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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

秋近し

2020-08-19 22:48:56 | 日記2020

もう何日、冷房をつけっぱなしの夜だったのだろう。

今夜、なんとなく冷房が苦痛になり、もう限界だ~ということになって、エアコンを止め、窓を開け放った。

そうしたら、なんということでしょう。

涼しい風が入ってくるではないか。

外では、秋の虫が鳴いている。

あ、もう夏が終わろうとしているのだ。

冷房をしないでいると、ただいま29.6℃、湿度66%なのだが、30℃以下なんて本当に涼しいもんだ。

生きた心地がする。

今日は、在宅ワークで、昼間は暑いし、在宅ワークゆえの困難に翻弄された。

いい加減もう嫌だ~~と思っていた。

最悪の日だと思ってたのだけど、夜が涼しくなったので、嫌なことは帳消しである。

この夏を超えれば元気でいられる。不健康から脱却できそうな気がする。

明日は、出勤して仕事をする予定だ。

明日も涼しくなってくれ~~~~

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会社に行こう

2020-08-18 21:06:27 | 日記2020

お盆明けは、けっこう仕事が忙しい。
私の仕事は、未完成の書類を読んで点検して、不備を探す仕事なのだ。
点検するためには印刷をして印刷物にしないといけない。
だから、在宅での仕事が多いとそれだけ自宅のプリンターをバンバン使うことになり、これじゃあプリンターがイカレてしまうのである。

だから、できる限り会社に行って印刷しようと思っているんだけど、忙しいと会社に印刷に行く暇もなく、次々に家のプリンターで印刷をして、仕事を間に合わせないといけない。
自宅プリンターが、必死にガーガー言いながら印字してくれるのであるが、本当にへとへとになって印刷してる感があるのである。

さらに、最近気になることは、エアコンが稼働しっぱなしだということだ。
連日の猛暑で、夜間も冷房をしないと眠れない。夜明けまで冷房をかけて寝ており、早朝に少しの間冷房を止めて窓を開ける。
冷房は止めたあとに、内部クリーンとかいって内部を乾燥させるので、すぐには止まらない。これをやらないと内部が湿ったままとなり、腐った雑巾のような臭いの風がでてくるようになってしまうのである。

そんなわけで、やっとエアコンが完全に止まったころには、太陽が昇ってきて、朝7時頃にはもう室温が30℃を超えており、またすぐに窓を閉めてエアコンをつけるのだ。
そうして、また翌朝まで稼働しっぱなしなのである。

つまり、在宅ワークをしているから、こういうことになる。これが会社で仕事をしていれば、出勤から帰宅までは自宅のエアコンを消しておけるのである。

ということで、エアコンも酷使しすぎて、ぶっ壊れそうだから、会社に行って仕事をしようと思い、今日は午後になって出かけていった。

家で仕事をしたくないのは、それ以外にも、狭い部屋で冷房をすると身体の調子が悪くなるのである。密閉空間で冷やすと、なんか空気に余裕がないというのか、暑かったり冷えすぎたりだし、身体も動かさないので凝り固まってきてしまうのだ。それが、日に日に重なっていって、改善することなくだんだん悪化して来る感じだ。肩こり・頭痛などしてくるし、足が冷えたり腰が痛くなったりするのである。

それが、会社に行くと広々しているので、密閉感がなく、椅子も座りやすく、仕事に集中できるのである。

行き帰りは暑いが、適度な運動になり冷えもなくなるので、身体がほぐれるような気がする。

そんなわけで、ちょっと在宅の日を減らし、多めに通勤して仕事をしようかなと思うこの頃だ。

新型コロナから身を守っていると、別の理由で体調不良になるし、生活上も様々な難点があるので、適当に調整してやって行った方が良いと思う。

 

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猛暑の在宅ワーク

2020-08-17 23:03:25 | 日記2020

休みが終わって週初めとなった。

相変わらず暑いし、メリハリのない在宅ワークが続く。

1日中、冷房をして座りっぱなしだ。

全然集中できない。

眠い。

午後になると、ベランダのメダカの水槽に直射日光が当たっていることに気づき、

洗濯物の位置を変えてみたり、使っていないカーテンを竿にぶら下げてみたりした。

それでも、太陽が動くのでなかなか日陰にできない。

汗だく。

そんなことをやっているので、全然仕事ははかどらない。

半分くらいの速度だ。

冷房ガンガン。

アタマが痛い。

この頃、運動不足と冷房病で肩こりがひどく、頭痛になる。

不健康なんてもんじゃない。

明日は、会社に行って仕事をしようかと思う。

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カプースチンのCDを買った

2020-08-16 13:33:18 | 音楽

いつもyou tubeでピアノ演奏を聴いているのですが、その中に「銀ちゃんねる」というのがあります。その「銀ちゃん」の演奏が素晴らしいです。

その中に「カプースチンの8つの演奏会用エチュード作品40」というのがあって、先にUPされたのが7曲目の「間奏曲」でした。

それはとてもステキで、以前このブログにも共有させていただきました。「間奏曲」

カプースチンは、ロシアの作曲家・ピアニストですが、クラシックとジャズを融合したような現代音楽です。私は、銀ちゃんの演奏で初めて知りました。

そして、最近UPされたのが6曲目の「パストラール」で、これも軽快でいいなあと思いました。

銀ちゃん演奏のカプースチンは現在2曲だけで、どちらも素晴らしいです。他の曲は知りませんがそれも聴いてみたいと思いました。

銀ちゃんのCDがあったら良いのですが、無いので、じゃあ別の人でもいいやと思い、探してみたところ、カプースチンさん本人演奏のCDが出ていることがわかりました。

それで、さっそく注文し、昨日届いたところです。

世田谷美術館に行くときにポストの中に配達されていたので、それを持って車に乗り込み、封を開けてカーステレオに投入。しかし、すぐに録音モードになってしまうので、無音のまま走って行きました。

