年頭には、その年の目標を掲げるべきだとは思うのだが、今年はどうもそんな気になれないなあ~と思っていた。
大きな目標はまるで現実味を帯びないし、それに向かっていくパワーも沸いてこない。
たとえば、知的財産検定の最後の回の1級を受ける気はとうになくなっている。
時間も気力も無く、勉強もできないことはわかりきっているのだ。今や2級の知識さえないだろう。だから受けたところで、恥ずかしいだけである。
放送大学も、苦手科目であり、たくさん取ったところで消化できないのはわかっているから、せいぜい1~2科目でいいかと思う。
仕事は、パソコンの知識などがあまりないので、効率的な仕事ができないし、みんなが共同で使う複雑な表計算の雛形を作ったりすることなどは、私にはできない。
だから、そういうのに詳しい同僚などがすることになる。
どんなにヤル気があったところで、専門的な知識と経験がないのだからどうにもならない。
このような場合、当面は日常の毎日の作業を淡々と問題なくこなしていくことに徹するしかないだろう。
和民の社長さんは夢に日にちを入れてそれに向って具体的に進むことを提言しているが、あまりにも遠く難しいゴールであり、それに向って100メートルを何秒で進むなどと考えたところで、走れるはずがないこともある。
途中に目標地点でもあれば別だが、そんなものも特になければ、もうどこに行き着くかわからないけど、とりあえずこの道をあと30分間走り続けようとか、少なくとも止まったり引き返したりはせず、歩き続けてみようくらいの気持ちでやっていくしかない。
道を変えることを頭の片隅に置いたとしても、当面は今の道をまっすぐ進んでいくのだ。
正社員にはなれず、しかし、厚生年金・健康保険には入れるようになった。しかし、一家の収入としては、社会保険と所得税が増えて、働き損になる範囲であることはまちがいなく、公営住宅の家賃も上がるかもしれない。
この場合、正社員と非正社員の違いは、ボーナスがあるかないかの違いだろう。それによってかなり年収がちがってくる。
仕事内容も違い、あまり責任のない仕事にとどまる。だから、ボーナスがないのも当たり前だ。旅行や宴会の幹事にもならなくていい。
自分自身、能力的に正社員になる器ではないことはわかっているし、社会保険に入れてもらえただけでもおこがましいのかもしれない。
あえて、未来の目標は設定せず、毎日の仕事を地道に消化することに徹しようと思う。
大きな目標はまるで現実味を帯びないし、それに向かっていくパワーも沸いてこない。
たとえば、知的財産検定の最後の回の1級を受ける気はとうになくなっている。
時間も気力も無く、勉強もできないことはわかりきっているのだ。今や2級の知識さえないだろう。だから受けたところで、恥ずかしいだけである。
放送大学も、苦手科目であり、たくさん取ったところで消化できないのはわかっているから、せいぜい1~2科目でいいかと思う。
仕事は、パソコンの知識などがあまりないので、効率的な仕事ができないし、みんなが共同で使う複雑な表計算の雛形を作ったりすることなどは、私にはできない。
だから、そういうのに詳しい同僚などがすることになる。
どんなにヤル気があったところで、専門的な知識と経験がないのだからどうにもならない。
このような場合、当面は日常の毎日の作業を淡々と問題なくこなしていくことに徹するしかないだろう。
和民の社長さんは夢に日にちを入れてそれに向って具体的に進むことを提言しているが、あまりにも遠く難しいゴールであり、それに向って100メートルを何秒で進むなどと考えたところで、走れるはずがないこともある。
途中に目標地点でもあれば別だが、そんなものも特になければ、もうどこに行き着くかわからないけど、とりあえずこの道をあと30分間走り続けようとか、少なくとも止まったり引き返したりはせず、歩き続けてみようくらいの気持ちでやっていくしかない。
道を変えることを頭の片隅に置いたとしても、当面は今の道をまっすぐ進んでいくのだ。
正社員にはなれず、しかし、厚生年金・健康保険には入れるようになった。しかし、一家の収入としては、社会保険と所得税が増えて、働き損になる範囲であることはまちがいなく、公営住宅の家賃も上がるかもしれない。
この場合、正社員と非正社員の違いは、ボーナスがあるかないかの違いだろう。それによってかなり年収がちがってくる。
仕事内容も違い、あまり責任のない仕事にとどまる。だから、ボーナスがないのも当たり前だ。旅行や宴会の幹事にもならなくていい。
自分自身、能力的に正社員になる器ではないことはわかっているし、社会保険に入れてもらえただけでもおこがましいのかもしれない。
あえて、未来の目標は設定せず、毎日の仕事を地道に消化することに徹しようと思う。