自分の親でありながら、どうも波長が合わないヨと思うことが多々あるのだ。
暑くて食欲がなく、母は何も作る気がしないというので、私が帰省したときは、食事の支度は私の役目となった。
だが、昭和ひとけた生まれの母は、食材を無駄にすることを非常に嫌ったり、自分のやり方とは違う調理の仕方をするのが気に食わないと、なんだかんだ不服を述べるので、母の顔色をうかがいながら食事の準備をすることになる。
それで、私は、なるべく実家にある食材で献立を考えようとしている。
母は料理にニンジンをあまり使わないので、私がニンジンを買うと、その責任を取ってニンジンを残さないようにしなければならない。だから、ニンジンを使う献立を考える。
そして、テーブルの上に転がっている干しシイタケのようになったシイタケも使おうと思う。
小田原から、さつま揚げを買っていって、前日に酒のつまみにした残りがあるので、そのさつま揚げも使ったほうがよい。
ということで、栄養のある芽ひじきの乾物を買ってひじきの煮物を作ろうとした。
すると、母が、ひじきの乾したのは家にあるので、芽ひじきなんか買うことはなかったというので、だったら芽ひじきは私が東京に持ち帰るからと言った。
そこで母が戸棚から取り出してきた袋入りのひじきを見ると芽ひじきではなく太くて大きなひじきであった。まあ、それでも良いのだが、賞味期限を見るとなんと2017年の6月であった。なぜか消費期限も書いてあって同じ日付になっていた。
乾物だから長持ちするとはいえ、いくらなんでも2年も前に賞味期限が切れているのはいかがなものか。
これで作ってまずかったらいやだから、私は自分が買った芽ひじきで料理を作りたいが、母は実家にあった古いひじきで大丈夫だと言い張る。
2年前に賞味期限が切れているということは、3年前くらいに買ったものなんだろう。何もそれをどうしても使わなくたってよかろう。私は頑として新しい芽ひじきを使いたい。
それ以外にも、ひじきの煮物については、私が鈴廣のさつまあげを一緒に煮ると言っているのを、母がしきりに阻止しようとする。
「私は、さつま揚げなんか入れない。いつもは油揚げを入れるよ」と言う。
「油揚げでもいいけど、薩摩あげが余ってるからそれでひじきを煮ようと思ったんだよ。薩摩あげていいでしょ。」
というと、「えっ、薩摩上げを入れるの?私はそんなもの見たことない。油揚げのものしか食べたことがないよ」と言う。
「だったら、油揚げを買ってきたらいいの?」と聞くと、
「油あげなんかわざわざ買ってくることはないよ」と言う。
要するに、ひじきを煮るなってことなのか!
全く切れるよね。
ひじきの煮物は、私が東京で教わったのは、小エビでもちくわでもかまぼこでもそういうたんぱく質だったら何でもよいはずなのである。
それに、こんにゃく・ニンジン・シイタケ等を入れ、大豆などのマメも入れて良い。
母はゆでた枝豆が残っているのもすごく気にしていて、食べないなら冷凍するなどと言っていたので、それも鞘から出してひじきの煮物に入れることにした。
スマホでクックパッドなどの画像を出して、「ほら、こういう料理があるんだよ」と証拠を見せておいた。
それでも母は「そうかね、私は知らない。そんな料理食べたこともないから、いいだかわるいだかわかんない。勝手にしな」と開きなおる。
まあ、出来上がった料理はおいしいと言って食べてくれたからよいけど、母の固定観念を破るのは大変なことなのだ。
一事が万事この調子。