やっと帰りに初めてピアノの音が鳴り始めました。

しかし、驚いたのは、なにやら機械的複雑無機質的な印象。これは確かに音楽ですが、銀ちゃんの演奏とはまるでイメージが違うものなのです。

美術で言ったら抽象画って感じです。普通のクラシックのピアノ曲が昔からある風景や人などの姿を描いた絵画に喩えられるとすれば、この音楽は何かの図形やパターンや色などによって表現された現代抽象画・デザイン画のような感じなのです。

抽象画の中にも、ここちよいデザインていうのがあるのですが、とにかくこのピアノはテンポが速くて複雑なので、安らぎをもたらすものではない感じでした。カーステレオはあまり音質がよくないし、それと合わせて幹線道路は通行量も多く、車・車・車。なんか鉄の物体がせかせか走り動いている現代社会を表している音楽のように聴こえてしまうのです。

どうしても、田園風景とかじゃないような気がします。それでも、テンポが速いので、そのままずっとずっと走って行きたい気分になりましたが、遠出はやめときました。

中に聞き覚えのある旋律が出てきて、やはり「間奏曲」が一番いい曲だと思いましたが、銀ちゃんの弾き方のほうがとてもきれいで優雅さがあると感じます。

作曲者カプースチンのほうがすべてテンポが速く、優雅さは無いように思いました。

「パストラール」も同様です。銀ちゃんの弾き方のほうが、きれいな旋律が際立つように思いました。

ちょっと、期待したものとは違ったなあと思いながら、CDの半分くらい聴いたところで家についてしまったので、車を降り、今度はパソコンで聴きました。

家のパソコンもまたそんなに良い音は出ませんが、ヘッドホンで聴くときれいに聞こえます。少なくとも車で聴くよりは、ピアノの音がきれいだし、余計な道路上の景色などが見えないので、この曲の良い部分が味わえてきました。

テンポの速い緻密な感じの弾き方もカプースチンさんの個性としてそれなりの良さも理解できます。

後半は、「ソナタ・ファンタジー(ピアノ・ソナタ第1番)作品39」、「スイート・イン・オールド・スタイル作品28」「変奏曲 作品41」も収録されています。

まだ1度しか聴いていないのですが、スイート・イン・オールドスタイルや変奏曲は、昔のクラシックっぽいモチーフが入っていたり、バッハインベンション風な要素もあって面白いと思いました。

変奏曲は結構良いと思いました。

それにしても、私にとってはカプースチンの音楽は、新しい遭遇でした。

まだ、ざっと聴いただけなので、もうちょっと聴きこんでみようと思います。

最初に車で聴いたときには、買わなきゃよかったと思いましたが、家で聴き直してみて、それなりに良い要素もあるなと思いました。

銀ちゃんが最近UPした「パストラール」(6曲目)

【解説付】カプースチン 8つの演奏会用エチュードより 第6番「パストラール」/ Kapustin Eight Concert Etudes Op.40 No.6 「Pastorale」

 

1曲目の「前奏曲」を弾く辻井伸行さんの動画がありました。

辻井伸行 / カプースチン:前奏曲(8つの演奏会用練習曲 より)

 

カプースチンさんは、つい最近まで健在でしたが、7月2日に82歳でお亡くなりになったそうです。

 

 

 

 

 

 

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作品のない展示室(世田谷美術館)

2020-08-15 23:22:29 | 美術・美術館

今日は、世田谷美術館の「作品ないの展示室」を見に行ってきました。
新型コロナの影響で、予定した企画展が開けなくなっています。
マスク着用のこと。入り口で検温し、手をアルコール消毒してから、
体温を測っていただき、それから住所氏名と体温を記入してから見学しました。

↓ここは以前も、窓と作品を撮影可能にしていた企画展もありましたが、今日は窓と床のみです。

いつもきれいな、外の景色です。

次の展示室へ向かいます。

ここは大きいです。いつもは分割して使われていたように思います。

普段は、窓が見えることはないのですが、とてもいい感じです。
作品のない展示室が、これだけきれいな美術館は他には滅多にないのではないでしょうか。

建築家・内井昭蔵が設計し、1986年に開館しています。

美術館設計のコンセプトは「生活空間としての美術館」「オープンシステムとしての美術館」
「公園美術館としての美術館」なのだそうです。

庭に、あんな構造物(作品?)あったんですね。

普段この方向から外の庭を見ることはないのですが、とてもおしゃれなんですね。

作品のない展示室は見学は無料なのだそうです。

作品が無いとは言っても、過去に開かれた企画展の内容紹介などが展示されていて、
懐かしいものがありました。

・・・・

せっかくなので、2階の「気になる今度の収蔵品」というのを見ました。
こちらは常設展の入館料が必要ですが、とても安いです。

印象にあるのは1964年の東京オリンピックのポスター4枚でした。

世界の陸上選手たちが走りだすスタート場面の写真や、
水泳選手1人が泳いでいる(水中真正面)写真など、インパクトがありました。
1人の人が担当して作ったようです。

今度のオリンピックでは、今公開されているポスター以外にも、
何かできる予定があったのかなと思いました。

その他にも色々な絵画などの作品があり、解説がついていました。
学芸員の方が9人くらいいらっしゃるらしく、解説を書いた方のイニシャルが
ついていたようです。

2階の展示室は、いつもおまけのような感じで、あまりじっくり見ることがありません。
今日は、1階に作品がないのでこちらをじっくり見ればよかったのですが、
マスクをして階段を登ったら苦しくなって疲れ果ててしまい、
いつものように短時間で通り過ぎてしまいました。

