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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

庭の松

2006-05-05 22:53:04 | 未分類過去
近所のお宅の門のところに枝振りのよい松があり、私はその松が気に入っています。土地はそう広くはなく、家も立派でもなければどうということのない物ですが、とにかく、その松だけは素晴らしいと思うわけです。
その松が最近見たところ初夏だというのにあまり精彩がないので、ちょっと心配したのですが、他の松を見たら他の松も同じような感じだったので、松の具合が悪いわけではなさそうだとほっとしたしだいです。

ところで、以前不動産会社に勤めていたときに聞いた話ですが、あるお宅が中古住宅として家屋敷を売り、それを買った人がおり、それを扱ったのが私が勤めていた不動産会社なのですが、庭の松の木の所有権のことで大問題になったのだそうです。
買ったほうの言い分はその松が気に入って買うと決めたのだそうですが、元のもち主はその松は自分のものだと主張し、とりに行ったのだそうです。元の持ち主は建物と土地は売ったが松をいっしょに売った覚えはないといい、買ったほうは、松がなければ買わなかったなどという始末で、かなり険悪な状況になったようです。
そのようなことは法律ではどうなっているのか、契約時に確認するものなのか私には良くわからず、その点は社員の人にも詳しく聞かなかったのですが、おそらく、元の所有者も最初は松を持って行こうなどとは思っていなかったのに、いざ引き渡す段となったときに、松を手放すのが惜しくなってしまったようでした。
そして、不動産会社が仲裁に入ってなんとか丸く治めようとしたにもかかわらず、元の持ち主を止めることはできず、ついに大きな機械を使って松の根を掘り起こして、元の持ち主の別の新しい家に持っていったのだそうです。

悲しいことにその松は植え替えをしたことによって、その後枯れてしまったのだそうです。

「あんなことまでして欲をかいて持ち去ったから、そんなことになるんだ。枯れてしまっていい気味だ。」とある社員は言っていました。

しかし、持ち主にはいい気味でも、かわいそうなのは松です。松は死んでしまったんです。
元の持ち主からも新しい持ち主からも価値を認められながらも、いや認められたばかりに、命を失ってしまった松はなんだったんでしょうか。
やはり、土地と共に新しい持ち主に譲るべきだったんじゃないかなと思います。
近所の松の木もその土地の形にふさわしいように成長している松なので、その場でずっと元気でいてくれるといいなあと思います。


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他人の思い込み

2006-05-05 21:40:16 | 未分類過去
実家に帰って話題になったことのひとつですが、母の話によると、近所に地主というか資産家のお宅があり、隠居した先代の他に、数人の成人した息子さんがいるのですが、母が見るところその人たちはあまり仕事をしないのだそうで、毎日ぶらぶらしているのだそうです。昔は広大な土地で農業やその産物の加工業などを営んでいたものの、今では畑はほとんどなくなり、その土地にマンションや駐車場を造ったために、その収入が黙っていても入ってくるはずであり、そのほかにはそのお宅が経営している店があるのですが、その店は数人の従業員に任せており、ただ長男のお嫁さんだけは家事を終えると、店へ出かけて行き、一日中働いているのであって、全てを切り盛りしているすばらしい人だとのことでした。
母が言いたいことは、「お嫁さんだけは良く働いて素晴らしいが、あとの息子たちはただ遊んでいるばかりでよくない」というふうであり、そのお嫁さんに店で会ったときも、「あなたは働き者ですばらしいわね」というような言葉をかけていたようでした。しかし、その言葉の裏には、「ご主人や他の男たちは働かないでぶらぶらしていて、お宅でまともなのは貴女だけよ」のような意味が多分に含まれているようで、私は、相手はあまりいい気はしないのではないかと思いました。

