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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

時間を大切にすること

2006-05-21 21:22:34 | 放送大学
今日は家を出るのがぎりぎりになってしまったので、奥の手を使って面接授業に行った。
いつもと違う駅から電車に乗れば学習センターまで31分でいけるのだ。私鉄の鈍行と急行とJRと地下鉄を乗り継ぐために面倒で、料金は460円かかり、高いと思っていたのであるが、実はこの駅のほうが家からの距離が近く、駅前のスーパーの駐輪場に無料で自転車を置いておける。したがって駐輪代がかからないぶん、電車代が相殺される。

以前、大きい駅に出て区の駐輪場がいっぱいで、民間の駐輪場に置いたら1時間ごとに加算されて、800円も料金を取られてしまったことがあった。ここではそのような心配はない。誰かが時間を計っているわけでもないので、帰りにそのスーパーで買物をしてくればそこの駐輪場に置いたとて文句はなかろう。

この方法で行ったら、合計45分くらいで到着することができた。ならば、この方法が正道である。ただ、乗換えが多いのと、人が多くて座ることができないため、車中での勉強はほとんどできない状況だ。

面接授業はおもしろかった。今の先生の授業はしっかり準備されており、時間も正確で無駄がなく、非常にわかりやすいものである。自分自身ではけっして知ることのできない知識を正確に整然と伝授してもらえることは本当に貴重なことだ。

教授にもいろいろな方がいらっしゃるが、今まで、開始時間になってもすぐに始まらなかったり、休憩時間を15分とると言って20分も待たされたり、やっと休憩時間が終わったと思ったら、ビデオの操作がわからず延々待たされたり、あるいは、あらかじめ予定されていた大まかな授業内容が途中から横道にそれてうやむやな進行状況になったりなどしたことがある。それでも内容は満足できる貴重なものではあったから授業全体として不満に思うことはなかったが・・・。

その点、今回の先生はすばらしい。ビデオなどの操作で手間取ることはまったくないし、開始は数分前から教壇に待機し、チャイムが鳴るとともに開始し、休憩時間もちゃんと決まっていて、10分後といえばその通りにはじまる。
ここまできちっとしてもらえると、受けるほうも気が引きしまる思いである。

社会人の場合、忙しい時間を割いてきていることもあるし、会社などで来客などあった場合、けっして時間を遅らせて待たせるようなことはしないから、無駄な時間が流れることにはかなり違和感がある。
また、日本語学校の教師などはテープやビデオ教材の取り扱いがもたもたしていると、もうそれだけで学生からの評価が低くなり信頼性が下がるし、大切なお客様である学生の貴重な時間を無駄にしたことになるから、絶対に避けるべきことだ。

しかし、大学教授などの場合、機械の操作などということは重要なことではなく、それとは違う次元での価値を大切とされているのであろう。娘の大学の教授なども機械の操作がわからず時間がかかることなどしょっちゅうだという話だ。偉大なら偉大であるほど、機械の操作などはできないのがあたりまえのような傾向さえある。

しかし、やはりそのようなことも手際よくやってくださる先生は気持ちがいい。
時間を守ることと準備を怠らないことは、学習者へのまごころである。
貴重な知識を伝授していただく感謝とともに、そのような姿勢にも感服する。


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ゲームをする人しない人

2006-05-21 02:20:38 | 未分類過去
たとえば、ゲーム遊びのひとつにパチンコがあるが、うちの夫はパチンコを一切しない人間だ。本人いわく、パチンコのようなものはキライであり、絶対に損をするばかりだからやらないのだそうだ。
私もパチンコは好きではないしやる習慣もまったくない。うるさいし空気もわるそうだし変な人たちが遊んでいるというイメージがある。
のめりこんで家事もしないで子どももほったらかしにしてパチンコ屋に入り浸っている主婦もいるそうである。
何よりもそのことに打ち込んだからと言って、他の趣味のように、技術が上達するとかではないところが時間の浪費であり無意味なような気がするのである。