・・・

そのあと、いつもならセタビカフェでガレットを食べるのですが、
新型コロナのこともあり、外食はやめて帰宅しました。

砧公園の木陰、いいですね。しかし、大きな青虫が舗装の上を歩いていてびびりました。

今回は、ソフトクリームもやめておきました。

早く、新型コロナがおさまって、普通のことができるようになると良いですね。

 

 

 

 

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お盆

2020-08-15 00:51:09 | 日記2020

8月になって早くも半月が過ぎた。

この数か月、新型コロナや梅雨や猛暑で、在宅勤務もずっと続いているので、極端に外出が少なくなっていた。今日は、久々に駅のそばの大きなお店に行った。

洋服売り場は、夏のバーゲンをやっているところや、すでに長袖の秋の服を売っている店まであった。そういえば、もう夏も終わりなのだ。例年、お盆を過ぎるともう夏物は売っていないではないか。

でも、今年は梅雨明けも遅く、やっと夏になっても新型コロナのせいで、誰しも遊びに行くこともできないので、服飾雑貨なんか何一つ必要もなくて、洋服もいっぱい売れ残っているように感じた。

私に必要なのは日傘だ。昨年まで使っていた晴雨兼用の折り畳み傘が壊れてしまったので、新しいのを買った。1800円くらいのが900円で買えた。デザインはあまり面白くない。

それから、眉毛用の顔そりとヘアピンとヘアゴムと日焼け止めクリーム。

この頃は家の中にばかりこもっていて、たまに外に出るときはマスクをするので、ほとんど化粧をしなくなったのだが、マスクのない顔の上半分がすごく日に焼けるのである。

そういえば、日焼け止めクリームも無いということに、今頃気が付いたのだった。

そんな雑貨を買って、食料を買って帰宅したら、肩が凝ったのか、暑すぎたからか、頭痛がしてきそうだった。昼ご飯を食べて、午後は昼寝をし、1日が終わった。

本当は毎年お盆は帰省していて、帰省しないお盆なんて30年くらい無いと思う。東京のお盆も1度体験してみたいものだと思っていたけど、今年はいつもの東京のお盆と違うのだから、東京のお盆がどういうものかわからない。

東京のお盆とお正月は人が少なくてきれいになるなどと聞いたことがあるけど、今年は地方に行かないから、人がいるのか?それともコロナや猛暑でこもっているから人がいないのか、よくわからない。売り場はレジに並ぶ人もなく空いていたように思う。

実家にはお寺があって、お盆前にはお布施を持っていかないといけないが、あまりの暑さに実家の母も今年は持って行っていないそうだ。もし行くとなると熱中症の危険を冒して命がけになってしまう。命を懸けてまでお寺に行く必要もなかろう。

母は米寿だけど、頭がボケていないので、しっかり熱中症対策をとって無理をしないようにしているらしい。それはまあ、安心だ。

買い物の帰りに商店街を歩いてきたら、めずらしく、いくつかのお店にシャッターが下りていることがわかった。やっぱり、お盆休みなんだなあと思った。

 

 

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いつまでも書類作成中

2020-08-14 16:44:03 | 日記2020

仕事で、報告書みたいなものを作成することがある。
これが、思いの他すごい時間がかかる。

1~2ページのものをまとめるのにどうしてそんなに時間が必要なのかと怒られそうである。
どんだけ手際が悪いのか?ということだ。

でも、分析とか意見とか、そういうものをまとめる場合って、ただ結果を書くのはまだ良いとしても、そこまでの到達にも時間がかかるのではないだろうか?

どういう傾向があります、というのに、個々の状況をもう一度確認したりする。

それとも、もっと他のことはあるのだろうか?などと違うことに目が移ってみたりする。

そんなことをやっていると、なかなか方向性も定まらない。

そうして、やっとまとまって、おおかた出来上がったとして、意外にそのあとにすごい時間がかかるような気がする。

90%を5時間かけてやったとして、ほぼ完成したものの、何度も目を通すと、別の表現にしたほうがよいのではないかとか、先に結論を書いたほうがよいかとか、体裁の微調整とか、そんなことをやっていると2~3時間はすぐに過ぎ去ってしまうのだ。

このへんは、「最後の詰めがなかなか大変だ」と私は感じているのだが、他人によれば、なんでいつまでもぐずぐずやっていて、完成させられないんだろうと思うのかもしれない。

いったい、「仕事のできる人間」というのはどういう人なんだろう。

90%完成させたところで、提出しとけば、5時間でできるものを、95%の完成度にしたいと思うと7時間かかる、たった5%上げるために2時間を使うのかという話だ。

それを自分が100%に近く納得できるものにするには、さらに1~2時間かかったりするし、時には、最後の最後に、ここはやっぱり違うと思って変更してみたりということになると、また完成度が80%くらいに減少してやり直すことになる。

まあ、要するに、踏ん切りが悪いというか、決断力が鈍いということなのかもしれない。

これが、通勤して仕事をしていたときには、退勤時刻までにやらなくてはと思って、無理やり完成させてしまうのだが、在宅になると勤務後もついつい修正したりしてしまうのである。

そうして、休みの日も気になって、また最後の詰めを詰めたりするのである。

次の出勤日がお盆明けだとしたら、それより前に提出しといたほうが良いだろうと思うと、休日の朝にも微調整をしたりして、ようやく完成して、リモートアクセスで送信しておいたりする。

こういうふうに、ダラダラやってるのが、年寄りの特徴かもしれないなあ~とか、昭和の人間かもなと思う。

ぱっぱとやって、さっさと提出すべし。・・・難しい。

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お盆もテレワーク

2020-08-13 23:19:23 | 日記2020

今日は、お盆なのかな?

