・1977年の資料
阪急の山下浩二投手が来シーズンから「下手投げ」で再デビューする。山下といえば、江川2世とまでいわれた本格派。その重い球質の速球は「江川に負けないものを持っている」と首脳陣に太鼓判を押されていた。しかし好事魔多し。3年前に肩を痛め、治りきらないまま昨年と今年の2年間を棒に振ってしまった。そうしてこの夏、肩が上がらないところからやむなく下手投げで練習。慣れないフォームで投げ続けていた。ところが、そうしているうちにすっかり板についてきたのである。一軍が巨人とV3をかけて、日本シリーズに死闘を繰り広げているときだった。練習の手伝いにやってきていた山下を見て、上田監督が足早に歩み寄ってきた。そして一言。「なかなかいい球を投げているじゃないか。しっかりがんばれよ」ニコッと白い歯をこぼした山下。「はい、がんばります」と力強くうなずき直したものだった。住友二軍コーチもすっかりその気だ。「上手投げよりかえっていいと思う。来年からは下手投げで、使っていくことになるでしょう。肩の故障は、ケガの功名かもしれない」と、いまでは上手投げ当時よりも楽しみな口ぶりである。
阪急の山下浩二投手が来シーズンから「下手投げ」で再デビューする。山下といえば、江川2世とまでいわれた本格派。その重い球質の速球は「江川に負けないものを持っている」と首脳陣に太鼓判を押されていた。しかし好事魔多し。3年前に肩を痛め、治りきらないまま昨年と今年の2年間を棒に振ってしまった。そうしてこの夏、肩が上がらないところからやむなく下手投げで練習。慣れないフォームで投げ続けていた。ところが、そうしているうちにすっかり板についてきたのである。一軍が巨人とV3をかけて、日本シリーズに死闘を繰り広げているときだった。練習の手伝いにやってきていた山下を見て、上田監督が足早に歩み寄ってきた。そして一言。「なかなかいい球を投げているじゃないか。しっかりがんばれよ」ニコッと白い歯をこぼした山下。「はい、がんばります」と力強くうなずき直したものだった。住友二軍コーチもすっかりその気だ。「上手投げよりかえっていいと思う。来年からは下手投げで、使っていくことになるでしょう。肩の故障は、ケガの功名かもしれない」と、いまでは上手投げ当時よりも楽しみな口ぶりである。