そんなこんなで、ようするに私は、プルーストがかつて行ったラスキン巡礼をしたい、「死と復活を象徴するつがいの鳥」の装飾を探したい、ただそれだけのためにヴェネツィアに日帰りで行ったわけである。
この装飾を見つけるため、日本語訳の『ヴェネツィアの石』(法藏館)も読んだし、吉川一義『プルースト美術館』(筑摩書房)、鈴村和成『ヴェネツィアでプルーストを読む』(集英社) 、P・M=チリエ『事典プルースト博物館』(筑摩書房)、タディエ『評伝プルースト』(筑摩書房)その他を読んだが、どれ一つとしてこの装飾が残っている場所がどこなのか、正確には書いていなかった。これらの本にあるのは、(確かになんとなく似たようなものはあるものの)「サン・マルコ寺院やドゥカーレ宮殿の柱頭によく見られるモティーフなのである」という程度で、ひょっとして実際に探し当てたことなどないのではといった勘ぐりを、今でも正直捨てることはできない。
五年以上に渡ってスカイプでいろいろとおしゃべりしている友人Sさんの友人Kさんから、ある時、装飾のある場所を教えていただいた。欧米の研究者でヴェネツィアの歴代の建築や装飾の研究をしている人からの情報をKさんが得られたとのことなので、今回こそ確実に見つけられると思い、その場所、カルミニ教会(Chiesa di Santa Maria dei Carmini)の出入口のファザードに足を運んだ。
「ずっと前からここにいるんですが、何か?」といわんばかりに「死と復活を象徴するつがいの鳥」は私を見下ろしていた。私は何やら独り言をぶつぶつ呟きながら、ただ「つがいの鳥」に思いを馳せ、きれいな写りになるよう、何度かシャッターを切るのだった。実物を見たことで訪れることのある幻滅はなかった。それがうれしかった。
この日のヴェネツィアは風が強く、曇りがちだったが、昼過ぎに空きっ腹をかかえて「死と復活を象徴するつがいの鳥」へと近づくにつれ日差しが強くかつ暖かくなり、抜けるような青空へと変わっていった。それは、まるで5月の空模様だった。1900年5月にプルーストがヴェネツィアに滞在していたときも、こんな感じだったのだろうかと、「つがいの鳥」を何度も見上げながら思った。