犯に仕立て上げたのは山本誠刑事(45)を中心とする滋賀県警とされる。しかしその事件の真偽を判断するのが仕事である筈の裁判所は一審、二審、最高裁とすべて誤りを犯した。何のための三審制か。この背景には起訴有罪率99.9%(年度により少し差がある)という日本独特の司法制度があると思う。
99.9%という有罪率は起訴をする検察がほとんどすべての有罪・無罪を決めているということを意味する。裏返せば裁判所は有罪・無罪を決定するところではないということだ。主な仕事は検察側が求刑する量刑を2割ほど割引いて判決を言い渡すことである。99.9%を検察が決めるという状態では、裁判所は有罪・無罪の判断能力を求められないし、判断能力も維持できないだろう。
99.9%の起訴有罪率は本当に有罪の者だけを起訴しているのだから優れた制度だ、と言う見方がある。確かにそういう側面はある。だが怪しい者でも起訴する自信がなければ野放しと言うことになる。しかし検察という捜査機関が裁判まで担うことは大きな問題である。裁判の本来の意味が失われるわけであり、北朝鮮並みのやり方になる。元判事の井上薫・弁護士は「私も刑事事件を2000件ほど手がけましたが、無罪判決は1件だけでした」と述べる。この方の場合有罪率は99.95%である。
裁判所の判事と検事とは人事交流があり、両者の関係は友好的であり、緊張状態とは言えない。99.9%には裁判所の検察に対する信頼があると思われる。つまり両者は実質的に独立した機関とは言えないのではないか。
西山さんの事件では彼女の無罪を示す証拠を警察が提出しなかったとされる。警察や検察は決して無謬ではない。偶然の出来事が誰かを犯人だと思わせるような状況を生むこともある。そうした場合の、誰もが間違うような場合の判断ミスは仕方がない。しかし、西山さんの事件はそうではない。無罪を示すような証拠を故意に提出しなかったことは山本誠刑事ら警察が西山さんを殺人犯に仕立て上げたこと、つまり自らが有罪の決定をするつもりであったことが推定できる。
自然死した人を殺害したとして事件を創作し、殺人犯人をでっち上げるのは論外である。しかも犯人とされたのは軽度の発達障害のある若い女性である。社会経験の少ない弱い女性を大の男が寄ってたかって罪に陥れたもので、卑劣極まりない。警察・検察は事件の犯人を捕まえたら評価される。担当刑事は評価されたことだろう。その小さな評価と無実の女性のかけがえのない人生とは比較にもならない。事件の主役、山本誠刑事はその後特別公務員暴行陵虐罪で書類送検されたが不起訴、現在、県警本部警部に昇進しているそうだ。殺人犯をでっち上げても評価は下がらないようである。
こんな理不尽なことが起きて、謝罪なし、責任なしでは納得できるわけがない。それがまかり通るなら、司法制度の問題と考えなければならない。残念なことにこの事件ではマスメディアの反応が弱い。前に書いたが、朝日に従軍慰安婦の記事を書いた植村隆氏の裁判に手弁当の弁護士が170名も駆けつけたのと大違いである。政治信条には熱心な彼らだが、本心では人権問題などには関心がないのかもしれない。偽善の匂いがする。
こんな理不尽なことが起きることを防ぐにはマスメディアのキャンペーンによって制度を動かすしかないだろう。ダイオキシンや環境ホルモン、モリカケのような、ロクでもない騒ぎではなく、たまには役立つことをやっていただきたい。
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再審開始の湖東記念病院事件 県警の捜査資料から新たな疑惑
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