山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

大晦日のバス

2008-01-05 18:52:52 | 未分類過去
故郷の電車が不通になってバスに乗った話の続きです。
田舎のバスに乗ったのは何年ぶりでしょうか。1時間1本ってそんなに少なかったかな~と思いました。同じ電車に乗ってきて同じバスに乗った人はいなかったようです。
田舎は自家用車をもっている家が多いので、車で迎えに来てもらうことにした人も多かったのでしょう。
一緒に乗ってきた人どころか、発車時にバスに乗っていたのは私も含めて2人であり、その後私が降りるまで、乗り降りした人すべてで5人でした。大晦日だから乗客が少ないんですかね。(夜8時前ではありますが、もう紅白は始まっている?)
そのバスは街中を通って、昔通っていた高校や中学のそばも通ったんですが、この町はこんなに閑散として暗かったかなあと思いました。学校のそばの停留所で乗る人も降りる人もいません。バスがにぎわうのは通学の時間くらいかもしれません。
我が故郷は廃れたんでしょうか?それとも、もともと廃れていたのでしょうか?都会の明るさに慣れてしまった私には、自分が変わったのか故郷が変わったのかもわからなくなってきました。
人の流れの中心が変わってきたということもあるようです。消えてしまった建物もあるし、昔羽振りをきかせていた大きな商店も、看板はみつけましたがシャッターが下りているせいか、なんだかすごく寂れた感じがしました。駐車場なのか空き地なのか、道路際には暗闇のスペースも目立ちます。
そして、道路も変わっていました。主流だった古い国道がわき道のようになっていて、バイパスが主流になっています。これでは道に迷いそうでした。まるで、浦島太郎です。
郊外に行くと見慣れない平屋建ての量販店や大きなパチンコ屋もできていました。
最後に停留所の場所までが変わっていました。以前のところで止まらないので運転士さんが停車するのを忘れているのかと思ってあせったのですが、そうではなく停留所が100メートルぐらい移動していました。降りたところには建物もなく人気もなくて、おそろしい感じでした。そこから暗い道を通って電車の駅のほうに向かいました。後で母に聞くとその道は恐ろしいので遠回りをしてバス通りを戻るようにしているとのことでした。なんで停留所の場所が変わったのかわかりません。こんな恐ろしい田舎で暮らしていたとしたら到底子供や娘を自分で帰宅させることはできないなと思ったしだいです。
大晦日には私ひとりで帰ったのですが、娘たちがひとりで夜間にバスで行くようなことにならなくてよかったと思いました。
東京の大学に進学し、東京でしばらく仕事をした後に、故郷に帰って自営の仕事をしている友人がいます。多くの優秀な人は田舎を出て行ってしまいがちです。よく、この田舎を見捨てなかったなと思います。その人は故郷は嫌いだと言いながらも、やっぱり故郷を愛していたのでしょうか。
この故郷に暮らすなら、町おこしをしなくちゃいけないという気持ちにとらわれます。でも、一個人の力は小さいです。町おこしをしないなら、故郷の中に埋没し、静かに暮らすってことでしょうか。
故郷の現実、それをそのまま受け入れて愛するのか、それとも「どげんかせんといかん」のか、わからなくなりました。

バスの運転士さんは、5人の人を運ぶために大晦日の夜に働いていました。
バスの運賃は5人合わせても1500円くらいでしょう。タクシー1人分にもなりません。採算が取れるのかと心配です。しかし、バスが走っていてくれて本当に助かりました。たった一人のためでも、あるいはたまたま誰も乗らなかったとしても、その仕事は意味のあることでしょう。

(写真は大晦日の夕方5時ころの新宿です。まだまだクリスマスのようでした。
内容と全然関係ないというか、対照的。でも、そういえば、田舎の駅にも一応イルミネーションはあったかな)


