投球フォーム・・・左スリークォーター「緩急をつけた技巧派左腕」
球種・・・ストレートのMAXは138キロ程度。シュート、スライダー、フォーク。決め球はカーブ。
・ルーキーだった1990年の新人王争いは、今から思うと野茂の独走に思えるが、実際には夏場から酒井も見る見る調子を上げ、当時の近藤監督が「ウチの酒井が防御率のタイトルを取ったら新人王の投票はどうする?」と記者団にプレッシャーをかけたほどの健闘ぶりぶりだった。野茂が、トルネード投法から豪速球を繰り出すのと対照的に、左の横手から投じる、カーブを中心とする変幻自在の魔球でパの強打者連をキリキリ舞いさせている。実はこのカーブ、大阪から進学した松山商2年の際、春夏連続甲子園出場を買われ、全日本のメンバーに選ばれたとき、桑田真澄「当時・PL学園」から教わったものである。近大時代には80回3分の1イニング連続無失点を記録しながら、野茂の陰に隠れて目立たないプロ入りだったが、2ケタ勝利、合計3試合完封勝ちなど野茂に劣らぬ実績をあげたのは前述の通り。変化球を多投するため、ヒジの故障が心配だが、日ハムにとっては貴重なサウスポーだ。