私は明日からいつもの週末休みだが、今日は仕事だった。

もう、外は暑くて暑くて、こんな時は屋内で冷房をかけて仕事をしていた方が良いかもしれない。
どうせ、東京人は帰省はできないのだ。

在宅ワークの印刷が、プリンターを新しくしてから、うまくいかなくなった。

以前、自分のパソコンでリモート接続していたときもそうだったが、仕事上の印刷をするときに、一旦、リモート接続を切断しないと、自分の家のプリンターが動かないのだ。

その後、会社のパソコンをリモート専用として貸与されたが、それはなぜか、リモート接続を切らなくても、そのまま自宅のプリンターで印刷できていたのだ。これは便利だった。

ところが、家のプリンターを新しくしたら、またリモート接続を切らないといけない。本当に面倒くさい。

それから、会社の書類を印刷して仕事をするのだが、このあいだなんか、何ページあるのかなとワードの最後のページを見たら35ページくらいだったので、ちょっと長いけど家で印刷するかと思って印刷を始めた。

そうしたら、なんか全然終わらないので、どうなっているのだと思ってみたら、なんと35ページの前に、115ページの別の書類が合体していたので、結局150枚もの印刷をすることになってしまった。

その直後に、家のプリンターがお陀仏になってしまったのである。

そんなこともあり、いくら家で印刷できるとは言っても、これは極力、家のプリンターは使いたくないなと思うようになった。

また、家では気が散ってなかなか仕事に熱中できないし、運動不足になるので、できる限り会社に行って印刷をしてこようと思うのである。

とはいえ、今日は印刷して仕事をするものはなかったので、自宅で仕事関係の報告書を作成していた。

これも、なかなか集中できないので、途中でキッチンに飲み物を飲みに行ったり、娘たちのラインに返事を書いたりして、時間をとってしまった。

また、シャープのマスクが当たったので、申し込みを記入していたら、思いのほか時間がかかった。
以前は、夫が申し込んだのが当たったが、今度は私のがあたった。

せっかくだから購入手続きをしたが、送料込みで4000円近くするので、けっこう高いなあと思った。

そんなことをいろいろしているから、仕事はなかなかはかどらず、一応5時に退社の打刻をしたあとも、7時半くらいまで書類を作っていた。

それから、夜の闇の中を、夕飯を買いに行く。
面倒くさいから、ステーキ肉と、出来上がったサラダを買ってきて、肉を両面焼いておしまいだ。

1日中座りっぱなしなので、本当に健康に悪いから、せめて夕方は3000歩くらいは歩かないといけないが、片道10分、買い物をして往復で30分というところだ。

こんな生活いつまで続くんだろう。

明日もどうせ猛暑だけど、仕事が休みだから、何をして過ごそうかな。

 

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訪問者

2020-08-12 22:59:51 | 日記2020

今日、在宅ワークをしていたら、玄関のチャイムが鳴った。

何だろうと思ってインターホンの受話器を取ると「〇〇〇でーす」という。

「荷物でーす」と聞こえたので「はい、少々お待ちください」と言って、すぐに玄関のドアを開けた。

そうしたら、男の人が立っていて、袋のようなものに手を入れたので、配送の人が、小さな荷物を出しているのだと思った。

実は、ネットでCDを注文してあったので、それかと思った。

それにしても、昨夜注文したばかりなので、届くのがあまりも早いなあと思った。

男の人が取り出したものは、CDではなく、他の荷物でもなく、パンフレットであった。

そうして、「不要品はありませんか?」というので、「無いです」と答えた。

電化製品でもテレホンカードでも、なんでも買い取るそうである。

「何にもないですね、すでに処分しちゃったので」と答えた。

やばいやばい、なんで、さっさとドアを開けてしまったんだろう・・・

それは、その人が〇〇〇と言った3文字の会社名が「ニモツ」と聞こえたからだった。

そういうのを想定して、そんな社名にしたのかもしれないなあ~

今日は、たまたまCDを注文していたからいけなかった。

それに、CDは手渡しではなく、ポストに入れられるはずだったのに。

何年か前は、ちょうど娘がうちに来るということで、もう駅を出たと連絡が来たから、もうそろろそろ着くだろうと思っていたところに、チャイムが鳴ったので、思わず娘だと思って開けてしまったことがあった。

すると、それは新聞の勧誘員だった。

無理やり粗品を置いていこうとするので、要らないと言って断って玄関ドアを閉めようとしたら、足を挟んで閉まらないようにされてしまったことがある。

だから、気を付けないといけない。
必ず、どんな人間が何の用できたのか、ちゃんと確認してから開けよう。

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侘日記・7月26日(上林暁)

