![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/e6/e66ebc05c1c86df7de29ce4d61b14b76.jpg)
今、話題になっている国産初のジェット旅客機MRJのことがあって、以前日本にあった国産旅客機YS11のことに興味を持ち、調べてみた。
YS11は、自宅付近では、所沢の航空公園に展示されている。3年前に撮影した画像も一緒に載せたいと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/96/65b9934c327540fc30dced3fc921d854.jpg)
この画像は、零戦の展示のとき(2012年12月)に航空公園に行って撮ったものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a6/3424bda6ce08774d2eb9adce14a0c9e8.jpg)
YS11展示機のところに記載されている説明。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/e0/44b524247318d96f18710918aaa4020e.jpg)
「YS11は日本の航空工業界が総力をあげて開発した唯一の本格的な近距離用のターボブロップ中型航空機です。
1962年(昭和37年)8月に初飛行し、182機が製造され、国産需要だけでなく、世界各国に輸出されました。
展示のJA8732機は、1969年(昭和47年)に製造された第101号機で、全日本空輸(株)及びエアーニッポン(株)のご好意により寄贈を受けたものです。
1997年(平成9年)4月13日の大島―東京便を最後に総飛行時間52991時間、総飛行回数58253回で、現役を引退しました。」
改めて読むと感慨深いものがある。ちゃんと、何機目に作られたものとか、飛行距離・飛行回数まで記録されているものなのだな~。
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さて、それで、インターネットのサイトなどで、YS11について色々読んでみたところ、自分にとって新たに分かったことがあったので記載しておく。
第二次世界大戦後、戦争に負けた日本は、航空機の研究・開発・運用が禁止されてしまった。 ←そうだったのか!
その後、1952年サンフランシスコ講和条約で、ようやく独立を取り戻し、航空機についての禁止が解けたそうだ。
しかし、この間に、ジェット機の開発は世界に立ち遅れてしまっていた。
YS11はターボブロップエンジンでプロペラを回して飛ぶものである。
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1955年から日本産旅客機を作ろうと、官民の出資で「日本航空機製造」が創立され、YS11が作られた。
1962年8月30日に初飛行し、1965年4月に運用が開始された。
しかし、1971年には、赤字になって、生産が打ち切られた。
そして、1983年には会社が解散してしまった。
それ以来、日本では国産の旅客機が作られていなかった。
YS11は、優秀な飛行機だと私は以前夫から聞いていたが、なぜ失敗だったのか?
今回読んで分かったこと。
それは、もともと軍用機としての発想から機体が作られていたことが原因なのだそうだ。
たとえば、配線では長さに余裕がなく、1か所が切れたらすぐには直せない。軍用機だったら整備工場に持っていって直せばよいが、旅客機だと次に飛び立つまでの短時間の間に修復する必要がある。旅客機の場合は、線を長くしておき、すぐに補修できるようにする必要があった。
また、水抜きなども不便であり、やはり整備工場にいちいち持っていかなくてはならず、空港の屋外ではできないなど不便だったそうだ。
軍用機の発想なので、客室としての快適さがなかった。
また、他国に売る場合、各国向けの整備マニュアルなどが整っていなかった。部品の供給なども円滑に進まなかった。
そのようなことから、空を飛ぶ機体以外の必要性への対応ができていなかったのだそうだ。
これを読むと、今の日本の電化製品などとはずいぶん違うなあ~という印象を受ける。今現在の日本製品は、利用者の便利を考えた、すごく気のきいた親切な製品が多いと感じる。
それで、今回の三菱航空機の製造する「MRJ」は、YS11の反省を踏まえ、顧客を第一に考えて作られているそうだ。販売やメンテナンスの体制も完璧にしているそうである。
YS11は、旅客機の使用が無くなったあとも、自衛隊の軍用機としては使われていたようである。
旅客機としては失敗作で、赤字になってしまった飛行機ではあるが、日本にとっては戦後の貴重な国産機であることに変わりはなく、この飛行機に愛着を持ち続けたいと思う。
このたび「MRJ」が製造されたことで、かえって「YS11」が着目されたともいえる。
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いつしか「MRJ」もこの「YS11」のように、お勤めを終えて展示される時が来るんだろうか?その時には、私もすでにこの世にはいないだろうね。
「YS11」から50年後に作られた「MRJ」は、美しい機体だな~と思った。
これが、運航したら、羽田空港にでも撮影に行こうと思う。楽しみだ。