デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ソメラール通りから「ユリアヌスの浴場」を見る



「ユリアヌスの浴場」

雨の日だった。パンテオンからスフロ通り、スフロ通りからサン・ミシェル通りに入り、ソルボンヌ大学を横目にしながらまっすぐ行くと浴場の廃墟の姿が目に入ってきた。ここに来れたのは、中世美術館に行きたかったこと、一部の地区を重点的に歩いて回っていたことと、運がよかったこと、そして次回に紹介するところにも行きたいと思っていたからなのだと思う。もっとも、再掲のこの画像をカメラに収めたのは、あきらかに周囲の建物とは異なる風貌をしているし、なぜここだけが廃墟になってるのかといった疑問だけでのことだったが。
『背教者ユリアヌス』とその解題を読んで、パリという都市の名前がルテティアに住んでいたパリシー族に由来すること、辻邦生が1957年秋にはじめてパリを訪れた際、フランス文学者の森有正にクリュニー博物館の四つ角にある廃墟が「ユリアヌスの浴場」と呼ばれていることを教えてもらったことを知った。今となってはこれらの画像は、私にとってまた新たなる意味が加わったものになった。

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