2020-08-11 23:18:08 | 読書

7月26日

貧乏な作家があって、彼の作品は、彼が貧乏であるがために人を感動させている。
しかし、彼が一旦貧乏でなくなると、頓に作品に生彩がなくなる場合が多い。
貧乏が如何に作家の心を緊張させるものであるかが判る。
同時にその作家は、貧乏だけに頼って生活していたことを暴露するものだ。
自分なども、貧乏だけを頼って生活している一人のような気がする。
世には富だけを頼っている生活があり、そういう生活は勿論度し難いが、
我々のごとく、貧乏だけを頼りにしている生活も、なんとあらぬ方向に向いた生活だろう。

これは昭和16年に発表された侘日記の中の1つだが、たぶん昭和12年の日記だと思う。

今日はこれを選んでみた。

それはなぜかと言えば、私自身の精神の根底にあるのが、これに似た認識なのだと最近気づいたからである。

それは、7月1日のブログに書いたものに通じる。

貧乏が美徳という考え

なんで、こういう考えに支配されて生きてきたのだろうと思うに、
それは、過去の小説家や詩人や歌人や音楽家や画家などに、一生貧乏で過ごした人が多いからということがあるように思う。

例えば、石川啄木の「一握の砂」みたいなものである

働けど働けど 猶 わが生活 楽にならざり じっと手を見る

このような作品を生み出すには、貧乏でなければいけないのだ。

そうして、そういう人の人生を私自分が尊重しているのだと思う。
そのような人は、ここで上林暁が書いているように、
「貧乏であるがために人を感動させている」面が強い。
だから、私は、無意識のうちに、人間は貧乏でなければいけないと思って生きてきたのだ。

しかし、それは上林暁が書いているように「貧乏だけに頼って生活している」のであった。

一方で、富だけを頼りにして生きている人もいる。
お金持ちになり、贅沢をすることを心のよりどころにしている人がいるのだ。
そういう人はいやだ。

でも、貧乏だけを頼りにするのも、妙な生き方だと思う。

 

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8月10日「散歩者」(上林暁)

2020-08-10 21:31:06 | 読書

暇つぶしに、上林暁の短編集を読むことにした。

その中の何を読もうかと探すが、特別惹かれる題名はなく、無難に「散歩者」というのを選んだ。私が散歩ばかりしているからだ。これは「花の精」の前に載っている作品である。

その内容は、著者は何かにつけて散歩をするのだそうで、その散歩のときに遭遇したことや見かけたことなどを、日常のことと共に綴っているのであった。

A駅からO駅までよく歩くというので、それは阿佐ヶ谷から荻窪だろうとすぐにわかった。上林暁は天沼1丁目に住んでいたそうで、それはほぼ阿佐ヶ谷と荻窪の間である。
ならば私もその辺を歩いてみようかな~、などと思いながら読んでいた。しかし、暑いからやっぱりやめておこう。

そのあたりの地域は、知らない場所ではない。作品の中には、額縁屋や時計屋が出てくるが、そんな店はあっただろうか?大昔のことだから、今はもう無いのだと思う。

ある夜、著者「私」が友人の家から帰る途中、氷屋から出てきた若い女がいた。姿はきれいだが、口を拭うしぐさに、どことなく下品な印象を受けたそうだ。その女は「私」の前を足早に歩いて行ったが、途中で急に歩みが遅くなり、後ろを歩いている私に追い越してもらいたいような様子であった。そして、「私」がもう少しで追いつきそうになったときに、女がそこにあったとてもみすぼらしい古ぼけた家に入っていったのだそうだ。女はきっと、そんな家に帰るところを見られたくなかったのであろう。とのことが書いてあった。

それを読んだ私も、つい先日のことを思い出した。それは仕事の帰り道だ。私の数メートル前を一人の女性が歩いていた。その人は、私よりちょっと若い程度の中年女性だった。私が後ろからついていくような感じだったので、その女性は背後の足音に気づいていたようだった。ほぼ同じ速度で歩いていた。他には誰もいない。私は、もしかしたら前の女性は速度を速めるのではないかと感じていた。

すると、女性は歩きながら振り返って私を見た。怪しい男性がつけているわけでないことが分かったはずだった。だが、なぜかその後、段々その女性の速度が遅くなり、距離が近づいていくのであった。そうしてついに追い越してしまった。

実はその前から、私はその女性はどこまで行くのだろうと思っていた。その道を通るのは、だいたいその道沿いに住んでいる人だからである。後ろを歩いていけば、その人がどこに行くのかが自然に見える。

でも、突然ゆっくりになったから抜かしてしまった。そうして、今度は私のほうが後ろの人はどこまでついて来るのだろうかと気になってしまった。振り返るのも変だが、少し進んだところで振り返ってみた。すると、その女性の姿はない。
たぶん、けっこう高級なオートロックマンションの中に入って行ったと思えた。

「散歩」を読んでいたら、つい最近の自分のそんな体験を思い出したのだった。

それからまた「散歩」の中には、小さな時計屋のことが書いてあった。その時計屋は、若い新婚夫婦がやっているが、妻は身だしなみを整えた、とてもきれいな人であった。店の中で夫の傍らに座って新聞を読んだり、ラジオを聴いたり、夫の仕事を眺めたりして、いつもそばにいる。著者「私」は、その姿を羨望の思いで見ていたそうだ。

ところが、それからしばらくして「私」が、時計を修理に持って行ったことがあった。すると中から所帯じみた女が出てきて、それは以前見た美しい妻とはまるで違う人だったそうだ。しかし、それが時計屋の妻で有ることは明らかだった。その女は、身だしなみを整えて店に座っているようなこともせず、エプロンをして忙しそうに奥のほうで働いているような地味な女であった。