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大晦日の電車

2008-01-05 10:18:18 | 未分類過去
ロマンスカーの後のことになります。私の実家は、東海道線に乗り換えて、また乗り換えて行くのですが、その最後の電車が不通になっていました。人身事故があったそうです。田舎の小さな駅で人身事故なんて滅多にないことです。こんな大晦日にいったい何があったのでしょうか。
ロマンスカーで、年内の業務を無事に終了できるであろうという満たされた気分になっていたのですが、もう一方の鉄道会社では大変なことになっているようです。
田舎の電車は単線なので、何かあると上りも下りも特急も鈍行も、すべての電車がストップしてしまうことになります。たぶん旅館に泊まるような観光の人はすでに到着している時間だと思いますが、帰省の人や仕事帰りの人などがいます。その人たちはいったいどうやって帰宅するのでしょうか。
という私もその1人でした。事故は1時間前くらいに起きたようですが、乗っていた電車は途中止まりとなってしまいました。代わりに別の電車がホームに控えていましたが、いつ発車するかは見通しがついていないようでした。その電車に乗り換えて発車を待つ人たちもいました。
どのような人身事故かわかりませんが、そのような場合一般的にどのくらいで復旧するものなのでしょうか。
東京ではしょっちゅう人身事故があり電車が止まりますが、代わりの電車で移動できる場合が大部分で、どのくらいで復旧するかを考えたこともありません。そして止まっていた線路もそんなに長時間不通になっているわけではないような気がします。しかし、田舎の場合は人身事故の対応には慣れていないだろうから手間どるだろうし、辺鄙なために対応する人々が現場に到着するだけでも時間がかかりそうです。都会とは事情が違うような気がします。
考えてみたら、「東京では人身事故が多く対応に慣れている」っていうのも恐ろしい話ですね。東京で人身事故があっても驚かないというのは感覚が麻痺しているなと思いました。

私の実家にはバスも通っているので、バスで帰ろうと思いました。時間は多少長くかかり料金も少し高いと思いますが、それほどの違いはないと思います。バス乗り場に行くとバスは1時間に1本しかなく驚きましたが、15分後くらいに発車しました。
電車の終点まで行くバスというのも昔はあったと思いましたが、最近はなくなったのでしょうか、そういう行き先のバス乗り場は見当たりませんでした。あったとしてもものすごく時間と料金がかかることでしょう。遠くの人は電車の運行再開を待つのがいいようです。

実家近くのバス停で降りて歩いていると、線路を上りの特急が走って行きました。運転は再開されたようです。しかし、まず特急を優先的に通すはずなので、鈍行が動くにはまだ時間がかかるだろうと思いました。私は予定より40分くらい遅くついた程度ですが、上り下りとも、この事故の影響で予定が大幅に狂ってしまった乗客も多かったと思います。

鉄道会社の人たちはこの大晦日の事故の対応で大変だったと思います。それが現実だなと思いました。こっちの場合、ロマンスカーのほうと違って、大変な仕事納めになってしまったことでしょう。

事故で電車が止まっているということはロマンスカーの中でアナウンスがありました。
そういえば、それとは別に、途中でロマンスカーが数分一時停止していたことがありました。なんで止まっているんだろうと思ったのですがそのうち走り出しました。小田原につく前に車掌さんからアナウンスがあって、東海大の前で停止信号のために止り、点検してから発車したため到着が3分くらい遅れたとのことでした。このために東海道線乗り換えは走り込んで間に合うという状況でした。これ以上遅れたら予定通りの乗り換えができないお客さんが出るわけです。
今思えば、何事もなかったロマンスカーの乗務員さんも、他社の事故を聞くとともに、自社の順調な運行のために注意を払い、常に気が抜けなかったということですね。

いずれにしても大晦日の夜に働く人あって、私たちが便利に暮らせるということだなあと思いました。


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大晦日のロマンスカー

2008-01-05 02:11:35 | 未分類過去
今頃になって、大晦日の話なんですが、12月31日、新宿発17時10分の小田急ロマンスカーはこね41号に乗りました。ロマンスカーのことは時々書いていますが、全席指定の特急電車で私のお気に入りです。
この17時10分発ってのは、VSE50000形っていう2005年にできた新しい車形で人気があるらしいです。
私の場合、小田原から東海道線下りへの接続がスムーズなものを時刻表で調べると、この車形のことが多く、これは停車駅も少なくとてもよいことがわかりました。

ところで、大晦日の日、これに乗ったら、発車前に運転士さんからご挨拶がありました。
内容は「本日は、VSE50000形はこね41号にご乗車いただき、ありがとうございます」とうところから始まり、「現在の箱根の気温は摂氏3度、明日の朝の予想気温はマイナス3度」とのこと。また、「一つ前に発車した車両は順調に運行している」とのことでした。
「なんか、すごく飛行機に似ているな~」と思って聞いていました。

