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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

過ぎ去ったモード

2006-05-20 15:11:04 | 未分類過去
今日は、暑い。いよいよ夏ですね。
ちょっと湿度が高いですが、久々に天気がよくなって、大量の洗濯などしています。
先週2回冬物のクリーニングを出しました。半額サービスの日もあったのに、ざっと7千円くらいかかりました。それでもまだまだ出さなくてはならない冬物がたくさんあります。
この季節お金がかかるなあ~。
そして、代わりに夏物を出そうと衣類を点検したところ、「これはもう着れない」と思う服が大量に出てきました。それが、もう去年まで着ていた服の大部分といえるくらいの量で、あらためてびっくりしてしまうのですが、とにかく「型が古い」わけです。
人間が服を着るというのは、単に快適な温度環境にするとか肌を守るとかではなく、その人の「像」を作っているのであって、自分で自分の全身像を見ることはほとんどないのですから、自分の像を他人に見せるという意味が強いそうです。そこではイメージが重要です。(放送大学「芸術・文化・社会」の教科書に書いてあった。)たしかにそうだなあ~と思いました。だから、ある日突然今まで気に入っていた着心地のよい服が、やぼったく着て恥ずかしいような服に変容しているわけですね。世間の中の自分、他人の目に映る自分を重視するからですね。
今年は特に「これゃもう着れない」という気持ちが、毎年のことより強く感じられ、何年も箪笥の肥やしなっているような服も、昨年まで着ていた服も、さらにはこの冬まで着ていた服もクリーニングに出すまでもなく、どか~んと思い切って捨ててしまいたい気になりました。なんで、こんな変な服をきていたんだろうとむかついてくるほどです。
それで、きっと着る服がなくなって困るだろうとは思うのですが、狭い家の中で服に埋もれて暮らすのもうんざりで、ほんとうにすっきりしたいです。

自分の部屋に行ったら、そこもまた要らない本や教材がいっぱいで、特に外国人に対する日本語教材はもうたぶん使わないだろうと思います。自分の中のモードがすでに過ぎ去っているのです。

あたらしいモードに切り替えて、新鮮な毎日をすごすのもいいでしょう。

それにしても、今日は風が強いなあ~
今、棚から紙袋が頭の上に落ちてきました。
風が強すぎて逆に窓も開けられないし、ベランダの洗濯物も狂乱しています。
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課題進行状況

2006-05-20 01:04:20 | 放送大学
今回の提出課題は4科目で、択一式の2科目、「著作権法概論」と「芸術・文化・社会」だけ終了しました。
昨日は著作権をやったんですが、ビジネスキャリア知的所有権ユニット試験の勉強の時には全然出てこなかったような内容も出てきました。やはりあの試験はあんまり力を証明できるものではないなと思いました。あらかじめ試験にどんなことが出るか山をかけることができて、とりあえず最低限のことを覚えただけでした。でも、とっかかりにはなったと思います。

そういえば、あのときに勉強した内容は全部忘れてしまったので、忘れないように知的財産検定でもうけようかなとおもいました。今度は7月9日です。最近、科目別に受けられるようになったそうで、今回は「特許」だけを受けることができるので、受けてみようかと思います。そして、秋に「著作権等」を受ければちょうどいいのではないでしょうか。

あっ、内容がそれてしまいました。
放送大学、「芸術・文化・社会」の課題は今日やりましたが、この教科書の筆者はかなり「料理」と芸術についてこだわっているように感じました。たしかに、料理にも芸術的な要素があるので、そこに目をつけるのはいいかと思いますが、ちょっと力が入りすぎじゃないかなあとも思いました。
まあ、何事に関しても、よほどのこだわりと情熱がなきゃ、踏み込んで研究するなんてことはできないんでしょうけどね。

芸術について考えると、本当にピンからキリまであって、そのもう芸術とはいえない「キリ」以下のところで、私の生活が成り立っていることをつくづく感じてしまうこのごろです。

例えば、携帯による写真をブログに乗せたら、単なる視覚情報にしか過ぎないわけで、「花が咲いてました」「日本庭園をみました」・・・「ああ、こういうものを見たのね」という情報伝達にはなるわけです。しかし、そこで、「美しい!」「素晴らしい!」というような写真としての芸術作品には到底なりえない。

にんべんのつゆでざるそば食べて「おいしい!」と思い、満腹して満足していますが、それは単なる食事です。きれいな器に、とびきりのそば粉で手打ちそばを打って作ったざるそばを盛って食べたら、それは味も見た目も芸術に近づくでしょう。

しかし、私の生活は芸術から遠くかけ離れたところで、日常を満足させることを余儀なくされているわけで、質の悪いところに向かっていかに満足するかを追求するという逆のベクトルで生きているわけです。
芸術とはほど遠い日常、でもそれが自分の文化であり、この社会に生きる現実の自分です。

芸術家じゃないんだから、芸術といえるものが生み出せるわけはありませんが、オペラなんかけっして見ることのない世界に生きる自分、ミケランジェロの絵なんかもテレビの画面の中でしか見ることのない自分、有名な演奏家の音楽ではなくて、高校の吹奏楽部の演奏で充分楽しむ自分、本当の芸術に接することのない自分、それを受け入れるしかない人生、ということを身にしみて感じる。ただそれだけです。
だから課題は、問題提出者の意図に沿って答えを選ぶのみです。

だから、苦痛なんです。
自然法則を学ぶほうが自分にとっては苦痛がないんです。

また、話がそれました。

のこりの課題は、「20世紀の中国文学」と「日本語基礎A」です。
中国人に日本語教えてました。
だから、一時、中国にとても興味がありました。
中国3000年の歴史、中国文学は温泉饅頭です。・・・なるほど。
しかし、正直、中国に対する情熱はほとんど消えてしまいました。

そして、日本語なんて「くそくらえ」です。
日本語学校で非常勤講師なんかしても食っていけませんからっ!!

進む意味のない道を進んでいるのはなぜなのか。
人間って、気付いてもすぐには止まれないものです。

なんか毒づいてしまいましたが・・・。
いけない。たのしく勉強しましょうね。
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どのセンターがいいかな?

2006-05-19 19:04:14 | 放送大学
我が家最寄り駅から放送大学学習センターまでの所要時間と料金

多摩   電車26分 徒歩 7分 計33分 350円
文京   電車30分 徒歩 5分 計35分 370円
世田谷 電車35分 徒歩15分 計50分 470円
足立   電車43分 徒歩15分 計58分 610円
大宮   電車48分 徒歩 5分 計53分 620円

ウチから自転車で駅前の駐輪場まで15分、そこから駅まで徒歩7分くらいかかりますので、家からセンターまでは上記の時間に約30分程加算となります。

文京センターは茗荷谷まで地下鉄だけで行くと、時間は40分かかりますが230円で行けます。
世田谷・足立は徒歩15分というのがいやですね。
歩くのは健康にいいかもしれないけれど、やはり駅から近い多摩か文京がいいな。

「動物園の歴史」「実験―ポリマー学概論」「センサの基礎と応用」等は残念ながら世田谷です。頑張って15分歩くか? 電車の乗り換えも結構面倒くさいなあ。
バスもあるみたいだけど、バス代高いし渋滞したら時間どおりにいかないしね。
「光の科学」は埼玉で交通費が高いです。2日間だからまあいいかな。
「沖縄へのまなざし」は足立で問題外。
「日本住宅の近代化」ってのが「生活と福祉」のコースで、文京センターで木と土というのがありますね。土曜日は江戸建物園に行くようでおもしろそうです。

いずれにしても、歩く時間が長いよりは電車に乗っている時間が長いほうが勉強ができていいです。乗換えが少ないほうがさらにいいです。
しかし、全体の所要時間がかかると、帰宅時刻が遅くなってしまうので、やはり近いにこしたことはありません。5時55分に終わってまっすぐ帰宅しても、一番近いところでさえ7時はとうにすぎますからね。夕飯は作る暇がありません。

やっぱ、文京か多摩から探したいですね。



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モアイ像がっ!!!

2006-05-19 18:46:11 | 未分類過去
え~~~っ!うそでしょう!
モアイ像が増えてるよ。
確か6人だったと思ったけど、
どうしてこんなにいっぱいいるのかな~???
ちょっと多すぎるんじゃない?
ちょうちょも一匹だったのにいっぱい飛んでるよ。

      

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面接授業案内を見て

2006-05-18 14:26:57 | 放送大学
放送大学、夏季集中型面接授業の案内が届きました。
こういうのを見て選ぶのはすごく楽しみなんですよね。
それで、勉強はそっちのけで、受講科目選びに没頭し始めました。
私が所属しているのは人間の探求コースなので、基本的にはそこから選ぶべきなんですが、なかなかちょうどいい科目がありません。
「芸術」を研究するというのが、私の現在の生活心情とはあまりにもかけ離れているのです。昔は音楽・演劇・文学・美術など大好きだったのですが、今は生活に余裕がなくなってしまって、そんなことを悠長に研究したり楽しんだりしている気分ではありません。
文化や民族・歴史などもそうです。日本語を教えているうちに、外国人・外国文化トラウマみたいにもなってしまっているので、それ系も苦手です。
私が取れるのは第二日曜を除く土日なので、受講できる科目は決まってきます。音楽と舞踏と古典文学は除外したいので、そうなると「動物園の歴史」「沖縄へのまなざし」あたりしかありませんね。どうも貴重な週末をつぶすほどの魅力が感じられないなあ。

共通科目で「光の科学」あたりがいいかなあと思いました。
私は今、工業所有権に関する文章を読んで誤字の訂正などをする仕事をしているのですが、内容については意味不明なものばかりで困っているのです。
レンズ、光学機器、センサ、石油化学、ポリマー、金属、電気、制御などに関するものが多いです。
放送大学の他の専門科目を見ると、「産業と技術」のコースでは「センサの基礎と応用」「実験―ポリマー学概論」「暮らしの中の高分子材料」「マイコン制御入門」。「自然の理解」のコースでは、「金属元素と人とのかかわり」「パソコンで考える化学」「発酵化学」「超伝導の物理」「振動と波動の物理」「光学」など、今の仕事に役立つ知識が得られそうな様々な科目があります。
もう人間の探求コースを卒業するのはあきらめて、来年は現実に直結した他のコースに変えようかな、などと思ってしまいます。

でも、理系の科目はついていけるだろうか?一応高校までの知識はあるはずだとは言っても、高校時代に理系の大学に進むための勉強なんか全然してないから、不安です。
今でも、自分の所属外の専門科目をとることはできるのですが、やはり受講したところで理解できないのではないかと思って遠慮してしまいます。

