母は、電気をつけるのを嫌う。
これは、やはり昔の人で必要最低限の電灯を使っていたからなのだろうか?
昼間、空が曇っているときなど、私は実家の照明をつけたいのだが、私がつけると「そんなに暗いかね」といって、点ける必要はないのでは?という態度を示すのだ。
だから、実家にいるときは、なるべく点けないでいようとしているが、私は昼間でも電気をつけて仕事をしているせいか、明るいのに慣れてしまっているため、ちょっとでも薄暗くなると見えづらいように感じる。
目の視力とうのは、色を判別する神経とはべつに、暗くても感知する神経というのがあるそうで、おそらく野生動物や原始人などは暗闇の中でも物が良く見えたのだろう。
思うに、母はそういう神経が発達しているのだと思う。
それで、私にとってはあまりに薄暗く、新聞や印刷物の文字も読みづらい時があるので、「字が見えないから電気を点けるよ」といって点けるのだが、母が「もう読んだかね」と言って、私が読み終わるのを見計らって電気を消すのである。
これはドケチなため電気量を節約しているのかといえば、別に電気代がどうのこうのというわけではないので、電気代の問題ではないようだ。
居間の隣のキッチンの電気は、私は夜キッチンを出る時は普通の状態からスイッチを消してしまい、入るときにまた普通に点けるのだが、母の場合はとても暗い豆電球みたいなのにしてあって、ちょっと何かを取りに台所に立ち入るときには、その暗い灯りのままで作業をするのである。
それで、私がキッチンの電気を消すと怒るのだが、じゃあ点ければいいじゃんというと、そんな明るき電気はつけたくないから、ずっと暗い電気にしているのだそうだ。
私は暗闇に近いような灯りでは物が良く見えないので全部つけたいのだ。
全く91歳にして白内障にもならずよく見えるものだ。それに私は裸眼の視力が0.3と0.4になってしまったし、老眼鏡が無いと細かいものは何も見えないのだが、母は見えるのである。
そうして、「あんたは目が悪いから・・・」というのが母の口癖。
先日、自宅のベランダの小さな山椒の木の葉が、なんかいつもと違うような、分厚い気がして目を止めたところ、なんと山椒の葉と同じような色合いの青虫がついていた。葉っぱだと思ったら違ってた、という話を母にしたところ「あんたは目が悪いから虫が見えなかったんだ」と言う。
いや、私の目が悪いからではなく、擬態っていうの?誰が見てもわかりにくいように緑に黄緑の線みたいな模様の青虫で、山椒の葉っぱと似ていたのだった。
それを何かというと「あんたは目が悪いから見えないずら」となるから、ムカつく。
このあいだは電話で話していると、母が台所のガスコンロのつまみが汚れていたので掃除をしていたとのことだった。「この前来た時汚れてたら?」というので、「さあ、いちいち見ないから気が付かなかったけどね」というと「あんたは、目が悪いから見えなかっただろうけど、汚れてるんだよ」と言う母。
いちいちここでも言うか?
私は台所で料理をするときなどは老眼鏡をかけないと細かいものが見えないので、いつもメガネをかけている。だから、目が悪いせいで汚れが見えない、ということではないのに、何かというと「あんたは目が悪いから見えない。私は目がいいから見える」と言うのである。
こういうの「マウントを取る」っていうんだろう。
私は中近両用メガネをかけていると、母よりは見えるわけなのだが、裸眼では母のほうがよく見えるので、今後もこの状況は続くことになる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます