故郷の電車が不通になってバスに乗った話の続きです。
田舎のバスに乗ったのは何年ぶりでしょうか。1時間1本ってそんなに少なかったかな~と思いました。同じ電車に乗ってきて同じバスに乗った人はいなかったようです。
田舎は自家用車をもっている家が多いので、車で迎えに来てもらうことにした人も多かったのでしょう。
一緒に乗ってきた人どころか、発車時にバスに乗っていたのは私も含めて2人であり、その後私が降りるまで、乗り降りした人すべてで5人でした。大晦日だから乗客が少ないんですかね。(夜8時前ではありますが、もう紅白は始まっている?)
そのバスは街中を通って、昔通っていた高校や中学のそばも通ったんですが、この町はこんなに閑散として暗かったかなあと思いました。学校のそばの停留所で乗る人も降りる人もいません。バスがにぎわうのは通学の時間くらいかもしれません。
我が故郷は廃れたんでしょうか?それとも、もともと廃れていたのでしょうか?都会の明るさに慣れてしまった私には、自分が変わったのか故郷が変わったのかもわからなくなってきました。
人の流れの中心が変わってきたということもあるようです。消えてしまった建物もあるし、昔羽振りをきかせていた大きな商店も、看板はみつけましたがシャッターが下りているせいか、なんだかすごく寂れた感じがしました。駐車場なのか空き地なのか、道路際には暗闇のスペースも目立ちます。
そして、道路も変わっていました。主流だった古い国道がわき道のようになっていて、バイパスが主流になっています。これでは道に迷いそうでした。まるで、浦島太郎です。
郊外に行くと見慣れない平屋建ての量販店や大きなパチンコ屋もできていました。
最後に停留所の場所までが変わっていました。以前のところで止まらないので運転士さんが停車するのを忘れているのかと思ってあせったのですが、そうではなく停留所が100メートルぐらい移動していました。降りたところには建物もなく人気もなくて、おそろしい感じでした。そこから暗い道を通って電車の駅のほうに向かいました。後で母に聞くとその道は恐ろしいので遠回りをしてバス通りを戻るようにしているとのことでした。なんで停留所の場所が変わったのかわかりません。こんな恐ろしい田舎で暮らしていたとしたら到底子供や娘を自分で帰宅させることはできないなと思ったしだいです。
大晦日には私ひとりで帰ったのですが、娘たちがひとりで夜間にバスで行くようなことにならなくてよかったと思いました。
東京の大学に進学し、東京でしばらく仕事をした後に、故郷に帰って自営の仕事をしている友人がいます。多くの優秀な人は田舎を出て行ってしまいがちです。よく、この田舎を見捨てなかったなと思います。その人は故郷は嫌いだと言いながらも、やっぱり故郷を愛していたのでしょうか。
この故郷に暮らすなら、町おこしをしなくちゃいけないという気持ちにとらわれます。でも、一個人の力は小さいです。町おこしをしないなら、故郷の中に埋没し、静かに暮らすってことでしょうか。
故郷の現実、それをそのまま受け入れて愛するのか、それとも「どげんかせんといかん」のか、わからなくなりました。
バスの運転士さんは、5人の人を運ぶために大晦日の夜に働いていました。
バスの運賃は5人合わせても1500円くらいでしょう。タクシー1人分にもなりません。採算が取れるのかと心配です。しかし、バスが走っていてくれて本当に助かりました。たった一人のためでも、あるいはたまたま誰も乗らなかったとしても、その仕事は意味のあることでしょう。
(写真は大晦日の夕方5時ころの新宿です。まだまだクリスマスのようでした。
内容と全然関係ないというか、対照的。でも、そういえば、田舎の駅にも一応イルミネーションはあったかな)
田舎のバスに乗ったのは何年ぶりでしょうか。1時間1本ってそんなに少なかったかな~と思いました。同じ電車に乗ってきて同じバスに乗った人はいなかったようです。
田舎は自家用車をもっている家が多いので、車で迎えに来てもらうことにした人も多かったのでしょう。
一緒に乗ってきた人どころか、発車時にバスに乗っていたのは私も含めて2人であり、その後私が降りるまで、乗り降りした人すべてで5人でした。大晦日だから乗客が少ないんですかね。(夜8時前ではありますが、もう紅白は始まっている?)
そのバスは街中を通って、昔通っていた高校や中学のそばも通ったんですが、この町はこんなに閑散として暗かったかなあと思いました。学校のそばの停留所で乗る人も降りる人もいません。バスがにぎわうのは通学の時間くらいかもしれません。
我が故郷は廃れたんでしょうか?それとも、もともと廃れていたのでしょうか?都会の明るさに慣れてしまった私には、自分が変わったのか故郷が変わったのかもわからなくなってきました。
人の流れの中心が変わってきたということもあるようです。消えてしまった建物もあるし、昔羽振りをきかせていた大きな商店も、看板はみつけましたがシャッターが下りているせいか、なんだかすごく寂れた感じがしました。駐車場なのか空き地なのか、道路際には暗闇のスペースも目立ちます。
そして、道路も変わっていました。主流だった古い国道がわき道のようになっていて、バイパスが主流になっています。これでは道に迷いそうでした。まるで、浦島太郎です。
郊外に行くと見慣れない平屋建ての量販店や大きなパチンコ屋もできていました。
最後に停留所の場所までが変わっていました。以前のところで止まらないので運転士さんが停車するのを忘れているのかと思ってあせったのですが、そうではなく停留所が100メートルぐらい移動していました。降りたところには建物もなく人気もなくて、おそろしい感じでした。そこから暗い道を通って電車の駅のほうに向かいました。後で母に聞くとその道は恐ろしいので遠回りをしてバス通りを戻るようにしているとのことでした。なんで停留所の場所が変わったのかわかりません。こんな恐ろしい田舎で暮らしていたとしたら到底子供や娘を自分で帰宅させることはできないなと思ったしだいです。
大晦日には私ひとりで帰ったのですが、娘たちがひとりで夜間にバスで行くようなことにならなくてよかったと思いました。
東京の大学に進学し、東京でしばらく仕事をした後に、故郷に帰って自営の仕事をしている友人がいます。多くの優秀な人は田舎を出て行ってしまいがちです。よく、この田舎を見捨てなかったなと思います。その人は故郷は嫌いだと言いながらも、やっぱり故郷を愛していたのでしょうか。
この故郷に暮らすなら、町おこしをしなくちゃいけないという気持ちにとらわれます。でも、一個人の力は小さいです。町おこしをしないなら、故郷の中に埋没し、静かに暮らすってことでしょうか。
故郷の現実、それをそのまま受け入れて愛するのか、それとも「どげんかせんといかん」のか、わからなくなりました。
バスの運転士さんは、5人の人を運ぶために大晦日の夜に働いていました。
バスの運賃は5人合わせても1500円くらいでしょう。タクシー1人分にもなりません。採算が取れるのかと心配です。しかし、バスが走っていてくれて本当に助かりました。たった一人のためでも、あるいはたまたま誰も乗らなかったとしても、その仕事は意味のあることでしょう。
(写真は大晦日の夕方5時ころの新宿です。まだまだクリスマスのようでした。
内容と全然関係ないというか、対照的。でも、そういえば、田舎の駅にも一応イルミネーションはあったかな)