そうなると、やはり今取れる科目は、共通科目の中の理系科目なら大丈夫かなといったところですね。
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さぼり脱出必要親子

2006-05-18 10:09:21 | 未分類過去
今日こそは一日放送大学に行こうと思っていたら、今朝になって子どもが、学校は3時間でお弁当はいらず家で昼ごはんを食べると言うので、また中止にしました。
普段、部活やバイトで家でまともな食事をすることが少ないので、いくらかでも手料理を食べさせたいと思います。
それで、放送大学の課題は放送教材を視聴しないまま、教科書だけで家ですることにしました。

高3の娘は今週から中間テスト前で部活が休みになっていますが、ぜんぜん勉強をしている様子はありません。
こりゃ、ダメです。しかし、親の意思ではどうにもならないので、もうなるようになれです。

月曜日は夫の話によると、午後に帰ってきたがどこかに行ったとかで夜の8時頃帰ってきましたが、娘の話では買物に行ったんだそうです。
なんで、テスト前に買物なんだ!と思うのですが、ふだん部活とバイトで買物に行く暇もないので、初夏物の服を買うのにちょうどよい時間ができたと思ってでかけたのでしょう。
昨日はまた7時頃まで帰ってきませんでしたが、友達と飲食店でだべっていたようです。
これも、普段いっしょにいる部活の友達だと思うのですが、普段は部活に取り組んでいるだけなので、たまには気を抜いて遊びたいと思ったのかもしれません。そして夕飯を食べて隣の部屋でテレビを見ているのかと思ったら、布団にもぐって熟睡しているので、テレビと電気を消したらそのまま朝まで寝ていました。日ごろの疲れがたまっていたんでしょうね。

しかし、こんなことをしていて、いつになったら勉強を始めるのかと思います。
いくらのんびりしている偏差値の低い都立高校だからといっても、みんな受験を考えて真剣にやり始めているはずです。推薦をとるにも1学期の成績が関わってくるというのにどうするつもりなんでしょうか。今までも、大した成績じゃありませんから、1学期をよほど頑張って平均評価を上げるしか道はないというのに、こんなことでは無理です。

一番行きたい大学は、推薦では勝ち目がなく、学力試験で普通に受験するしかないようです。今までほとんど塾に行ったこともないし、ウチの経済状況では予備校などに行かせるのはきついのですが、本人に意志があるなら、なんとか費用を捻出しようと思います。でも、本人にもその決断はつかないようです。
確かに、一般入試にかけるだけの甲斐があるかどうかわかりません。それで失敗したら後がないからです。

うちの子のやりたい勉強は専門学校ではたくさんあるのですが、大学は2つくらいしかありません。大学に入ろうと必死に勉強しているうちに専門学校の申し込み時期がすぎてしまうようです。だから、大学に失敗したらバカらしいです。そして、もともと机の上の勉強はあまり好きではないようなのです。でも、任されたことなどはしっかりやる性格なので、仕事に必要な実際的な勉強ならちゃんとこなすのではないかと思います。
考えてみると、私のほうの親戚は皆、実技系なんですよね。次女はきっとその遺伝子を引き継いでいるのでしょう。英語嫌いも私譲りですから、受験には非常に不利です。

まあ、とにかく、本人のことは本人に任せるとして、私は自分のやるべき放送大学の勉強をしなくては。
私も娘に劣らず、延々さぼり続けているのでした!
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桜からモアイ像に

2006-05-18 00:47:56 | 未分類過去
青空の地にピンクの桜の木のテンプレートは、文字も大きくて読みやすく、とても気に入っていたのですが、桜の季節もとうに終わったので、テンプレートを変えることにしました。

モアイ像は好きです。テンプレート上部の雰囲気はとてもいいなあと気に入りました。しかし、文字が小さいので、老眼の私にはちょっと読みにくいです。
他の方のブログでも、内容がおもしろくても文字が小さいものはどうしても読むのが億劫になってしまうことがあるので、できればもっと大きいほうがいいなあと思いました。
でも、自然素材の紙のような文字の欄も、色のぼかし具合など雰囲気がいいなあと思い、捨てがたい気分になり、やはりこのテンプレートにしようと思います。

青空の色調が桜のテンプレートと同じだし、イースター島は何よりも海を連想することができます。あっ、後方の濃い青は海ですね。
私は海を眺めるのがすきです。
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空調

2006-05-17 21:13:34 | 未分類過去
今日、会社でなんだかすごく体が冷えてきました。寒いという感じではないのですが、芯から冷えて骨が痛くなるような感じです。寒いなら上着でも着ればすみますが、これは真夏などに強烈に冷房を効かせてその冷風が長時間体に当たった後に起きてくる不快感のようでした。私はもともと冷え性ではなく、夏の冷房の中でひざ掛けをかけたり長袖を着るような体質ではありません。しかし、今日はニットの長袖をきているにもかかわらず、どうしても冷えるとしかいいようがありませんでした。
周りの人に聞いたら特に寒くはないそうですが、エアコンを確かめると23度でドライに設定されていました。23度って低すぎるんじゃありませんか?
しかも、今日外気は何度でしょう。けっして夏日でもなんでもありませんよね。
24度にあげてもらいましたが、人の話によると最近毎日23度でエアコンをかけているのだそうです。
私は今、通路側の端の席に座っているのですが、内側の隣に座っているひとは寒くないそうで、そういえば、すぐ近くにある天井の通気口からは特に冷気を感じません。私が冷えるのは確かに通路側になっている肩と足の半面であるようです。その通路から通じている出入口付近の天井にある通気口の下はかなり強い冷気を感じるのですが、どうやらその冷気が下に降りてから私のほうに流れてくるようなのでした。これからは防寒具を用意したほうがいいかもしれません。家に帰ってきてからもまだ体の左側が変です。

