デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 
















飾耳、菱環紋様帯(りょうかんもんようたい)、鋸歯(きよし)紋、重弧紋、紐脚壁、いろいろと用語をメモしたが未だに用語と図像がしっかりと一致しない(笑)。
飾耳は一枚目と三枚目にあるようにまさに「耳」のような飾り、菱環紋様帯鋸歯紋は一枚目や三枚目に見られる菱形の紋様が紐を通す穴を環(わ)のようにとりまいている帯状の模様、五枚目の左に見えるノコギリのようなデザイン、紐脚壁は三枚目に見られる紐を通す穴の下辺に見られる壁である。
銅鐸の種類によっては、紋様も異なるものもあるし、飾耳がついていないものもあるし、人や武器や動物の絵が描かれていたりするものもある。
ところで、銅鐸の神秘に負けず劣らず、博物館では印象に残ったものがある。それは大岩山での銅鐸発見時のエピソードを繰り返し大音量で流していたことであった。1881年8月20日、小野田金太郎(当時14才)と森岩松(当時16才)が大岩山へ遊びに行って銅鐸を見つけ、間もなくして井狩半吉、冨田仙吉、桜田八治郎、高橋半治郎の4名が掘り出して警察に届けて、という内容だった。展示内容にはそのときに警察で作成された書類まであったのだが、スピーカーから個人名を連呼されていると、否応無しに覚えてしまうものである(笑)。
その後、インフラ整備のために山を削った際、新たな銅鐸が見つかったことも触れていた。しかし、銅鐸の末路についてのエピソードで最も印象に残ったのは、いくつもの銅鐸がいつの間にか所在が分からなくなってしまい中には、今尚二つの銅鐸が行方不明であること、しかし粘り強い調査の結果、日本中に散らばっていたりアメリカやドイツに渡ってしまってた銅鐸の所在を突き止めた学者の話だったかもしれない。

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