11月19日(土)、徳島市伊賀町で、徳島科学史研究会の例会が行なわれ、参加しました。今日の参加者は7名でした。右は例会で、参加者が、資料を見ながら議論しているところです。
この研究会は、参加者がそれぞれ、レポートを持ち寄って何らかの発表をします。今回、私が発表したのは「安政南海地震を伝える松茂町の敬渝碑について」と題して、徳島県板野郡松茂町中喜来の春日神社境内にある「敬渝碑」(自然が変化することを敬い恐れる碑)の内容について紹介したものです。安政元年(1854)11月4日に東海地震、11月5日に南海地震、11月7日に豊予地震が起き、日本はこの数日で揺れに揺れます。その時の恐ろしい記録を後世に残すために当時の人々は各地にその様子を石碑でたくさん残します。この碑もその一つなのですが、欧陽詢風の美しい楷書の碑です。文字も素晴らしいのですが、今年のように大地震が来ると、内容がとても気になったので、詳細に現代語訳してみました。
この内容は、いずれ、大学の紀要に載せて、インターネットで公開予定ですので、今回の紹介はこれくらいにしておきます。写真の後ろに飾られている拓本がこの碑の拓本です。
今日の他の参加者の発表課題は以下の通りです。
・中国湖南省長沙市訪問雑録 ・人一倍 ~和算のなごり~ ・小説「坊ちゃん」と徳島の人たち ・放射線で亡くなった最初の日本人、物理学者山田延男 ・鎌田共済会郷土博物館について ・日本が生んだ乾電池 ・ワシントン医学会参加報告(カプサイシンの効果について)
この研究会の話題は多彩で非常に面白いですし、また勉強になります。数学・化学・物理関係を学んでいる方々が多く、普段自分がほとんど知らない世界について紹介して下さるからです。
21世紀は「学際」の時代であるということは以前から感じています。しかし、長いこと分野別に区切られてきた日本の学者がすぐには学際的になれないのも無理はありません。まずはこの研究会のような雑学的な、楽しい集まりから始めるべきだと思っています。
なお、この日の会場には、個人のお宅だったのですが、たまたま金子鷗亭の掛け軸がさりげなく掛けてあり、とても見応えがありました。印には「北海鷗亭」と彫られていました。彼は北海道の出身でしたね。多分若い頃の作品ではないかと思います。上田桑鳩や手島右卿の作品と共通点が多かったです。
会場の伊賀町は、江戸時代に、徳島藩の伊賀者、つまり伊賀忍者が住んだ町です。ポルトガルの外交官で、日本人の芸者さんと結婚して、神戸から徳島に移り住んだモラエスはこの近くに住んでいて、昭和初期まで健在だったそうです。この隣町に弓町があり、貫名菘翁の生誕地です。両町とも、眉山の南側のふもとにあります。神社や寺院が多く、良い雰囲気の場所です。
南海地震も、誘発されるのではないか、との話もよく聞かれますが、
徳島は、海抜が低いので、津波がきたら、どういうことになってしまうのだろうと心配です。
いろんな専門の方々が、それぞれの研究を持ち寄る会は、楽しそうですね。