最初の美しい妻とはうまくいかず離婚し、後妻とはうまくいっているのだそうだ。
結局のところ、仕事もしないで座っているだけの美しい妻より、そっちのほうがよかったという結論だろう。
若くて美しい妻をめとれば、世間ではいかにも幸福そうに見えるものだが、現実は意外にそんなものであろう、との話だ。

それを読んだら、私もある知人夫婦のことを思い出してしまった。この人たちは、数年前に結婚したのであるが、妻のほうはとてもきれいで、とにかく自分の姿や洋服や、家のインテリアなどを完璧な美しさに整えたい人間である。身だしなみ第一で、朝起きれば1時間かけて化粧をし、服もセンスの良いものでなければ着ない、家具や備品なども、質やデザインに徹底的にこだわるのである。

結婚前は、夫はこの美しくセンスの良い女性を妻にしたら、連れて歩いても自慢できて夢のような夫婦生活ができると思ったに違いなかった。女性は女性で、この夫が一流会社に勤めており、かなりの収入もあったので、将来は安泰だと思っていた。

ところが、この女性、もともと家事をするなんていう意識がまるでなく、夫のために食事を作り洗濯をするという所帯じみた現実が苦痛になってしまった。夫のほうでは、妻が家事もろくにしない一方で、かなりの贅沢をして出費がかさむので、不満がでてきた。妻に言わせると、夫は帰宅すればひっくり返って何もせず、酒ばかりのんでいるそうだ。こんな男に尽くす気はますます無くなる。そんなことでぎくしゃくして、ついには離婚に至ったそうである。

この夫婦は、SNSでは、絵にかいたような旅行風景や外食風景を公開していて、他人からは羨望のまなざしで見られていたが、それは、うわべの幸福らしさに過ぎなかった。
この夫は、不細工なセンスもないただの女と再婚したら、うまくやっていけるかもしれない。

今も昔も、人の本質は同じだなあと思う。

そうして、驚いたのは、この作品の最後に「(昭和15年8月10日)」と書いてあったことだ。8月10日は今日じゃないか。

私はよくぞっとすることがあるのだが、著作物を読んでいて、こういう偶然が多々あるのである。
昭和15年って今からちょうど80年前のことだった。上林暁はこれを今日書いたんだ。

私はよく、作者の魂を感じる。
それは、私が選んで読んだのではなく、これを読むように導かれたらしいのだ。

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近況

2020-08-10 11:22:04 | 日記2020

今日は、山の日なんだそうだ。
テレビでは、世間は8月8日から大型お盆休みが始まったということで決めつけているが、そんな長い休みの人がどんだけいるのか?普通、お盆は13日から16日までで、それを全部繋げちゃう人なんか少ないと思う。

それに、私の会社には、元々「お盆休み」ってもんはない。銀行や官公庁だって、お盆休業はしないのだから、お盆を一斉に休みにしてしまう職場ってそんなにたくさんあるもんじゃないと思う。

それで、私の職場では、あくまで個人が勝手に有給休暇を使って夏休みをとるわけなんだけど、そうなったら何もこの猛暑の時期に取ることはない。暑くてどこにも行けないし、さらに新型コロナ感染拡大で東京の人間は都外には行けない。だからって都内は危険だからどこへも行けないのだ。

そんなわけで、カレンダー通りの休日だが、それでも今日は山の日なんだから休みである。
じゃあ、どこに行こうかな?と考えたが、人と濃厚接触にならないところは屋外である。屋外は暑い。
涼しい屋内には、人が多い。じゃあ、行くところはないじゃないか。

車の運転もしないといけないけど、行くところがないのだから、猛暑の中をただ走り回ってもしょうがない。じゃあ、家で読書でもするかなと思って、机に向かって座ったら、いきなり眠くなって、また布団の上に倒れこんで寝てしまった。

スマホの電話着信メロディーで目を覚ましたが、出る気にもならず、うとうとしている。
やっと起き上がり時計を見ると11時半だった。

なんと・・こんなに長く寝ていたとは思わなかった。午前中はもうおしまいだ。昼ご飯の時間だ。
夫が7時前に仕事に行くので、6時頃起きるから、どうしても眠くなってしまう。それも、前夜に夜更かしをしていたり、寝付けなかったりして3~4時間くらいしか寝ていないからだろう。

有給休暇の話に戻るが、私は年間15日しか有給休暇がない。それはパートタイマーで週4日の勤務だからである。勤務年数は長いので、以前週5日働いていたときは、20日付与されていた。
そして、ほとんど使わないので、どんどん貯まっていって年間40日も残っているのが普通だった。
2年以上前の有給は消えてしまうので、消えないように使って常に30日以上を残しているような感じにしていた。

その後、娘の出産のときにまとまった休みを取り、そこで数日消化した。それでも、まだ余裕があった。

状況が変わったのは、昨年末で、変な風邪をひいて一気に数日使ってしまった。
そして、今度は今年の3月だ。また風邪をひき、熱は出なかったが新型コロナの可能性を否定できないため、念のために仕事を数日休んだ。これで有休残数はかなり減ってしまったのである。

その後、今度は在宅ワークになった。在宅ワークになると家でできる仕事が少ないことがあった。
そういう場合は、職場に出かけていくが、それも急ぐ仕事ではなく、出勤は危険ということで、半日休などを取って調整することが多くなった。

ちょうど歯医者に行く必要もあり、普通なら勤務時間後に通うところを、有休をとって通院したりした。

そうしたら、有休をほぼ使い果たしたのである。

私は1月に入社しているので、7月に有給休暇が付与されたが、それが15日である。
これはほぼ月に1回の休みがとれるということで、祝日のない月などに回したいところだ。ちなみに今年はスポーツの日が7月に移動されたので、10月に祝日がないから、10月に有休をとって息抜きをしたい。