ところで、私の父親はパチンコが結構好きであり、また結構うまかった。昔のことだからひとつずつ玉をはじく機械だったのだが、会社が終わったあと、パチンコに行っては夜10時頃帰ってきたりするが、いつもいろいろな景品を取ってきた。
人形、カップラーメン、チョコレート、ビスケット、煙草、など半分は子どもの喜びそうなものにとりかえ、後の半分は自分の煙草や現金にしたようだ。
高校生のとき、一度父とパチンコに行ったことがあるが、そのときはダイヤル式の機械が出てきたころで、父がダイヤルを調整して私にそのままその位置を維持するようにと言い、言われたとおりにしていると、どんどん玉が穴に入って行って下から限りなく出てきた。
そのときは、ペンダントなどの景品と取り替えてきた。

父は自分の小遣いの範囲内で損をしない感じで楽しんでいたようであるが、母はパチンコにはまって毎日のように出かけていく父の行いをあまりよくは思っていなかったから、パチンコもせず、煙草も吸わない私の夫のような人間は歓迎だったと言える。

ところがである。だんだんわかってきたことに、私の夫はパチンコのみならずゲームというものが好きではない。マージャンや競馬などをしないのはいいのだが、例えばトランプなどもしたがらない。つまりは頭を使うことがキライなのであった。

私の父はトランプやダイヤモンドゲームが好きで子どものときはよく相手になって遊んでくれたのだが、どうやったら相手に勝てるか、どのカードを先に出したら有利かなどと考えて工夫を凝らすことが好きな人間であったといえる。
父はまた、競輪などにもよく行っており、金をかけたり儲けを狙ったりすると言う点であまり品のいい趣味ではないので、家族は好くは思っていなかったが、これも何がしか頭を使って予測を立てるということをするものともいえる。
父はゴルフもやるし釣りもやった。手先が器用で何でも自分で作ったり修理することもできる人間だった。

ところが、夫の場合、そういうことをいっさいしたがらないのであり、つまりは、頭を使うのも手先を使うのもキライなのであった。そして、少しでも悪い結果がでる可能性のあることには最初から挑戦しようとしない。
下手に手を出して失敗を繰り返す人間よりはいいかもしれないが、そこに一抹の物足りなさを感じるのは否めない。
そういう夫は株などにも絶対に手をださいないし、数値的なものを計算して計画を立てるということもしない人間である。車の運転もしない。ゲームもしない。パズルもしない。日曜大工もしない。

夫と知り合う前に学生の頃から付き合っていた男性がいたが、彼は一流大学の学生であった。文系の学部にいたが、高校時代は数学ができることで有名だったそうだ。
彼は、とにかくゲームが好きで、しょっちゅうゲームセンターに連れて行かれた。車を猛スピードで走らせ、対向車をよけたり追い越したりするゲームなど一緒にやらされたものであるが、パチンコ屋も一度行ったことがあった。或る日、新宿御苑に行ったとき、バックギャモンとかいう見慣れないゲーム板を持ってきて、そのルールを教えられ、芝生の上で相手をさせられたこともあった。
また将棋も好きで、千駄ヶ谷の将棋センターに付き合わされたこともあった。新聞の将棋の記事を切り取っておいて欲しいと頼まれてもいた。
そういう趣味は私にはついていけず、あまり歓迎できない趣味であったが、彼の場合はやはり頭を使うことが好きだったようだ。

当時、その人の乱暴な部分、闘争心、ゲームへのこだわり、喫煙など私にとっては好ましくなく、それに対してその後に知り合った夫は、穏やかで煙草も吸わず常に平和でクリーンな印象を受けたものだったが・・・。

ゲームにのめりこむ男と結婚したらそれはそれでいやな面があるが、ゲームを全くやりたがらない男にはそれなりの欠点があったのかということがわかったしだいだ。
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