それにしても、考えてみると、いまの会社って決して窓を開けたりはしないんですよね。
昔だったら窓を開ければ今の季節はちょうどいい外気温だと思います。でも、書類が風でとんだり、外の湿度がパソコンなどに悪影響を及ぼしたりするから開けないんでしょうか。
窓が開くものだか、もともと開かないただのガラスなんだか、よくわかりません。
しかし、エネルギーの無駄だなあ。
他の部署でも最近エアコンの問題がおきているようです。ある場所はすごく暑くてある場所はすごく寒いんだそうです。所詮空調設備なんか不自然なものなんじゃないでしょうか。

そういえば、ゴールデンウイークに田舎の電車にのったときに、ものすごく暑くて死にそうでした。
酸素が足りない!暑い!気持ち悪い!あと、20分、あと10分、あと3分の辛抱だ~~~っ!と、やっと乗換えまで耐えていましたが、その電車は最新式で、座席なんかが観光客向けにちょっと変わった配置になっている電車でした。
しかし、出入り口が車両の前と後ろの2箇所しかなく、その出入り口に行くのにもうひとつ扉があるのです。つまり、新幹線みたいな作りになっているのですが、窓は開かないし、駅で停車しても外気が入ってこないし、もう内部は人いきれで暑くて暑くて耐えられません。本来なら空調で調節するのでしょうが、それがうまく行っていなかったのですね。
満員で車掌さんに連絡するすべもないし・・・。
反対方向から来てホームに止まっている電車が山手線みたいに出入り口のいっぱいある電車で、扉を開け放っていていいなあ~と恨めしく思いました。
せめて、昔みたいに窓が開けられたらいいのにな~

空調設備に頼らず、昔のように窓を開けるってこと、いいことだと思うんですけどね。
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同窓会

2006-05-16 21:01:42 | 未分類過去
別に同窓会の予定があるわけでもないが、ネタがないから突然同窓会の話題ですすめよう。

私の高校のときの同学年の仲間は、4年に一度同窓会を開いており、私も前回まで連続して2回出席している。7クラス全体のものだから全部集まれば300人くらいになるのだが、毎回100人くらい出席するようである。3分の1も出席すれば、多いほうではなかろうか。集まるのはオリンピックの年だから、次は2008年である。

この同窓会に次回は出ないにしようと思っている。
なぜならば、前々回行ったときは久々の再会で懐かしくもあり、楽しく過ごしたのだが、前回は親しい人も少なく内容もあまりおもしろくなかったからだ。
私の3年のときのクラスはあまりまとまりのいいクラスではなく、クラスごとに丸いテーブルを囲んで座るようになっているが、そこに座っているのはちらほらで、もともとこんな人いたっけ?と思うような人も多く、けっして楽しく懐かしい仲間ではない。それで、ついつい部活仲間のいる別のクラスのほうに行って混じったりしてしまい、クラスのほうはさらにまとまりがなくなり、時々思い出しているべき場所に戻ってもほとんど人がいないようなクラスなのである。

また、いつも幹事をしてくれる人たちは同級生同士で結婚した夫婦などを含む地元に残っている人たちなのであるが、その企画のひとつが、友達が友達つながりで思いついた人やその場で目にとまった人などをステージに呼び出して、呼ばれた人が次々に今何をしているのかなどを自己紹介したりするものであった。
これは毎回行われるのだが、その友達の輪というのはけっして私たちにはつながってこないのである。たしかに、高校時代を思い出すと、親しくするグループというのは決まっていて、色合いの違うグループの人にはあまり関心も示さず、接触をもたなかった傾向があるが、それは大人になっても相も変わらず続いているようなのである。
それで、いつもステージに上がって近況報告をするような人たちというのは、皆私の親しくしている一群とは違う人たちであると言えた。
また、教員になった人は出てきてください、などと職業でわけて呼び出したりもするのだが、それも地元の学校で教師をしている人や店を経営している人などが出て行くことが多い。私の所属する職業などが呼び出されることはなかった。だから、自分とは関係のないところで関係のない仲間が盛り上がっているにすぎない。

そんな中で、自分が心を惹かれていた同級生などは今まで全然出席していないから、今後も同窓会で会える可能性は低いし、同性のとても親しい友人とは誘い合って参加したりはしているのだが、子供が小さいため先に帰ったりなどしてしまい、あまりゆっくり話せなかった。それならば、その人たちとだけで都合のいい日に集まってゆっくり話でもしたほうが有意義なときが過ごせるといえるだろう。

前回の同窓会での最悪の極めつけはビンゴゲームで、ゲームの参加費はひとり500円だったのだが、当たりの景品は何かと思ったら、集めた現金を数人に分配しただけだった。
1位には3万、2位は1万、3位は5000円、後は無し、みたいなやり方である。
たしかに幹事が景品を用意するのは大変かもしれないが、あまりにも興ざめじゃないか?