私も夫が以前の仕事を退職して今の仕事に代わり、家にいる時間が多くなってからというもの、「お宅は奥さんばっかり働いているのね」とか「奥さんは留守でも、旦那は毎日家にいるだろうから、用件は旦那に伝えておくよ」などという心無い言葉を掛けられて、いやな気分になります。
うちの夫はいくら稼ぎが少ないとは言え、毎日家にいるように見えるとはいえ、私の4倍くらいの給料をとっているのであって、そんなに他人がバカにするような人間ではありません。主婦がどんなに頑張っても男と同じ程度の収入はそうそう得られるものではありません。しかし、夫は夜間に働いたり24時間勤務があるのだといくら近所の人に説明したところで、昼間しょっちゅう家にいるという印象は拭い去れません。逆に私の場合、毎朝パートに出かけ、たまには休日放送大学などに出かけたり、以前は夜ボランティアで日本語教室に出ていたこともあると、カバンを持って出入りする姿を見ただけで仕事だと思い込み、「旦那が働かないから奥さんは昼間だけではなく休日や夜まで働いているようよ」などという間違った噂がひとり歩きしてしまうようなのです。

およそ他人が外から見て思い込む状況と、本当の実態との間には大きな開きがあると言えます。

その母が言うお宅でも、店で扱う品物の仕入れや陳列、経理などはご主人がやっているのかも知れず、毎日開店時間中に店に立っているお嫁さんだけが働いているとは限りません。
経営するマンションのほうの仕事などもあるかもしれず、他人がちょっと見ただけでそのお宅の人が何をしているのかなどはわからないのであって、また、もしご主人が暇にして遊んでいるにしたところで、それはその家の勝手であり、資産があって働かないですむのなら、それはそれで、自由なことではないでしょうか。

たとえ当人をほめたとしても、他人がその家族の悪口をほのめかすのは気分が悪いものだと思います。
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母の欠点

2006-05-05 13:33:46 | 未分類過去
実家の母は、当人に悪意はないのだが、なんか一緒にいて楽しむことができない気分にされてしまう部分のある人間だ。

例えば、一緒にショッピングセンターに行ったときに、何でも買ってあげるから何か選べなどと長女と私に言ったので、わたしは特にほしいものもないため、今必要なものといえば東京に残っている高校生の次女がバイトで使うストッキングくらいしかないなあと思いつつ、しかし、いちいち田舎からストッキングごときを買ってかえることもないだろうと言っていると、「ストッキングなんか軽いんだからここで買って東京に持ち帰ればいいだろう。買ってやるから選べ」と母が言う。それで、次女がいつもバイトで履いているような色のストッキングを探し出し母に渡したのだが、それが3足980円だった。
次女が自分で買ったストッキングはすぐに伝線してしまい、この間も履くものがないと言っていた。本人が小遣いの中から買っているのが安物だから伝線するのかもしれないが、安くて伝線しやすいとしても、それならそれでたくさん入っているのを買って使い捨てにすればいい。しかし、3足980円というのはちょっと中途半端な値段だ。安物にしては高いほうだが、その程度の値段ではすぐに伝線しそうだから超安物を買うよりかえって損かもしれない。その店にあるのは、3足か4足980円のものしかなく、3足入りのしか次女の履くような色がなかった。
いつも私は東京で5足980円くらいのものを買うので、「3足で980円はちょっと高いかな」と言って渡すと、母は、「なんで、ストッキングなんかこんなところで買って行くの、そんなもの東京で買えばいいでしょっ!」とすごい剣幕で怒るのである。
えっ?私はもともと買う気がなかったのに、母から「軽いもんだからここで買っていけ」と言われて探したわけで、買えと言った本人が何をいっているんだろうか?

