7月13日(土曜日)14時から、アイビーホール青学会館に於いて首記文化講演会が開かれた。
講演会への出席者数144名とのこと。
その模様について簡単にお伝えします。
定刻になったので伊豆野文化芸能部会長が司会を務め、まず山本首都圏佐渡連合会会長の挨拶で始まる。
山本会長の挨拶。
山本会長は、今回講演をされる山本修巳先生宅に立ち寄ったときのことや山本家の生い立ちについて話された。
続いて、佐渡市から出席した伊藤副市長があいさつに立った。
伊藤副市長は、
① 島内は人口減が進んでおり、年間約1000人減であること。
② 佐渡金銀山の世界遺産国内推薦の現状。
③ 来年のオリンピックの聖火が佐渡島内を駆け巡る予定であること。
④ 春のジェットホイルの正体不明の物体に衝突した件。
⑤ 先日の新潟、秋田地震での被害がなかったこと。
等について詳細に説明された。
首都圏佐渡連合会坂田相談役が講師の山本先生と同期ということからあいさつに立ち、山本先生との思い出を述べられた。
司会者から今日の講師山本先生を紹介。
山本先生の講演状景。
先生は、大台を超えた年齢のため椅子に座って公演を始めた。
まず、江戸時代に作成された鳥観図が当家にもあったと知らされていたがわからず、3年ほど前に東大史料編纂室で見つかったことを話された。大変珍しいものであると言われていることを話された。
先生はスライド等を使わず、次写真のような5ページに及ぶあらかじめ配布した資料に基づいて話が進められた。
資料表紙に示されているように、山本家の先祖から400年に及ぶお話であった。
山本家の初代の清九郎が寛永7年(1630年)に16歳の時、親族とともに佐渡にわたって来、佐渡相川金銀山の仕事に就いたことから始まり、真野新町に移住したこと、仕事内容等について、また、清九郎の二世、三世の仕事内容、塩の在庫、質屋業、酒造業、金融業等をしていたこと そして 半衛門時代に奉行所との関係 その地位を高めたこと 等について詳細に話された。
中間に休憩があったが約2時間講演が続いた。
講演後質疑を2人から受けた。
なお、終りにあたって司会者から、先生に同行され上京された奥さんが紹介された。
次いで、佐渡市から出席された山本地域振興課長が約30分間、地域振興課が現在進めていることについてスライドを使って説明された。
地域進化の現状を話される山本課長。
山本課長は、特にふるさと納税への協力や「さどまる俱楽部」への加入紹介であった。
プログラムに則り予定通り終了したので、閉会の挨拶が郷土連絡委員会榎谷委員長によって行われ、終了解散となった。
懇親会は、3階に変えて行われたが、小生は、所用のため直接帰宅の途に就いた。
今日の山本先生の講演会の感想を述べさせていただきますと、山本家の来島400年について詳細に話されましたが、佐渡島との関連特に金銀山相川奉行所との関連を述べられたら出席者の皆さんもさぞ理解されたのではないかと思いました。