そして、2次会の会場に移動することになって、1番親しい友人2人はまだ子どもが小さいから帰ってしまったのだが、もうひとりの部活の友人M子と一緒に移動しようとしていたところ、会場を出たところでM子に昔から思いを寄せていたか親しかったらしき男がくっついてきて離れなくなった。
早く用件を済ませて去ってくれないかなと思っていたのだが、次第に親密なようすで話しこむばかりであり、そのうち1次会に出ていなかったM子の親友にも電話をして2次会に来るように呼び出そうなどと言ったらしく、それを頼まれたM子が男と話しながら電話をしたりなどして延々時間がかかっている。
もういつまで待たされるのかわからない。しかもその男にとって私は知り合いでもなんでもなくお呼びでないことは明らかだったし、呼び出そうとしている友人も私はよく知らなかった。
それで、ついにM子と男を置いて移動してしまった。会場に着き、じゃあ同じクラスで親しかったY子と行動をともにしようと決めたのだが、先に到着したY子は私は入らないという想定でに別の友人たちと席を埋めていた。
なんとかその仲間の隅のほうに入れてもらったのであるが、短大も同じであり、同窓会に行く際には連絡を取り合って行ったY子が、帰る時には帰宅方向が違うとは言え、私に別れの挨拶の一言もなしに別の友人と意気統合して楽しく連れ立って帰ってしまったのはショックだった。その後何の連絡もしていない。

高校時代にほとんど知らなかった人と、改めて話してみるというのもおもしろいにはおもしろいが、それ以上に親しくなるということはないといえる。

そんなわけで、今後もぜひ出かけていきたいというような気持ちは前回で無くなってしまった。

なんだかわからないけど、急に2年も前の同窓会のことを思い出した。
先日、ゴールデンウィークに故郷の美術館で高校時代の部活の友人にばったり会ったからかもしれない。
美術館で会った友人はずっと同窓会には出ていないけれど、その友人が部活で一番親しくしていてゴールデンウィーク中に会う予定だと言っていた友人というのが、同窓会で男が付きまとって来て私が一緒にいるのをあきらめた友人M子なんだ。


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幻の匂い

2006-05-16 00:28:34 | 未分類過去
昨日、放送大学に行ったところ、教室に入った瞬間、以前嗅いだことのある私にとっては特別な思い出の匂いに遭遇した。
それは、人が身につけている香水とか食べ物とかのにおいではなく、教室の物品に使われている材質そのものから発するにおいか、あるいは掃除などのときに使われる溶剤のにおいかと思う。
そのにおいは昔私が顔面神経麻痺で半年ほど通っていたペインクリニックの中のにおいと同じだったのだ。最初、そのクリニックで、いいにおいだなと思ったころ、それは病院で使われる消毒液の一種かと思ったのであるが、それにしては全く消毒のようではなく、どちらかというとさわやかなにおいなのであった。そのにおいの元が何であるのかはわからないのであるが、私にとってはとても好きなにおいで、そのにおいの元があるなら手に入れたいというほどのものだった。
床や器具などをきれいにするためのマイペットのようなものかなあとも思う。他に歯医者さんの前などを通ったときにかすかに似た匂いに遭遇したこともあり、医療関係や学校関係などの業務用の建物掃除用溶液なのかもしれない。

授業が終わる頃、においのことを思い出したのであるが、鼻がなれてしまったせいか、帰るときにはそのにおいを感じることができなかった。

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第二日曜日

2006-05-15 00:38:43 | 未分類過去
5月の第二日曜日は母の日ですが、毎月第二日曜日は公営住宅の外掃除の日であります。
それをすっかり忘れていて、木曜日から、日曜こそは朝から放送大学に行こうとはりきって計画を立てていたのですが、昨日昇降口に「明日は掃除です」という表示をみつけ、ああ~、そうだったか!と思い出しました。

今朝起きると雨上がりで、外はまだ濡れている状態で「これでは思う存分掃除ができるような状態じゃないし、ゴミもそんなになさそうだから、ささっと簡単に済ませることができるかな?」と思ったのですが、意外にやることがありました。

地面が濡れているので草を抜くのはいやだなあ~と思いつつ、草は来月でいいわいと思って横着をして、コンクリートの継ぎ目や割れ目からいっぱい生えている小さな草を、見て見ぬふりをして、落ち葉やゴミだけ箒で掃いて終わりにしようとしていたら、お年寄りたちはちゃ~んとその草に目をつけて、私が掃いたあと、さらにきれいに草抜きをしてくれました。

それで、抜かれたたくさんの根に土のついた小さな草たちをあらためて箒で掃き集めて、ゴミ袋に入れました。常緑樹は秋ではなくて春にも葉が落ちるので、草と葉でけっこうたくさんのゴミが集まりました。

掃除をしていると、花屋さんの大きなトラックが止まり、箱を手にした配達員が住宅内の配達先の家を探して昇降口の郵便受けの住所を確認しています。最初、うちの班の郵便受けを見ていたので、どこにいくつもりかと思って注目していると、間違えたらしく奥のほうに走って行きました。あれは、母の日のプレゼントの花ですね。

掃除が終わって家に帰ると、ちょうどお隣さんのブザーを鳴らす音がして、お届け物が届いていたようです。それも母の日のプレゼントですね。お隣のご夫婦はちょうど私の実家の母と同じ世代で、2人の娘さんがいるのですが、その年齢もほとんど私と姉と同じになっています。だから、その娘さんたちからのお届け物ですね。

