1986 年 1 月 28 日午前 11 時 39 分、
アメリカのケネディ宇宙センターを飛び立ったスペースシャトル 「 チャレンジャー 」 は
73秒後、爆発事故により炎に包まれました。
亡くなった宇宙飛行士 7人のなかに
ハワイ島生まれの日系三世エリソン・オニヅカ氏 がいました ( 39歳で殉職 ) 。
同氏の父方の祖父母はうきは市浮羽町高見の出身で、
1983年に家族と先祖の墓参りに 訪れた際、
浮羽中学校での記念講演で 「 夢に向かって努力しよう。きっと夢はかなえら れる 」 と語り、
生徒たちに勇気を与えました。
また、没後 10年の 1996年に地元で追悼式 や夫人ローナさんによる記念講演も開催、
同年地元で架け替えられた橋が 「 エリソン・ オニヅカ橋 」 と名付けられました。
没後 30 年目の命日、2016年 1月 28 日には、
エリソン氏の先祖の住居跡で、
「 エリソン・ 鬼塚氏を後世に語り継ぐ実行委員会 」 主催の慰霊祭が開催され、
同年 3月には、祖父母 の住居跡と、
エリソン・オニヅカ橋への中学校生徒会作製の説明看板の設置に取り組みま した。
さらに、同年 9 月 14日、 「 知事のふるさと訪問 」 で、
福岡県の小川洋知事がエリソン・ オニヅカ橋を訪れ、
実行委員会や地元中学生が 「 語り継ぐ 」 取組について紹介しました。