また、今回は和菓子屋Aの定評のある饅頭を夫に買って帰ろうとしていたところ、母が「いつも買って帰る和菓子屋Bの和菓子は買わないのか」というので、あれは飽きたから今回は饅頭にするというと、母が「じゃあ買ってやる」と言ってきた。どれがいいのか聞くので10個の箱入りを示すと、「バラじゃなくて箱入りか」と確かめるので、「箱入りだ」と指定した。そしたら、それが気に入らないらしく「箱入りじゃなくてバラでもいいんだけどね」というようなことを言っていた。私としては、今回来られなかった夫と次女にお土産としてちゃんと箱に入ってつぶれていない状態のものを持ち帰りたいのであり、自分で好きなものを買おうとしているところに母が無理やりお金を払うと言ってきたのだった。長女の話だとショッピングセンターから家に帰る道すがら「箱は無駄だった」と母がぶつぶつ言っていたそうだ。だから、母が買ってくれるなどというのはかえって迷惑なのである。こっちがほしいものをそのとおりに買ってくれる人なのならいいのだが、母は本当は和菓子屋Bの和菓子をバラで買いたいと思っていたらしいのであり、饅頭を買ったあともBのほうはいらないのかとしつこく聞くので、「それはいらないから饅頭を買ったんでしょっ!!」と喧嘩のようになってしまった。

そのほかにも、たった2日間いっしょにいただけでそのようなことはもう書ききれないほどあるのである。

店で茶系の春の上着を見ていたら、「そんな変なものを買うな」の一言、色は白のほうがいいとか言う。それは母個人の趣味で変だと思うだけであり、母が着るわけでもない。白っぽいものは毎日通勤しているとすぐに袖口などの汚れが目立って不便なので、こちらとしては見栄えだけで決められるものではないと思っている。そして、まだ買うと決めたわけでもなく、ただ目の前にかざして見ているだけなのに、バシッといわれてしまうから、もうげんなりである。

長女も今回はちょっと丈の短いGパンを毎日履いていたところ、「その長さは足が短いのが目立つからそんな格好はしないほうがいい」「Gパンはやっぱり普通の丈がいい」「ずいぶん足が短いのが強調されるねえ」などと、一度言えばいいことを自分の目に入る度に長女に向って言うのだ。私は特に格好が悪いとは思わないし、第一、長女は今回はファッション性よりも機能性を重視していることがわかる。人の着るものにまで、自分の意見を押し付けないでもらいたい。

不愉快な物事は、洋服や買物にとどまらず、様々なことに及んだ。

例えば、母はいつも電気をつけっぱなしにすることを嫌うため、長女は風呂から出たあと、風呂場・洗面所・廊下などの電気を消してきたところ、何で真っ暗にしてしまうんだと怒られていた。
長女によると、つけておけば怒られるし、消せば怒られるし、どうしたらいいか分からないそうだ。
母としては、どこかひとつだけつけておくなどと自分できめているのかもしれないが、こちらにはわからない。

圧力鍋からご飯をよそってそのしゃもじを釜の外に置いたら「どこにおいてるんだっ!!!」と怒られた。釜の中に入れておくのだそうだ。私としては湯気がしゃもじの柄にかかるし、人の手が触れた部分が釜の中の湿度の高いところでご飯といっしょに密閉されているのはどうかと思うのだが、保温なんかされていないんだから中に入れればいいんだという。

「回転寿司も食べに行きたいね」と母が前日に言っていたので、翌日「夕飯は何にしようか?」という母の質問に対して、買物の帰り道に回転寿司によったらどうかと娘が言うと、「そんなところ行くくらいなら自分で刺身を買ってご飯に載せればそのほうがおいしい、回転寿司なんかいちいち行くことはない」との返事。これも前日に自分で言っていたことと矛盾している。気分がころころ変わるからついていけない。

こんなの姑だったらおしまいだよ。実の娘だって付き合いきれない。
近所でもとなりのおばさんとしょっちゅう喧嘩しているそうだが、母のほうにもかなりの原因がありそうだ。

母との生活は2泊が限界だと姉も言っている。
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同級生との偶然の再会

2006-05-05 10:48:47 | 未分類過去
ゴールデンウィークに故郷に帰って、地元にある人形専門の美術館の売店をのぞこうと立寄ったところ、美術館の受付の女性がなんと高校のときの同級生であることに気がつきました。
それで、お互いに20数年ぶりの再会に驚き、しばしなつかしの言葉を交わしたわけですが、そのあと、同級生はそこで売っている高級なビスクドール(磁気焼き人形)の説明をしてくれました。
実は、私は人形には全く興味がないと言っていい人間なので、友人のせっかくの親切に対して、無理やり一瞬のうちに人形に興味を持たなければという姿勢に転換したしだいです。