そうなると、夏休みを一気に3日以上も取るなんてことは考えられない。
風邪をひいたときなどにそなえ、使わずに残しておくべきだとも思える。

まあ、そもそも週4日勤務なので、休んでばかりいるんだから、疲れることもないけど、
長期間のんびりする休みを取ってみたい気はする。

長期休暇は、この15年間、取ったことはないし、夫とも休日が合わないので、旅行に行けない。
今はどうせコロナの関係で、旅行なんか行けたもんじゃないし、外食さえできない。

全く、息抜きも気晴らしもできない状況。

しょうがないねえ。

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三鷹天命反転住宅周辺散歩

2020-08-09 18:33:18 | 旅行・街歩き

前記事に続き、三鷹天命反転住宅周辺の散歩状況を振り返りたいと思います。

まず、車で近くのタイムズマロンテラスまで行って、駐車してきました。
ここは、なんかスポーツ施設みたいな建物があって、その裏にコインパーキングがありました。
けっこう広いのでよかったです。料金は20分で110円で、約1時間置いて330円でした。

タイムズと天命反転住宅の間にある交差点。東八道路と天文台通りが交差しています。

これは東八道路。↑

↑これは天文台通り。ですが、写ってるのは、ほぼ東八道路。

そうして、三鷹天命反転住宅を発見。

近すぎて全体が写真に写らないので、交差点の横断歩道を渡って東八道路の反対側に行きました。

↑あのような感じで、あまり目立たないから、普段道路を走っていても気づきませんね。

道路の反対側の真正面から見ると全体が見えます。

それから、西側にある歩道橋に上ってみました。

西側です。どういうわけか、西から車が全然来ていない。

東側です。黄色い丸のあたりに、天命反転住宅があるのですが、街路樹が邪魔して全く見えません。

歩道橋を渡ってまた天命反転住宅の方に戻りました。
そして、住宅の脇から斜めに入る細い道に進んでみました。

裏道のほうは、このように植木屋さんが木を育てているみたいな土地がありました。

それから、羊がいました。ニセモノ~
女性専用健康サロン とか書いてありますね。

こひつじ かわいい

そのまま西に向いて歩き、角の保育園のところを左に曲がって、東に向かってあるきました。

西側に三鷹市立大沢台小学校がありました。

学校のフェンスに「三鷹市非核都市宣言」が掲示されています。
そういえば、今日は長崎の原爆記念日でしたね。

そのあと、東に進んで、天命反転住宅の南側に行ってみたいと思ったのですが、

東に曲がろうとした道は「この先、行き止まり」なのでやめました。
(あとで調べると、徒歩だったら通り抜けられたっぽい)

しょうがないから、もっと進んで、この道を東に進むことに。
このへんは、住宅と畑があります。

きれいな芙蓉が咲いていました。

咲いていたのは、こんなところ。天文台通りに出るところです。

天文台通りに出ました。南に進むと右側に天文台がありますが、今日はもう暑くて疲れました。
どうせ入れるわけでもなし。ただそこにある駐車場は見てみたかったけどやめました。

北に進むと、長久寺というお寺がありました。新義真言宗のお寺だそうです。
幼稚園も併設されています。

弘法大使の像がありました。

そうして、また東八道路のところに戻ってきました。

途中、横道から天命反転住宅の南側が見えるところはないかと、探しながら歩いてきたのですが、
この住宅の南側には、普通の民家が立ち並んでいるので、見ることはできないようでした。

そんなわけで、もう1回、入り口のところまで戻ったところで、1周回って散歩終了です。

タイムズのパーキングの近くにブルーベリー摘みのできるところがあったので、
今度行ってみようかなと思いました。

以上、本日のウォーキングです。またまたちょっと迷い歩きでした。

とにかく暑いので、その後どこかに行く気力もなく、車で家路につきました。

午前中にすべて終了。あとは昼寝なり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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三鷹天命反転住宅

2020-08-09 16:13:26 | 旅行・街歩き

本日は、三鷹市にある「天命反転住宅」というものを見に行ってきました。

「死なないための住宅」と言われています。瀬戸内寂聴さんは「極彩色の死なない家」と言っているようです。なぜ「死なない」のか、わかりません。一人一人の身体が中心になるように作られているそうです。?

とってもカラフルな色で、面白い形をした奇想天外な建物。以前からその存在はインターネットで見て知っていたのですが、実物を見たことはなかったのです。

今日、どこに行こうかな~と思って、それを見に行くことを思いつきました。

具体的に住所で所在地を調べてみると、なんと東八道路沿いにあるではありませんか!
東八道路は、しょっちゅう車で走っているのですが、そんなもの見たことがないなあと思いました。

そして、現地に歩いて行ってみたのです。

それは、東八道路と天文台通りの交差点近くの南西側にありました。本当に東八道路沿いなのでした。

しかし、うっかり気づかずに通り過ぎるところでした。あまりにも歩道に近く、そして1階部分を覆うように樹木が茂っているので、意外に目立たないのです。

見上げると、やっぱりとってもカラフルで、珍しい形をした建物でした。

本当に住んでいる人がいるのだろうか?

