デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



アレーヌ・ド・リュテス(リュテス闘技場)



訪れていたのはこの親子連れと私だけだった



















ヨーロッパの主要都市のいくつかは古代ローマ帝国と関わっているところ少なからずあるわけだし、例え事前にローマ帝国の地方都市について調べていなかったとしても、訪ねた場所にローマ時代の遺跡がありました、といったようなことは有りうる話だ。
日本を発つ前にパリのリュテス闘技場に足を運ぶかどうか迷っていたように思うが、外国旅行の場合「迷ったところは行く」の精神でいるので、ギュスターヴ・モロー美術館を出た後、足が棒になりつつも地下鉄を駆使し足を運んだ。
リュテス闘技場に対しては変わった形の公園だな、というのが第一印象だった。闘技場に佇んで思ったのはユリアヌスうんぬんではなく、ユリウス・カエサルのガリア遠征のあとに町のローマ化を進めていった将兵たちのことだった。
私は、リュテス闘技場建設にはアウグストゥスの軍縮政策で地方にやってきた将兵たちの末裔も関わっていたんじゃないかと思っている。アントニウスとクレオパトラの軍に勝利したあとの30万人もの軍人たちを国の予算で養おうとすると数年後に国庫が破綻してしまうことを憂いだアウグストゥスは、軍人の約50パーセント削減のリストラ政策を行う。そのリストラ政策とは将兵たちにヨーロッパ各地でローマ型の都市を建設させ、そこに彼らの土地を与えて上流階級として住み続けてよいという特権もあたえたものだった。この政策でアウグストゥスは各地に120もの都市を建設させたという。
そういえば、アウグストゥスの右腕であるアグリッパはガリア、ヒスパニア、ゲルマニアに重要なインフラ設備を作ったが、これはある意味、自らが地方都市建設の旗印となることと、軍縮政策がきちんと滞りなく行われているか見届けるための二つの目的があったのかも知れない。ローマ帝国の繁栄の理由の一つには、法律の施行者が激務の中、率先して作られた法律がきちんと運営されているところまで見届けたところにもあるのだが、その姿、見届ける行動力を市民が目の当たりにできることが実は大きい要素なんだと思う。無味乾燥に紙切れ一枚だけで布告されたものより、ロゴスや行動でもって心に訴えかけられた体験の方が人々を動かす事実は、いつの時代も変わらないのである。

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