このあたりには、たくさんのちいさな美術館や博物館があるのですが、どこも入館料は1000円近くするために、次々に入館しているとこっちは所持金があっという間に尽きてしまうのです。かと言って道を歩いているだけでは時間があまってしまいます。
それで、特別見たいもの以外は、そこに併設されている無料で入れる売店を巡るというようなことをしていたのでした。

人形はおもにフリルやレースのついたドレスを着たとてもきれいな女の子や天使のような赤ちゃんの人形ですが、頬はばら色、目は澄んだきれいな瞳をしており、お値段は万単位でした。とても手がでる金額ではありません。
自宅がきれいな洋風の家なんかだったら、部屋の中に飾り、ときどき衣装や配置をかえて模様替えなどして楽しむこともできそうです。
友人はそこに勤めているうちに、その魅力にとりつかれ、ついに何体も買ってしまって自宅に飾ってあるのだそうです。

おそらく、自分と家族だけでそこを見ていたのでは、何の関心もないか、あるとすれば、そのようなヨーロッパ風のアンティークな感じの人形には魂が宿っていると感じたり、着物を着た和服の人形などは、よくテレビで出てくる呪いのかかった市松人形などのイメージがあるため、人形といえば不気味なものというような先入観を抱いていたのでした。
しかし、友人の説明を聞いていると、そのようなものとは関係がなく、素敵だな、きれいだな、かわいいなという純粋な憧れのような感覚を持つことができました。

それにしても、特に女の子らしい性格でもなかったように思うこの友人は元からこんな人形が趣味だったのかな?と私は意外に思って、そのまま本人に聞いてしまったのですが、もとは美術館に勤めたいと思ってついた仕事で、その美術館がたまたま人形を専門にしていたので、人形を好きになったのだそうです。
そして、友人の説明によると、創作人形の世界ではたしかにちょっと不気味な感じのする人形も流行っているのだそうで、演劇で言えばアングラ系みたいなのも多いそうですが、そこの美術館で扱っている創作家の作風は正統的な感じらしいです。友人はいろいろな人形が載っている本を持ってきて見せてくれました。青ざめた顔とかうつろな瞳などの美を追求するものなどもあるようですね。やっぱ芸術ですね。

「演劇ではアングラ系があるように人形にもいろいろな系統がある」
この説明に、すごいな~~~~~
と私は感動しました!!!

実は、私と友人は高校時代の演劇部の仲間だったのです。
私が母親で彼女が末娘
私が乞食で、彼女が花売り娘
私が村人、彼女が薬売りどん、などという役もやりました。
そこまでは体育館のステージでの上演で一般的な演劇でしたが、そのあと私が抜けてから上演したのは、教室で観客席と舞台の区別をあまりつけない状況で行い、それは別役実の作品でちょっと陰気でわけがわからないものでした。私はスポットライトの照明を手伝いに行きました。そのあたりは、アングラ系って感じもするなあ。

私は演劇にはかなり熱心だったんですが、熱心ゆえにいやになっちゃった部分もあって、実質演劇部を途中で抜けています。他の人たちは適当な気分でやれるから続けられるんだと思っていたのですが、最近の私はエンゲキのエの字も無い生活を送り、頭の片隅にも演劇なんか存在しなくなり、自分とは無縁のものとなっていました。
でも、この友達は今でもそれに通じる情熱を持っていたのか!!!
友人はもうひとりの演劇部の友人と今でも親しくしていて、ゴールデンウィーク中に会うと言っていましたが、その友人は今、テレビドラマや映画の製作の仕事に携わっているようです。
この2人、もしかして、私なんかよりずっと熱心だったのかも、と今になって思います。

