山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

またもやレジトラブル

2016-01-23 21:32:27 | 日記
このあいだとは別の店なのだが、またしてもレジで変なことがあった。
ここも2人1組(チェッカーとキャッシャー)でやってるレジだ。

私がレジの列に近づこうとしていたとき、カートを押して、ささっと私の前に入りこんできた客がいた。
普通だったら、私が先に並ぶはずのタイミングのところ、すばやく前に入ってきたので、まあ、私がトロトロしていたからしょうがないかと思った。それにしても、カートの上と下の段にかごを載せて、商品がいっぱいだったので、時間がかかるなとは思った。しかし、他の列も、そこそこ混んでいるので、移ったからといって早くなるとも思えなかった。

前の人は、カートからカゴを降ろしてレジの台に載せていたが、2つを並べず、それぞれを離しておいていた。

それを漠然と眺めていたのだが、レジの人(チェッカー)が1つ目のカゴの商品のバーコードをレジに通していた。
客は、2個目のかごについては目もくれないで、お金を払うほうに足を進めている。あれっ、別の持ち主が来るのかな?と思った。しかし、そんな人も見当たらない。客は1個目のカゴの会計をしていた。ならば、カゴごとに別に清算するってことかなと思った。

その間に、レジのチェッカーは、2個めのカゴの中身をレジに通して、カゴをずらした。すると、前の客はそのかごをぱっと持って立ち去った。

あれれっ?お金払ったの?

と思う間に、レジのチェッカーは、続けて私のカゴの中身をレジに通しはじめていた。
そして、キャッシャーの人が、6千何百円です、などというのだ。

はあ~~っ?
「6千円て? 前の人の分が入ってるんじゃないですか?」

そうしたら、あわててチェッカーの人が、私の商品を打ち直した。私は米5キロと、3品くらいしか買ってなくて、コメを入れても3000円くらいなもんだ。

あぶないあぶない、人の分まで払わされるところだった。

ところが、レジのほうでは大変だ。
いったん6千数百円分を解除して、私の分は打ち直したんだけど、1カゴ分はレジを通さないで商品だけ持って行かれてしまっているのだ。

その人がどんな人だったか、レジの人は記憶していないそうだ。清算を済ませた後、自分で袋に詰めてから帰るはずで、すぐに出ていくわけではないのだが・・・。
私も見まわしてみたんだけど、それらしき人は見当たらなかった。それに、どんな人だったかもよく見ていなかったのである。あれだけの品数を詰めるには、結構時間もかかると思うが・・・。

それにしても、おかしいよね。
自分が2カゴも買っていて、2つ目のカゴの商品をチェッカーに通していないことに気付かないなんてことがあるのか?
それだったら、カゴがもう1個あったことを忘れていて、1個だけ持って帰ると思う。カゴだけはちゃんと2個持って、風のように消えていってしまったのだ。
多分、6千円分以上は買ってると思うんだけど、それが3千円くらいしか請求されなかったら、安いとは思わないのかな?

で、レジの人が、誰だったか分からないと言って困っていたのだった。そういえば、ポイントカードを提示していたのを見たので「カードの番号を調べれば誰か分かるんじゃないですか?」って言ってみたら「これがその人のですか?」って私が出していたカードのことを言うので「それは私のカードですよ」と怒ってしまった。

だから、私の前に会計をした人が、一部分の金額を払うときにポイントカードを提示し、のこりの未会計の商品を持ち帰ったんだから、そのカード番号がレジに登録されてるんではないかい?ポイントカードは、申し込むときに名前や住所を登録するではないか。

まあ、私の知ったことではないのだ。
これからも、人の買ったものの金額を払わされることがないよう充分気をつけよう。

本人が、家に帰ってから、会計されていないことに気付いて申し出たりしたのかな?
どうだかな?
店は、該当者がわかったからといって、未精算分を請求することはできないんだろうしね。

チェッカーとキャッシャーの2人組みレジって、流れ作業で早いとはいうものの、何かと問題があるように思う。


コメント (2)

一生迷路から出られない自分

2016-01-23 16:08:02 | 日記
若いころ、思い残すことは、大学に行きたかったというのが、ずっとずっとあった。
だから、通信制大学に行ったのだ。それで卒業したのだ。それでいいじゃん。
それで終わりだ。

でも、どうしても終われないのだ。

勉強なんか好きでもないし、やる気も全然ないのに、ただ大学生になりたかったという気持ちだけが残っているのだ。
まるで、中身もないし、意味もないことなのだ。

一種の自縛霊なのである。

いいかげん、卒業しないといけない。
大学を、ではなく、自分で自分を縛ることを卒業しないといけない。

大学をやめたら、もっと自由で楽しい日がやってくるのかな?

半年やめてみたけど、また戻ってきてしまった。

他に行く道がないからだ。

何を目標に生きたらいいかわからないからだ。

遊んで暮らせばいいのだ。
好きなことをすればいいのだ。

そうに違いないけど、自分が何を好きなのかもわからないし、
他に、打ち込みたいこともないのだ。
コメント (4)

放送大学・・・

2016-01-23 15:54:00 | 日記
私の親は、私が高校生のころ、できるだけ大学などには進学させないようにしていた。だから、塾にも行かないし、大学の入学試験も阻止しようとしていた。
それでもなんとか1つの大学と2つの短大の試験を受けさせてもらうように説得して、入学試験料をもらい、勝手に願書を出した。
ただ、4年制の大学は、もし受かっても行かせないと言っていた。多分受からないが、もし受かったら行かせてくれ、いやダメだ、ということでずっと親子でもめていて、何にも受験勉強をしないまま受験の日が迫っていった。
私は英語が苦手だった。教材は教科書と進研ゼミだけで、どうやって勉強していったらよいのか要領を得なかった。入試にヒアリングテストがあるというので、毎朝、ラジオ英会話を聴いて耳を慣らそうとしていた。
第一希望の大学と、その大学の短大に落ちた。その短大からだったら4年制に編入する道があったがもはや道はない。結局、英語の試験のない滑り止めの短大に入った。普通だったら、第一志望と滑り止めの間には、いくつかの大学や短大があるわけだけど、そんなにたくさんの受験料を払えるわけがなかった。
滑り止めの短大は、好きな内容の学校だった。それにバカな人ばかりのはずなのに、私は決して良い成績も取れず、ぱっとしない学生だった。その短大の4年制に編入することなんか絶対に無理な成績だったので、そもそも高校時代に行きたかった大学なんかには、行けるはずもない人間であった。

でも、私は4年制大学というものにずっと憧れていて、それで、大人になってから放送大学に入ったのだ。そしてやっと数年前に、1枚の4年制大学の卒業証書をもらったけど、あんまり達成感というものはない。
放送大学3年編入ということで、やっぱり基本は自分が通った短大のときに得た知識にあるんだと思う。2年間に凝縮されたものだ。
その後は、放送大学で6年かけて単位を取ったけど、やはりこんなに長い年月かけて単位を取っても、忘れるほうが早いような気がする。

やっぱり、若い時に集中して勉強したのとは、わけが違うと思う。

本当の大学とはいったいどういう感じなんだろうか?どのように勉強してるんだろうか?
もはや、それは分からないままだし、今もやっぱり勉強のやり方がわからない。

そもそも、もともと、子供のころから、勉強の仕方が分からなかったんだと思う。
今、放送大学で、放送授業を見ても、教科書を読んでも、それだけで終わってしまう。
その先、何をどうしたらよいかわからないし、何も覚えられない。
コメント (2)

CDの値段

2016-01-23 15:10:28 | 日記

近頃、CDを買う人は少なくなったそうだ。
CDなんてのは、昔のものだから、現代人はそんなものを買わないで、有料でダウンロードするらしいけど、私はそんな方法がわからないので、CDを買っている。

しかも、私は若いころから、ほとんどCDというようなものを買ったこともなく、「音楽」なんていう娯楽に、お金をかけて良いとは、親から教わらなかったのである。

しかし、今は自分の稼いだお金の一部を自由に使うことができるので、今頃になってCDを買う喜びを初めて知ったのである。

最近、CDを買う人は、そこに特典がついているという理由が多いそうだ。
そういえば、riceのラストシーンでも、その注文と同時に、インストアイベントでの生演奏が聴ける券などをつけてもらうことができたりするようだった。

生の声を聴きたいなあとは思うものの、そういうところに50代のおばさんがノコノコ出かけていくのも場違いな感じなので、やめといた。

そんな場って、若いときでさえ1度も行ったことがないのだから、もし自分が今こんな年齢でなくても、行けないと思うし、こんな年齢だから、なおさら初めて行けたもんではない。

こういうことに限らず、スキーも行ったことがないし、カラオケボックスにも行ったことがないから、今さら初体験をすることもできないのだ。クラブっていうの?昔ディスコって言ってたところも行ったことがない。ライブハウスも行ったことないよ。

どんだけ地味な人生を送ってきたんだろうか。

で、CDって高いか?と思うと、別にイベント参加券がついてなくても高いとは思っていない。
今度買ったCDは3曲で1600円くらいだけど、これはほぼ「とんかつ定食」1食分の値段である。

食べ物は食べたら、あっという間に終わりである。もしそれを食べないで、カップラーメンで済ませたところで、どうということはない。

「食べ物」っていうのは、考えると高いものだなと思う。

食べなきゃ死んじゃうから、それだけ価値のあるものなんだろうけど。

CD1620円で、ずっとずっと繰り返し聴いて楽しめるんだから、決して高いとは思わない。
コメント

労働の対価と物価が釣り合わない

2016-01-23 01:10:35 | 日記
バス会社が、料金を下げないとツアー会社から仕事がもらえない現状。

それって、私の会社でも似たようなことが起こってるように思う。
私の勤め先は、バス会社じゃないけど、顧客(上位に立つ大きな会社)から仕事をもらう立場の会社である。

同業者で、もっと安く請け負っている会社があるらしく、わが社は「品質が良いのでこれ以上の値下げはできない」と言っていたら、A社からの発注が激減してしまった。
「品質がよいから」という理由では太刀打ちできないのだ。

そして、B社からは、すごくたくさん発注があるんだけど、無謀な急ぎの注文などもあり、社員は寝ないで働いているような状況。へろへろである。
品質や完成度を維持するのも大変だし、社員の健康にも問題が出てくる状況だ。

そして、今度は、C社であるが、別の同業社はもっと安くしているので、こちらでも安くしろと言ってきているらしい。
どの程度安くしろというのか?同業他社の料金設定が知りたいところ。

こういうのって、同業者で結束して値段を下げないように頑張らないといけないんじゃないだろうか?どこまで値切られてしまうのか。

仕事を安く受けるってことは、働き損のくたびれ儲けになるってことだ。

働いても働いても、収入より出ていくものが多いってのはどういうことなんだろう。

1カ月必死に働いても、家賃ですべてが吹っ飛んでいくっておかしいんではないだろうか。

お金とか労働の価値とかのバランスが異常だと思う。


コメント (4)