そうしたら、続いて運転士さんが「今年も大晦日となりましたが、皆様どのような年でしたでしょうか。私事ですが、今年はとてもよい年でした。ロマンスカーの客室乗務員の試験に合格し、運転をすることができるようになりました。」とのこと。思わず拍手を贈りたくなってしまいました。そして「今年最後の仕事がこのVSE50000形のこれからの運行となります」とのことで、「安全に心がけて今年の仕事納めとしたい」「皆さんも良い年末年始をお迎えください」というような内容のアナウンスをしてくださり、本当に心が温まりました。

自分の夢を達成すること。
自分の仕事に誇りをもつこと。
その役割を全うすること。
そして、世の中の人々のことも思いやること。
すばらしいことですね。

私もそんな心持で生きて生きたいです。

気分がよくなったところで、VSE50000形だけで販売しているという駅弁も買ってしまいました。カツサンドといなり寿司が入っているんですが、おいしかったです。

(写真は発車前の車内です。このあと発車までに満席に近くなりましたが、厚木で降りた人が多く、その後は空いていました。)



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箱根駅伝

2008-01-05 01:21:35 | 未分類過去
お正月に箱根駅伝があった。私はスポーツにはほとんど興味がない人間だが、実家の母が毎年駅伝を見ているので、いっしょに見ることが多い。東京から小田原という経路は、自宅と実家の間の道中でもあり、箱根へも何度か行ったことがあるので、身近だといえば身近である。大学対抗というのもわかりやすい。
それに加え、今年はたまたま年末に箱根駅伝走者のテレビドラマを見て、印象が強かったので、駅伝中継を見ながら、そのドラマを思い出していた。
それは2003年に放送されたものの再放送だったようで、新聞記者を福山雅治、実在した陸上選手を小栗旬が演じていた。私は以前そのドラマを見たことがなかった。
その選手は拓殖大学の佐藤大輔という青年である。その人は、3年と4年に箱根駅伝に出場し、その後企業に入って長距離を続けるはずだったのだが、入社間もなく急性の再生不良性貧血という性質の悪い病気にかかってしまい、短い生涯を終えることとなった。
ドラマは新聞記者と青年の心のつながりを描いたものだった。ご存知の方も多いだろう。
その中で、初め駅伝に関心のなかった記者が、佐藤選手を取材するうちに、駅伝や選手の生き様に惹かれていくのだったが、佐藤選手は、駅伝というのは「襷を人に託すもの」だと言っていた。襷を託され、自分の役割を果たし、襷を人に託すということにより、自分ひとりではとうていできないような力が湧いてくるものだそうだ。
自分の担う区間についてそれだけの責任をもって果たさなくてはならない。だから無理もするのだろうが、それが記録にもつながるのだろう。
私は今年の駅伝も真面目に見ていたわけではなく、2日目は出かけていたので見なかった。後の情報によると、3校もの選手がリタイアしたとのこと。頑張りすぎたのか体調を崩したのかわからないが、どんなに責任を負いたくても無理なこともある。ふらふら状態でも捻挫しても走るというのは1人で走るマラソンよりも過酷だ。襷を託された責任を果たし、襷を次の人に託すまで走らなければいけないという責任からそこまですることになる。
そして、責任が果たせなかったときには、どんなにか自分を責めることだろう。本当に厳しいものだ。スポーツ嫌いの私は、そんな苦しいことぜったいにいやだなと思ってしまう。でも、苦しさの中で完走し、みんなで良い記録を残せたらそれほど素晴らしいことはないだろう。
テレビドラマでは、佐藤選手は3年の時はさっそうと走っていたが、4年では完走したものの調子がわるかった。拓殖大学はシード権がとれるかどうかの瀬戸際であり、あぶないところだったが何とかシード権が取れたので、結果はめでたしだったが、良い記録が出せなかった佐藤選手は落ち込んでいた。
あのドラマを見てからは、選手に対する思い入れが強くなったように思う。当日の姿だけではなく、練習風景や心もちまでが想像される。

今年の駅伝で、私はあのドラマの拓殖大学を探してみたのだが、今年の出場校には入っていなかったのが残念だった。
佐藤選手は毎年天国から駅伝を見ているに違いない。母校には出場してほしいだろう。後輩のみなさん頑張ってください。

人の人生も駅伝みたいなものですね。
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