それから、実は私が以前から思っていたことは、放送大学で博物館の授業もとっているので、数年後は故郷に帰り、故郷にある小さな博物館や美術館で働きたいとも思っていたのです。
この友人に先を越されていましたよ。いいなあ。
しかし、元演劇部って、考えること同じなんですかね。

私は人形にはやはりあまり興味がないけど、そのあたりは自然環境も良いし、その近辺の別の多少なりとも興味のある内容の博物館などに雇ってもらって、老後は高校時代の友人たちとお茶などしたいなあと思いました。


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地震で足止め

2006-05-05 02:28:41 | 未分類過去
5月2日、仕事が終わったあと、静岡県の実家に帰ろうと、新宿発19時の小田急特急ロマンスカーで小田原に向って出発しました。発車直前に、18時24分ころ伊豆・神奈川あたりで震度4くらいの地震があり小田原=熱海間のJR電車が運転を見合わせているとの事を知りました。
しかし、そうは言っても、それはごく一時的なものであろうと思い、おそらく小田原に到着する頃には運転を再開しているはずだと思って、そのまま出発しました。

しかし、20時13分に小田原につくと、予想に反してJRは相変わらず止まっており、東海道線は小田原=東京間を折り返し運転しているとの事で、小田原から西へ進むことはできません。
また電車代をかけて東京に戻るのはいやだなあと思いつつ、とリあえず小田急線の改札を出て、JR線の改札のほうに行くと、ちょうど徐々に動き始めているとの情報があり、人々がぞろぞろと改札に入っていくところだったので、私たちもグッドタイミングだと思いながらホームに下りて行きました。

最初に小田原から西へ運転を再開する普通電車は20時47分発の沼津行きとの事でした。20時半頃だったので、もうすぐだと思っていたのですが、電車は22分くらい遅れているとのことで、それが来る前に回送電車が2台走り、47分の電車は結局9時17分くらい、30分遅れで小田原を出ることになりました。
その間、人がどんどん増えていき、ホームは満員状態となりました。

考えてみれば、3時間近くも電車が止まっていたのですから、中止して戻った人がいるにしてもゴールデンウィークで出かける人も多いし、通勤や通学帰りの人もいて、それらの人が全部運転再開第1のその電車にのったら大変なことになりそうです。
次のロマンスカーが到着してまた人が増えるし、入場制限しないとホームからあふれ出るんじゃないか?とか、電車に乗りきれないんじゃなかろうか?とか思ったのですが、電車が来て乗ってみると、意外に超満員のギューギュー詰めなんかにはならず、ちょっと混んだ電車程度で済みました。
やはり、田舎は東京とは人の数が違うなあと思いました。3時間止まっていてもこんなものなんだ。いや、それとももしかしたら入場を制限していたのかなあ?
どっちにしても、ホームの人たちはみんなあまりいらいらしていなかったし、
「線路を点検した後に、回送電車を2台走らせて安全を確認してからじゃないと人間は運ばないんだろう」などという話も聞こえて来ました。
そうですね、あせって運転を再開して事故でも起こしたら大変ですし、今回の場合は本当に地震が原因で点検をしているのですから、全くJRの落ち度ではないんですよね。
時間より安全を優先させるのは当然のあり方です。

実家についてから、ニュースで取上げられているかな?と思ってテレビを見ました。でも、23時頃のニュースでは特に地震の影響のことは何もやっていなくて、翌日の連休の後半始まりの混雑予測ばかりやってました。
確かに、終わったことよりこれからのことのほうが重要なんだろうな、とは思いましたが、全然ニュースになっていないのはちょっと拍子抜けでした。
ゴールデンウィークだから、小田原に取材なんかに駆けつけたマスコミもいなかったんでしょうね。

巻き込まれた当事者としては、結構大きな出来事でしたけれどね。
地震直後に小田原で止まっちゃった人は、3時間もの足止めです。
それから、途中でとまっちゃってた電車というのはなかったのかな?
結局、詳しい状況はわかりませんでした。

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