いったいどのくらいの割合の人が母の日のプレゼントを贈っているのかな~。
贈り物が届いたときは、やはり嬉しいだろうな~
私もどうせ贈るなら、いくら年を取っていても敬老の日ではなくて、母の日に贈ったほうがいいと思います。

ところで、意外にも今年は長女がカゴに入ったステキなカーネーションのフラワーアレンジメントをプレゼントしてくれました。
夜、夕飯を食べに来たときに持ってきてくれましたよ。(写真)
親に似ず優しい娘です。


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母の日(実母)

2006-05-14 12:58:16 | 未分類過去
義母に何もしないなら、実母へも当然何もしません。
というか、実母は母の日にカーネーションの花束なんか贈ったら怒られそうでおそろしくて何もできません。
「こんな一番高いときに花なんか無駄だ!もったいない!」というに違いないのです。

切花なんかとんでもない話ですが、鉢植えでさえ母は「私はカーネーションはあまり好きじゃない」と昔から言っていました。蘭は好きだけれどいっぱいあるからもういらないそうです。ところがこの間、私の家のカーネーションが昨年から咲き続けていて今も満開になっているという話をしたときに、「私もそういうのなら欲しい」と言っていて、おやっ?いつもと言っていることが違うぞと思いました。
あとになって、その場に同席していた長女に「おばあちゃんが、鉢植えなら欲しいみたいなこといってたけど、ほんとかな?」と聞いてみると、「でも、やっぱり気が変わりそうだから、贈らない方がいいよ」と長女。
長女は最近私の母の性格がよくわかるようになって来て、ころころと意見が変わるから、気まぐれで言ったことは信用しないほうがいい、何もしないに越したことはないという判断をしているようです。
たしかにそうだよね、くわばらくわばら、ということになりました。
少なくとも母の日に贈るのは危険ですね。
ちょうど安かったから買ってきたよ、とその辺の店からなんでもない日にぶら下げていくような感じなら怒られなくてすみそうですが・・・

姉も母には恐ろしくてプレゼントなんかめったにできないと言っています。姉は私以上に母にものを上げているのですが、やはり好みがはげしいので、なかなか気に入るものはなく、返って迷惑そうなことが多いのだそうです。母に似合いそうだと思って既製品の洋服などを買って贈ると、袖つけの形がおかしいとか、肩幅が自分の体型に合わないとか、どうして襟ぐりがこんなに広いんだとか、こんなものは自分だったら絶対に買わないなどと言うので、気がひけてしまうのだそうです。

私も母の日に限らず何度か母に衣類をプレゼントしたことがあるのですが、普通の服を選ぶのは難しいです。だから値の張るものは余計に手が出せません。たまたま店でこれなら母が着るのに絶対に間違いなさそうだと思える大した値段でもないようなものがあれば母に怒られないですみそうですから、買うことがありますが、母の日に母にふさわしいものをみつけようとなるとそれはなかなか適当なものが見つからないし、適当な一般的母の日グッズみたいなものを型どおりに送るようなことをすれば、商業戦略に載せられるようなことをするなと母に怒られること間違いなしです。
そして、母と私の力関係においては、相変わらず母が強いです。
家財道具などでは、母がなくて困っていて欲しいものはなく、こっちがあったほうがいいだろうと思うものでも、母が不要だと言うなら不要なものなので、あげる意味がありません。
無駄なものを贈られて困ると言われます。
お金が不足して困っている娘がお金に困っていない母親に無理をしてものを買うのは不自然なことなわけであり、さらに母にとって不要なものをあげるのは愚かな行為というになります。
だから、毎年のごとく母には何もしません。

母の日だけど何にもしないよ。と電話だけします。

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母の日(義母のことなど)

2006-05-14 11:40:53 | 未分類過去
今日は母の日ですが、プレゼントなども何もしません。
夫の母は、昨年の3月に亡くなったので、数日前に仏壇に1輪のピンクと白の混じった花のカーネーションとわずかな霞草をかざりました。
スーパーで母の日用に198円で売っていたものですが、これが一番母の日の原点らしくきれいに見えたからです。どうせなら思いついたときに買ってしまえと思ってちょっと早かったけれど買いました。今日は、母の月命日です。
他人から見ればお粗末な花ですが、ウチは切花にそんなお金をかけるような経済状態ではないし、小さな仏壇なのでたくさんの花を飾るスペースもなく、少しの量の花を飾るのがふさわしいのです。
実は、義母には生前から母の日には何もしていません。なぜか昔からそういう習慣がなかったからです。私の育った家では何にしても年中行事らしいものをしない家庭だったのですが、夫の家もそうでした。今になると母の日くらいプレゼントを贈るべきだったのではないかなと思います。それこそ、母の日だからと言ってカーネーションの一輪も持っていかなかったのはちょっと悔やまれます。死んでから飾ったところで意味がないとも言えますが、母への感謝の気持ちを込めてカーネーションを飾りました。

