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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

久々のトイレ掃除

2006-05-09 23:10:19 | 未分類過去
私は掃除が嫌いなので、めったにまともな掃除をしたことがない。
だから、家はほこりだらけである。たまった埃を毎日見つつ、こりゃあいい加減にやらなきゃダメだと思ってやっと動くか、たまに他人が家に入らなければならない予定のあるときのみ、せっせと掃除をする。
それで、最近は誰も来なかったし、ここしばらく掃除をしていなかった。

この間、会社のパートの人たちが、ゴールデンウィークに大掃除をしたと言っていて、ちょっとあせってきた。
そうか、みんな家をきれいにしたのか!なのに私は何もしなかったな~
そういえば、大分前からトイレの床の隅に埃が溜まってきているのに気付いていたのであるが、それを放置していた。
以前、黄緑とクリーム色の模様の明るい床だったときは、埃が目立ったのでよく掃除をしていたのだが、昨年茶色いコルクのようなフロアシートに張り替えてから、ゴミが全然目立たなくなってきた。それで、ついつい放置していたところ、今日箒で掃いてみたらすごい埃の山である。
さらに、スリッパの裏にも埃や髪の毛が固まってはりついていた。
ぎゃ~~~っ!!!
こんなのを見たのは初めてだ。
たぶん、床の色のみならず、自分の老眼も原因のひとつである。
見えないというのはおそろしいことだ。

思うに、きれい好きの人というのは、汚いものを見てきれいにするという感覚ではなく、きれいにもかかわらず、掃除をして、わずかでも収穫された埃や汚れを確認することによってそれだけ汚れが取れたことを発見し満足するのではなかろうか。

そう思ったのは、ウチは3か月前からライオンウサギという毛むくじゃらのウサギを飼っているのだが、私は毎朝毎晩このウサギの毛をとかすのを習慣とし楽しんでいるのである。いつもとかしているその毛並みは見たところきれいなのだが、とかすと古い毛がどんどん抜けて、時には毛玉も取れることがある。それで、私の楽しみは、くしについてくるウサギの毛を確認し「こんなに取れた!」と思うことなのである。

おそらく、掃除好きの人というのは、汚れるまで待つことなく、ぴかぴかなところをさらに掃除して、掃除機の中に吸いとられたわずかなゴミを見たり、雑巾についたかすかな汚れを確認したりして、それでもこんなに汚れていたものをとったんだと喜ぶんだと思う。

私もウサギの毛をとかすときの楽しみを持って掃除をすれば、掃除好きになれるかもしれない。
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中国産割り箸に頼るな

2006-05-09 21:30:15 | 未分類過去
中国で日本への割り箸の輸出を中止しようとしているそうだ。
値上げのみならず、森林伐採による環境破壊の問題からも、割り箸の生産自体をやめ、輸出もなくす方向に進める意向らしい。
そういうことならば、日本人が不服を唱える筋合いではないだろうと思う。
そもそも中国は箸を使う国であるが、日本のように使い捨ての割り箸などは使っていないのであり、レストランでも日本の菜箸くらいの大きさの長くて重い箸を使っている。あの素材はなんだろうか?プラスチックか?
普通の食器と同じように何度でも洗って使うものであるから、割り箸などは必要ない。
日本人もレストランはそういうのにすればいいし、社員食堂などはすでにそういうものを使っているところも多いのではないだろうか。コンビニで弁当を買う人は喰いタンのように「MYはし」を持参すればいいのだ。
環境を考える上でもちょうどいい機会ではないか。

しかし、以前から割り箸については、「森林伐採には関係ない」ということを私は聞いていたために、「その情報はウソだったのか!」と驚いた。大木から柱などにする部分を取ったあと、残った要らない部分を利用したり、また、良い木を育てるために不要な細枝を落としたときのもともと不要な部分で割り箸を作っているのだから、環境破壊どころか資源の有効利用だと聞いたことがある。それを信じていたので、今まで割り箸はどんどん使っていた。
しかし、その情報が本当だとすれば、それは日本の割り箸産業のことであり、中国ではそうではなく安易にどんどん木を切って割り箸を作りまくり、日本に売って金を稼いでいたようだ。
そして、中国産の安い箸がいっぱい輸入できたから、日本の割り箸生産業は対抗しきれなくなってすでに生産をやめてしまったようである。
もし、日本産の割り箸が木の無駄使いではなく有効利用だとしたら、以前の中国産割り箸より多少高いものになったとしても、また生産を始めるのもいいだろうし、そうでなければこの際、割り箸使用から卒業するのもいいと思う。

どっちにしても、日本人は中国産割り箸なんかには頼らず、ぶつくさ言ってないでさっさとそれなりの対処をとった箸生活をすればいいことである。
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食べ物の恨み

2006-05-09 18:28:24 | 未分類過去
今日、会社から帰ってきて、昨日会社の同僚からいただいたゴールデンウィークのおみやげの和菓子の3点セットのひとつを食べようとして探したところ、テーブルの上にあったはずのそのお菓子が見当たらない。電話をしていた夫が電話を切るのを待って聞いたところ、そのうちの2つを食べたと言っている。じゃあ、同じ袋に入っていたもうひとつはどこに行ったのか聞いたが、知らないの一点張りだが、どこを探しても影も形もない。このお菓子は、いただいた人に「おいしかった」などと感想を言おうと思って、今朝その中の一番おいしそうなのを選んで食べようとしたのだが、時間がなくなってしまい、一度包み紙を開いたのをもういちど包んで袋に戻して会社に行ったのだった。そのものを夫は平らげていて包み紙が見つかった。
くやし~
3人で暮らしているのだから、ひとり1個が常識だろう。しかも、残っているはずのもうひとつもないとなると、それも夫が無意識のうちに食べたに違いない。
だいたい、この男は目の前にある食べ物は、そこにいる人数などを全く考慮しないでパクパク食べてしまう人間なのである。

しかも、人の食べかけにしているものに必ず手を出すという不思議な習性を持っている。昨日はチキンチーズカツ4個入りを買ってきてあったのだが、小皿を用意していなかったので、次女がそのひとつに噛み付いて半分食べたのをカツの入ったもとの容器の隅の方に一時的においてあった。一目見れば歯形がついていて食べかけだとわかるのに、夫はわざわざそのカツに手を出して噛み付いてから気付き、「なんだこれは誰かの食べかけじゃないか!」と言う。次女はもうそのカツは食べられない。私は最初に一個食べていた。夫はさらにもう一個を食べたと思うと、最後のひとつも迷わず食べてしまった。次女は結局半分しか食べられなかった。

夫は貧乏な家に育っているのであるが、貧乏ならば食べ物を分け合って食べるのが普通ではないかと思うところ、どうやらそうではないようである。いち早く食べてしまうという技を身につけたらしい。

それでいて、夫は子どもの頃、年末に年越しそばの出前をひとつとって家族で分けて食べたなどと言っていた。そういえば、「一杯の掛けそば」という貧乏家族が蕎麦屋に一杯の年越し蕎麦を食べに行く話が何年か前にあったようだが、それに似ていて、夫の家は家族4人分の年越しそばの出前を取ることができず一人前たのんだそうだ。
それを聞いた私の母親は「ずいぶん変な家族だねえ」と言っていた。そばなんてものは、乾麺を買ってくれば一袋で何束も入っているから、家でそばをゆでて食べれば蕎麦屋のひとり分の金額で家族全員の分が作れる。ずいぶんバカなことをしている家族だということだ。確かにそうだ。ウチも貧乏だったから、出前や外食は全然したことがなかった。自分の家で作るのではない蕎麦屋の蕎麦を食べてみたかったんじゃないの?と考えるしかないが、そんなにまでしてすこしずつ分けて食べるくらいなら、自分の家で安い蕎麦をゆでて食べたほうがずっといいと思うのは私の育った家である。

しかし、夫の習性を見ていると、夫の家の場合、蕎麦屋のそばは家族で分けあって食べたのではなく、父親がひとりで食べたんじゃないかな、と思う。

今度から、おいしいものは夫にみつからないところに隠しておこう。
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