山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

初運転

2016-01-11 17:58:04 | 車・運転・道路・駐車場2016
今年になって初めて運転した。
運転していたら、なんかシートの角度が変だなと感じ始めた。背もたれが斜めになっているので、背中がぴったり付かないのである。
そういえば、年末に娘婿に車を貸したのだ。彼は身体が大きいので、シートを後ろに下げてあったのを知っていたから、シートを前に引っ張って元に戻ったと思っていたのだ。
前に引っ張ると腰のあたりはぴったりしているのだが、背中が浮いているのだった。こうなると頭を当てる部分も離れているので、安定が悪い。追突でもされたら首が変になってしまうだろう。

そういえば、彼が運転した翌日、私も運転しており、その時シートを前に引っ張って元位置に直したと思っていたのだが、その時は気がつかなかったということだ。その時、ミラーの位地も直した。その日は数kmしか走っていなかった。

青梅街道を走りながら、どうも落ち着かないなあと思いつつ、それでも信号待ちなんかで適当にいじって、もっと変になったら困るだろうと思ってしばらくそのまま走っていた。
しかし、できるならば早く直したいところである。

手でシートの右側を探ってみるとレバーのようなものがあった。こんなのは1度もいじったことがない。いや、たぶん買ったときに自分の身体に合わせたはずだが、それ以降触ったこともなかったので、どういう仕組みだったか忘れてしまった。

バスの座席のリクライニングと同じだろうと勝手に考え、レバーを動かしてみるが、背もたれはバスや電車や飛行機のシートのように元に戻らないのだった。
そして、気のせいか椅子の高さが少し上がったように感じた。あれっ?レバーを2~3回動かすと、動かすたびにどんどん高くなっていくようである。こりゃやめたほうがいい。着いてから調べてみよう。

今日の行先は、瑞穂町のジョイフル本田である。
駐車場で車を降りて座席の脇のレバーを見てみた。同じレバーが前後同じ高さに2つ並んでおり、私がいじっていたのは前のほうだったらしい。どうやったら下がるのかよくわからない。動かせば動かすほど、どんどん上がっていく。そして止まった。後ろのほうのレバーが背もたれで、めちゃくちゃにいじっていたら直ったようだった。前のほうもなんかわけがわからないけど、とりあえず違和感のない位置に戻ったようだった。

家に戻ってきたら腰が痛い。行きに合わないシートで運転していったからかもしれないし、帰りも以前とは違う位置になってしまっていたのかもしれない。

車の説明書を開いて、シートの位地を確認しなおしたほうがよさそうだ。

今日の走行距離は76km。ちょっと青梅のほうまで走って戻ってきた。
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決定権が自分にあること

2016-01-11 09:02:00 | お題
「大人になる」というのは、20歳になったら自動的になるわけではない。
法律の扱いが、18歳や20歳で区切られているだけで、精神年齢の低い人や、社会的な義務や責任を果たしていない人もいる。
一般的に大人として認められるのは、社会の中でやるべきことをやっている成人である。
だから、楽をして遊んでいて人に世話になっている限りは、本当の大人とは言えないだろう。

だから大人は大変だ。大変だけど、その中でよいことは、自己責任において、自分で行動を決定できることである。
いちいち親の許可を取る必要がない。
もちろん、周囲に相談して決めなければならないこともあるが、たとえば趣味に使うおカネなどは、自分の稼いだお金を使う限り自由である。

それが楽しいなあと思う。

それでも、実際におカネもなく、貧乏症の私は、コンサートの1つもなかなか行く決断がつかないような人間だ。
ただ、自分が決断さえすれば、そういうものも自由に行ける立場である。

これまで、大人になって楽しいと思ったのは、独身時代に自分で働き、自分で給料をもらい、自分で家賃を払い、自分の力で生活したことである。

また、数年前はクルマの免許を取り、クルマを買って運転するようになったことだ。
もちろん、教習所に通うのも、車を買うのも自分のおカネを使ったし、駐車場や車検・保険などの維持費も自分の収入で賄っている。
車があると、手で持てないようなものも運んで来ることができるので、そういうときは達成感がある。

子供にはない自由があることは事実だ。


追記:単純なところでは、体育の授業がなくなってよかった。
英語の授業がなくなってよかった。子供のころは、これが本当に辛かった。
体育と英語がなくて、楽しいよ。おかげで、明るい人間になれる。



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