投球フォーム・・・左ノーワインドアップ投法「ルーキーだった1978年に中原二軍投手コーチから、オーバーハンドだと手の動きで球種が見破られるという指摘がありフォームを改造した。しかし、威圧感がなくなったという声も多かった」
球種・・左腕特有のクロスファイヤー気味の速球。大小2種類のカーブ、スライダー
1983年・オープン戦
「松本、完投一番乗り・甲子園の星・遅咲きの春」
3月16日・阪急ー大洋「西京極」試合時間・2時間34分
大洋010000000・1
阪急91001000・・11
勝ち・松本、負け・広瀬・・本塁打・吉沢2号、石嶺1号
松本投手・投球内容・9回・8安打・三振3・四死球1・自責1
・期待を裏切り続けて6年目を迎えた阪急の左腕・松本が思いもよらぬ好投で、12球団のトップを切って完投勝利をあげ、阪急ナインは「やったぜ、マツ」とわがことのように喜んだ。この日の松本には初回の大量点が大きくプラスした。持ち前の速球は、右打者の内角に力強く食い込み、大洋打者のバットを3本も折った。思い通りに決まらなかったカーブも肩の回転がスムーズになるにつれ決まり出し、7回以降はわずか1安打と全く安定していた。「四球病」に苦しんできたのがウソのようで、与えた四球もわずか「1」。この松本に「賞金」がかけられていた。3点以内の完投なら、監督が3万円、水谷が5万円の約束。さらに水谷は試合中、「9回に走者を出さなければ倍額」とし、松本は結局13万円を手にした。52年夏の甲子園優勝投手。球威は抜群だが、昨年まで1勝1敗と伸び悩んだのは精神面に問題があったためで、昨年の今ごろは「心のクリニック」へ通ったりもした。この日の好投も接戦になっていたらどうだったか。だから、額面どおりには受け取れない。しかし、「プロの世界で生き残れるかどうかなので必死だった。7回からは思い通りの投球ができた」という。松本の心に自信の灯りがともったのは間違いない。左腕不足を嘆く上田監督も「これで一軍入りへ足掛かりを作った」と喜んだ。18日からの遠征メンバーから外す予定だったが、19日、福山「対広島」へ呼び、もう1度テストすることにした。遅咲きの花を咲かせるかどうか、その時が正念場だ。