今現在の感覚だったらプレゼントをするほうを選んでいるようにおもうんですけどね。24年くらい前って、世間では母の日はどんな感じだったのでしょうか、今ほどのプレゼントの習慣はなかったのかもしれません。とにかく新婚当時から母の日には何もしていません。その後数年間、わたしはエホバの証人から聖書を学んでいたのですが、エホバの証人の教えでは、何の日とか誕生日とかそういう時にプレゼントなどを贈るのはよくないというように教わっていました。それは、私が育った家の考え方とある部分一致していました。
当時私は、何かの日だからと言って世間の慣わしや商業戦略に流されて決まりごとや義務のようにプレゼントを贈るのは良くないと思ったのです。そして決められた日を毎年の決まった習慣とした場合、それができない時があったときに問題や心配が起こるし、それを守るだけのためにことさら無理をしたり労力をかけるのもいやな気がしました。それで夫の母に限らず誰に対してもプレゼントやパーティーのようなものは臨機応変で最小限の生活を送っていました。子どもの誕生日などもその日だけが特殊な日のような扱いをしないので、テレビドラマでケーキを前に家族の一人が来ないのを延々と待ち続けて悲嘆にくれるなんてことはありませんでした。みんなが暇なときにやればいいじゃんと思い適当に変更するのも平気ですし、そのうち祝われる当人が面倒だからやらなくていいなどという家族の集団です。
そんな習慣から、今さらプレゼントをする習慣に変更することも不自然な感じになってしまいました。

エホバの証人は、しかし人を喜ばせるのはいいことなので、そのような世間で決められている日ではないときにプレゼントをして喜ばせるのはいいことだ、のような教えでした。だから、いつと言うことではなしに、老人ホームに訪問するときに花や小物や衣服などを持っていったことはあります。
しかし、老人ホームというところは、身の回りの私物を最低限にするようにという点で非常に厳しいので、あまり持って行けるものはありませんでした。また、花など持っていった場合、その水を替えるのに母本人がベッドから自分では動けないので、いちいち寮母さんにお願いしてやってもらわなければなりません。ただでさえ忙しいところに余計な仕事を増やしてはいけないので、花などはやはりよほどのことがないと持っていけない雰囲気でした。用意してあった花びんが知らないうちに処分されてしまったことなどもありました。それで、結局はその場で食べきれるような簡単な食べ物をもっていくのが一番いいと思い、そうしていました。

でも、今になってはやはり「母の日」というそのときに何かしてあげたらよかったかなと思います。物ではなしにその日に訪問するだけでもよかったかもしれないし、車椅子でどこか散歩に行ってもよかったかもしれないです。
しかし、老人ホームがある町については、母が入居するまでは縁もゆかりもないような土地だったので、周囲の状況がぜんぜんわからないため、どっちの方向に公園があるとか車椅子で入れる店があるとか、そんなことが皆目見当がつかないのです。
一度だけ、近くの公園の場所を聞いて出かけたことがありますが、母はリウマチで両足の膝を痛めていたので、足に補装具をつけて足を伸ばしたままの状態で車椅子に載せる必要がありました。母に腰紐を巻いて腰を持つ人と足を持つ人と2人がかりで、しかも足のほうは介護になれた人がやらないと難しいような状況でしたから、散歩はそれ1回でやめました。

以前病院に入院していた頃、病院から歯医者さんに母を連れて行ったことがあります。車椅子には病院の人が乗せてくれたのですが、車椅子から歯医者さんの診察台に乗せるときに、私が母の腰を持ち上げようとしたら重くて無理でした。歯医者さんからは診察台まで乗せれば診察をするという約束で承諾を得て連れて行ったのですが、母の足の扱いに慣れた小柄なつきそいの女性が足をもち、私が腰ということで診察台に移動せようとしたところ、私の力が足りずに失敗して無理だったため、結局は男の歯医者さんの手を借りて載せてもらうことになってしまいました。
そんなわけで、自分では母を車椅子に乗せるのは不可能なため、忙しいホームの人を呼んで車椅子の乗り降りをお願いするのも気がひけますし、おやつとか排泄の時間とか決まっていますから、連れ出す時間の都合なども様子がわからず、かえって迷惑をかけてしまうと思い、本人も気がねしてベッドの上から動こうとはしないので、いつもベッドのそばに折りたたみの椅子を運んできてしばらく話をしてから帰るということだけをしていました。

近年になって、付き添いのおばさんや寮母さんではなく、老人ホームが専門の介護士さんによって運営されるようになってから、母の移動を簡単にしている様子に驚いたことがあります。母の足に補装具をつけることもなく、腰紐をつけることもなく、介護士さん一人でも簡単に車椅子に乗せているようすを見たことがあります。
補装具をつけるのには本当に時間がかかっていて、それをしなければ母の足が大変なことになると思いこみ、病院にいたときから必須のことと思ってやってきたので、それをつけなくても問題はなかったのだということがわかったときはまったくの驚きでした。

もっと、専門的なことがいろいろわかっていたら、また、老人ホームが自宅の近くにあったら、母に対してもう少し親孝行できたかもしれないと思います。
母は、よく孫のことなど心配して手紙をくれました。私には役に立つことが載っていると新聞の切り抜き記事を持たせることが多かったのですが、私は面倒でいつも読まずに捨てていました。
母には、申し訳なかったなと思います。
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グーグルマップ