ベランダもありますね。電気がついて人の気配のある部屋がありましたが、
道路側の大部分の部屋はカーテンが閉め切られていて、中は見えません。
また、窓の内側に荷物がたくさん置いてある部屋もいくつかありました。

おそらく、この道路沿いの部屋は、多くの人が外から眺めて写真などを撮るので、
中が見えないようにしているのだろうと思います。道路は北側なので、
南側の部屋では、普通に生活しているのかもしれません。

こんなに木が茂っています。2階くらいの高さまであるようです。
インターネットで見ると、こんな木はありません。
できたばかりの頃の写真なのでしょう。

三鷹天命反転住宅

ちなみに、この建物は2005年に建築されています。
建築家の荒川修作とマドリン・ギンズという人が設計したものだそうです。
施工は竹中工務店。
壁式プレキャストコンクリート造。鉄骨コンクリート造。一部鉄骨造。
建築面積260.61㎡  延床面積761.46.㎡

9戸の集合住宅で、色は14色でできているそうです。
一部の部屋は実際に住宅として使われており、一部は、宿泊施設として
ホテルのように借りることができ、また一部は、
見学や体験や撮影などに使われているようです。

丸と四角でできている。

実際、この家は、外から眺めるだけではなく、中に入ってみないと
意味がないかもしれません。

あまりにも近すぎて全体が撮影できないので、東八道路を渡って反対側から撮影してみました。
全体像は、けっこう横に長いですね。3階建てです。

それから、戻ってきて別の角度からも写してみました。

ここが入口付近です。

通常は、申し込み制で見学も受け付けており、イベントも開催されているようですが、
今は新型コロナのことがあって、中止になっているようです。
コロナが解決してから見学してみたいですね。

南側からも眺めてみたかったのですが、この後、近辺をぐるりと回ってみたものの、
全く見えませんでした。

その散歩状況は次の記事に続きます。

 

 

 

 

 

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私小説的you tuber動画

2020-08-08 23:18:11 | 日記2020

昨日から、上林暁の短編小説を読み始めたのだが、今読んでいる作品は昭和14年~17年ころに発表されたものである。

実は、私は上林暁という作家の小説を読むのは、全く初めてであった。

それでも、読んだ瞬間にこれはその時代に代表される「私小説」と言われているものだなとわかったのだ。

一人称で書かれているからでもあるが、上林暁の個人情報と作品の内容が一致しているからでもある。

私小説というのは、全く事実そのままというわけではないのだが、やはり事実と重なる部分があって、作品の中の「私」と著者とは同一人物であり、作品を理解すれば、それはそのまま実在の作者を知ることに直結する感じなので、なかなか興味深いと感じる。

事実をもとにしているので、あんまり奇想天外なことは起こらず、日常の一コマを描いた随筆のようなこじんまりした作品が多いが、その中の出来事について主人公がどう受け止めているのかなどを読み進んでいくのがとても面白いので、私小説は結構好きである。

そのような「私小説」という小説区分は、日本独特のものであると聞いたことがある。海外にはあまりないらしい。

・・・

ところで、最近色々なyou tube  を見ているが、その中には自分の私生活を切り売りしているとしか思えないユーチューバーの動画がかなりある。

例えば音楽家が音楽演奏の動画を掲載したり、医者が病気について説明したりする動画は、その分野に関する情報発信を目的としているわけで、それは、その人の専門性であり、それを発信するのはその職業の活動の1つだろうと思える。

しかし、そういう人が、日常の朝ご飯を作って食べる姿や、時には寝起きなどの日常生活を動画にして掲載するようになると、それは、その人の生活自体が売り物になっていることになる。

それはちょっと方向性が違うような気もしてくる。

しかし、その中に、一般人的な生活の姿が描かれているのであれば、それはそれで興味深く、楽しいものでもあり、その動画自体に価値があることになる。

ということは、そのような自分の日常生活を撮影して動画とし、切り売りすることは、まるで昔の私小説作家が、日常生活を素材にして小説を書いていたのと同じではないだろうか。

もちろん、動画にしても、そこには作品として視聴者の興味をそそったり、何かインパクトを与えたり、共感させたりする工夫などがきちんとされ、綿密に構成されていると思える。

だから、それはそれで良いのではあるが、個人の多くの日常の状況を公衆の面前にさらしていくことのリスクというのは無いのだろうか?

昔の私小説作家も、恥ずかしい場面についてさえ作品として暴露し描いたりして、それによって原稿料をもらっていたわけなのだが、文字にするのと、映像で実際の状況が写るのとはまた違うような気もする。

日々、次々に作られて公開されるyou tube動画は、実況中継に近いものであり、小説のように後になって発表されるものではない。そして、続編が期待されるが、本人たちも明日はどうなっているのか、半年先はどうなっているのかわからないわけで、もし大きな変化が起きたときもそれを公表し続けていく覚悟があるのだろうか?

ユーチューバーとして収入を得て生活していくためには、かなりの視聴回数を上げないといけないそうだ。そのため、自分の専門分野のみならず、ペット動画を上げたり、日常生活を写したり、様々なパターンの視聴回数を上げやすい素材を次々に増やしていく。収益を得たいんだろうなあと、だんだん痛い感じになってくる。日常生活のすべてを公開し、切り売りする。

私小説ならぬ私動画は、公私を区別することが難しくなり、プライバシーもなくなり、面倒なことになりそうな気もするのである。

何を書いているのか、わからなくなってきたけど、結局、まとめると、私動画は私小説のような側面もあり、面白いけど、私的部分をリアルタイムに近いタイミングで公開しすぎる点について、個人のプライバシーが暴露され、いくら本人が自分の意思でやっているとはいえ、危惧する面が多い。

 

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