山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

見栄晴君のしくじり先生と自分

2016-01-25 23:40:26 | 日記
テレビをつけてたら、見栄晴君がしくじり先生に出ていて、面白かったので、最後まで見てしまった。

子役だった人や、1度売れて贅沢を味わってしまった人って、転落の人生を経験する人が多いようだ。でも、芸能人の人生経験を聴いていると、どんなに転落しても、挽回することができるということを教えてもらえる。

今日の話は、いろいろと心に響いた。

欽ちゃんが、見栄晴君役の最終選抜で、本人たちにジャンケンさせて決めたこと。
運で決めるともいえるけど、けっして誰か第3者が決めたりするのではなく、じゃんけんは本人の力なんだ。だから、だれも文句は言わない。負けた子だって自分がグーを出したってことで、自分が決めたんだから。

その後、見栄晴君が、欽ちゃんの番組を卒業し、売れなくなったあと、欽ちゃんが「大学に行けば」って言ってくれたのもよくわかる。
家庭教師まで用意して、勉強させてくれたそうだ。若くして芸能生活で普通の生活ができなかった子たちのことをよく考えてくれて、その子達の将来まで心配してくれる人なんだね。でも、真意が伝わらず、見栄晴君はせっかく入った大学をやめてしまったそうだ。

萩本欽一さんって、まごころがあって、すごい人だなと思う。どうしたら、そういう人になれるんだろう。
(今、大学で仏教の勉強をしているそうだけど、そのうち、瀬戸内寂聴さんみたいなお上人さんになるんじゃないかと思う。)

見栄晴くんが、成蹊大学の試験会場に行きながら、試験を受けないで戻ってきてしまったという気持ちよくわかるよ。府中の人でもそうなんだもんね。
私なんか、静岡県の田舎から、高校の制服とカバンで、始発の鈍行電車に乗って東京に来ちゃったんだ。当時の田舎は、どこに行くのも制服で行けば問題ないという感覚だった。それに、学校に行くんだから制服でいいだろうと思ったわけだ。
そうしたら、第一志望の女子大の試験会場に行くと、みんな私服で、中には真っ赤なコートを着たお嬢様みたいな人がいて、本当に圧倒されてしまった。試験会場の教室で制服を着ていたのは、私1人だったよ。
英作文の試験は全然書けなかった。見栄晴くんが日大で試験を1科目だけ受けて帰った気持ちもよくわかる。でも、私はなんとか合格したいと思って最後まで受けた。

駅の階段で足を踏み外し、5~6段転落し、膝をすりむくし、全く悲惨な受験だ。そのうえ、新幹線の切符の買い方が分からず、東京駅の窓口のおじさんに怒られるし、もうやだよ。
存在しているだけで、恥ずかしい人間だったんだから。

合格発表も見に行けないから、大学で、試験の後で郵送してもらう依頼をしたけど、それも1人だけ制服で恥ずかしかった。
「どうしても見に来られないんですか?」とすごくイヤな顔をされた。郵送の人は、関西の人とか東北の人だったらわかるけど、静岡だったら見に来れるでしょってことなんだ。でも、電車代がかかるから、合格発表だけを見に来ることなんか考えられない。どうせ落ちてるだろうしね。でも、なんか、受付の人は、どうせあなたのような場違いな人は、この大学に受かってるわけないから、送る必要ないと思いますよ、って感じなんだ。合格してれば入学手続き書類が送られてくるんだろうし、来なきゃ落ちてるってことだもんね。ま、実際不合格通知というものが届き、薄っぺらのペラペラだった。ほんとうにみすぼらしい人間だ。

見栄晴くんの話を聴いていたら、そんな自分の受験体験も思いだした。

見栄晴くんは、東海大学の工学部に入ったんだもん、やめたのはもったいなかったね。

自分が、子供のころは、まあまあ頭がいいほうだと思ってたけど、高校に行ったら本当に落ちこぼれになるし、今も落ちこぼれだ。
今になって、授業について行けない子供の気持ちがよくわかるようになった。

自分も相当なしくじり人生だけど、無気力にならず、生きて行かなくちゃいけない。

どんなときも、「まだ捨てたもんじゃない」ものが、自分の中にあるはずだってことを、今日のしくじり先生で気付かされたように思う。

昔の辛い体験も、バカみたいな体験も、今になったら笑い話だ。



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