2006-05-14 02:37:01 | 未分類過去
グーグルの地図検索機能で、世界中の地図と航空写真(衛星写真)を見ることができると、最近知人から聞いたり、人のブログで読んだりして私もついに見てみました。
英語はよくわからなので、世界はやってないのですが、日本のを見ました。
おもしろいです。まずは自分が住んでいるところから見ました。
住所番地を入れると地図が出てサテライトに切り替えると、ちゃんとカラーで建物や木などが写っているんですね。ウチは古い鉄筋の建物ですが、黒ずんだ灰色のセメントの塊のような長方形の屋上がちゃんと写っています。建物の周囲は、一戸建ての家々が立ち並ぶ町並みとは違って、大きな緑の木が空間をとりながら建物の周囲を取り巻いていて、かなり環境の良さそうな一区画であることがわかりました。しかし、安っぽい公営団地であることは当然で、どうまちがっても高級マンションには見えません。
次に、自分の静岡県の実家を見ようとしたところ、そこはズームにはできない地域だそうで、田舎のために細部を撮影した写真のデータはないようです。
その次に、近所に住む娘のアパートを見ると、一軒家よりもちょっと大きい緑色の屋根にマークがついていました。たしかにそこがアパートで、家からの位置関係などがよくわかりました。
子どもの通った近所の小学校や中学校もあり、緊急避難路やどっちに逃げたほうが近いかなども一目瞭然にわかりました。
そのあと、夫にもおもしろいことを伝えて検索させ、夫の勤めている会社の建物をみました。私は夫の新しい勤め先付近には行ったことがなくどんなところか見たことがありません。建物は大きく、近くに大きな公園などもあり環境は良さそうでした。地図ではなくて、実際の写真であるところが本当に現実味があって臨場感があります。

しかしなあ~、何でも住所を入れると都内の場合、もうどんな家に住んでいるかまですぐにわかってしまうわけですよね。
屋根の大きさで家の大きさは一目瞭然ですね。私が住んでいる公営住宅は団地で数棟の建物が建っているのですが、棟によって微妙に間取りが違っているとのことです。地上から見るとどれも同じような建物で違いはよくわかりません。しかし、空からみると、建物の幅と長さから面積の違いが本当にはっきりわかります。ちょっと広いと聞いていた隣の建物と比べると、ほんとうにうちのほうは狭いなあとがっかりしました。

これだと、知人の住所などを入れて検索すれば、その人がどんなところに住んでいるのかすぐにわかることでしょう。その人の家の屋根がわかってしまうわけです。
これは一種の個人情報ではないでしょうか?
あのひとはどんな家に住んでいるのかな?などと確かに興味はあり、好奇心に駆られて調べてみたくなりましたが、なんだかそれをするのはためらわれて、知人の住所では一人も検索していません。自分がやられたらいやだなと思ってしまったのです。

そうだ、独身の頃住んでたアパートでも見てみようかな?


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雨の中の人ごみ

2006-05-13 17:49:50 | 未分類過去


図書館に行ったら、放送大学で使う参考図書がありましたよ。ラッキーです。
しかし、最初に行った近所の図書館にはなく、区内の一番大きい図書館にだけあったので、そこまで借りに行くことにしました。
それが、最初の図書館からもうひとつの図書館までは、雨の中を歩いて35分くらいかかったので、大変なことでした。
もともとそんな遠くまで行く気はなく、近所のクリーニング屋だけにしようかと思って出たものを、急に図書館まで足を伸ばす気になって、クリーニング屋から15分くらい歩き、さらに図書館から図書館へ歩いてしまいました。
しかも、顔は化粧などしていなくて、寝起きのままの顔であり、ジーパンにサンダルばきです。それで、図書館で本を見つけて借りたあと、もう歩いて帰るのがいやになって、図書館の一番近くにある電車の駅まで10分くらい歩いていき、駅ビルで食料品の買物をして、駅前のバスターミナルからバスに乗って帰ってきてしまいました。しかし、バス停から家までも10分近くかかるので、結局はバスを使っても20分も歩くことになりました。
バス代使って何してるんだろう。
駅ビルでおいしいケーキでも買おうかと思ったのですが、安くても一個400円近くするのでやめました。ハワイのマカデミアナッツチョコレート1箱395円と、クリームチーズ200円と、リッツ300円を家族全員分のおやつにします。
酒のつまみはメンチで、夕飯は喜多方ラーメンです。今日は高校生の娘はバイトなので夜はいません。

それにしても駅ビルはすごい人ごみでした。まあ、デパ地下と同じようなものですが、鯛焼き屋は10人くらい並んでいるし、新しくできた凝ったお惣菜の入ったお弁当屋もたくさんの人が群がっていました。そのほかどの売り場も人が多くて通路もなかなか普通に進めない状態です。
雨なのにみんな出かけてきてるんですね。雨だからかなあ。
高校生の娘は雨で部活が中止になり、午前中すぐに帰ってきましたが、夕方からのバイトも雨でお客がいなくて返される可能性が高いんじゃないかと思って聞いたところ、娘の話によるとファーストフード店は雨の日は意外にお客さんが多いものなんだそうです。雨をしのいで皆建物の中に入ってくるんでしょうか。
そういえば、図書館もいっぱいで、検索機も並んでいたし、傘置き場もいっぱいでした。
探し物の本を書棚からとるときも、書棚の前に立ち並ぶ人と人の間から手を伸ばしてやっと取ったようなかんじでした。

ゴールデンウィーク後の休みで遠出する人は少く、近場でお金がかからなくて雨がしのげるところといえば、図書館、ショッピングセンター、ファーストフード店ってところなんでしょうかね。


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