1970年の秋、甲子園球場で行われた阪神のテストの応募して合格したのが樫出である。彼は、法大を卒業したあと、デュプロ印刷で投手をやっていたが、プロに魅力を感じていた。そこへ「知人がプロへ紹介してあげるという話を持ってきたので、友人に相談したのです」と樫出はいう。友人とは、大学時代の球友の田淵幸一。「同じテストを受けるなら阪神のテストを受けるようにしろよ。おれが申し込んでやるよ」樫出は、田淵の友情によって阪神のテストに応募した。アンダースローのピッチングは、すぐに村山監督の目にとまり、合格したのである。「樫出は実力で入団した。たしかにオレが口ぞえしたが、そんなことで採用するほど、プロは甘くない。彼は実力で入ったんだよ」樫出が入団したのは田淵のおかげというウワサを耳にするたびに、田淵は反発し、逆に樫出のピッチングをほめたてている。ことしの自主トレーニングも二人は一緒にいたし、田淵はたえず樫出をはげましている。「まだ使えないが、樫出は大学を出てノンプロでやっていただけあり、人間的にしっかりしているので、やがてチャンスをつかむだろう」と村山監督は注目。田淵らの友情に支えられて樫出は、陽の当たるマウンドを目指して、毎日ブルペンで投げている。
投球フォーム・・・ゆったりとしたバックスィングが特徴。スリークォーター気味か?
球種・・・ストレートのMAXは145キロ程度。カーブ、ナックル、チェンジアップ
1988年にイースタン新の18奪三振を記録
同年、ジュニア日本選手権MVP
1988年、王監督が最後に采配を振るった試合「10月4日・大洋戦・横浜」に先発。6回を1点に抑え、王監督の
花道を飾る。
球種・・・ストレートのMAXは145キロ程度。カーブ、ナックル、チェンジアップ
1988年にイースタン新の18奪三振を記録
同年、ジュニア日本選手権MVP
1988年、王監督が最後に采配を振るった試合「10月4日・大洋戦・横浜」に先発。6回を1点に抑え、王監督の
花道を飾る。
投球フォーム・・・右オーバースロー「184センチの長身から投げ下ろす速球、しなやかな腕の振りは沢村二世といわれた」
球種・・・得意球はシュート回転のストレート。落差30センチはあろうかというカーブ、鋭いシュート。
1979年・入団時
「別当監督ベタ惚れ」「沢村二世」「15勝、間違いなし」与座朝勝は新聞の華々しい見出しとともにデビューした。「自分のことじゃないみたい」沖縄からやってきた18歳の感想はこれだけ。「青春のシンボル」がちりばめられた童顔の与座は無口である。しかも蚊の泣くようなかぼそい声。「とまどっている余裕なんか・・・」ルーキーでただひとり一軍に抜てきされただけに緊張が続く。しかし、ひとたびマウンドに立てば、大男ぞろいの投手陣にあっても目を引く184センチの長身。その体から投げ下ろす速球は他を圧している。「プロ入り第1球は自信のある内角ストレートで」といってのけるあたりは噂どおりの強心臓。若者らしく「強気」と「弱気」を交互にのぞかせながら与座はいま青春の陽光を一身に浴びている。
球種・・・得意球はシュート回転のストレート。落差30センチはあろうかというカーブ、鋭いシュート。
1979年・入団時
「別当監督ベタ惚れ」「沢村二世」「15勝、間違いなし」与座朝勝は新聞の華々しい見出しとともにデビューした。「自分のことじゃないみたい」沖縄からやってきた18歳の感想はこれだけ。「青春のシンボル」がちりばめられた童顔の与座は無口である。しかも蚊の泣くようなかぼそい声。「とまどっている余裕なんか・・・」ルーキーでただひとり一軍に抜てきされただけに緊張が続く。しかし、ひとたびマウンドに立てば、大男ぞろいの投手陣にあっても目を引く184センチの長身。その体から投げ下ろす速球は他を圧している。「プロ入り第1球は自信のある内角ストレートで」といってのけるあたりは噂どおりの強心臓。若者らしく「強気」と「弱気」を交互にのぞかせながら与座はいま青春の陽光を一身に浴びている。
投球フォーム・・・プロ入り直後にノーワインドアップに改造
球種・・・ストレート、カーブ、シュート、フォーク
1975年
・ルーキー土屋投手が、実に久々に阪神との最終戦「10月21日」に先発のマウンドに上がった。5回までは阪神打線を無得点に抑えたあたりは、高校当時の土屋らしい自信と球威が回復しているのが目についた。新たに、速くて鋭いシュートをマスターしたのが収穫。「十分とはいかなかったけど、これだけ投げられるようになったのは嬉しいです」という土屋はニッコリ。
球種・・・ストレート、カーブ、シュート、フォーク
1975年
・ルーキー土屋投手が、実に久々に阪神との最終戦「10月21日」に先発のマウンドに上がった。5回までは阪神打線を無得点に抑えたあたりは、高校当時の土屋らしい自信と球威が回復しているのが目についた。新たに、速くて鋭いシュートをマスターしたのが収穫。「十分とはいかなかったけど、これだけ投げられるようになったのは嬉しいです」という土屋はニッコリ。
投球フォーム・・・入団時はオーバースローだったが一時サイドスローに改造し、1989年に再びオーバースローに戻す。しかし故障がちで球威はがた落ちしていた。
球種・・・不明
球種・・・不明
投球フォーム・・・右オーバースロー「長身を利かせて角度のある球を投げ込んでくる。やや、ギクシャクとした変則フォーム」
球種・・・ストレートのMАXは142キロ程度。大小2種類のカーブ、120キロ台のパームボール、フォーク、シュート。
1982年・オープン戦
田中・デビュー・春一番・速球ズバリ、5回を完封
2月20日・日ハムー広島「沖縄・名護」
広000000000・0
日00100100・・2
勝ち・田中・・セーブ・岡部・・負け・金石
田中投手・投球内容・5回・2安打・自責0
・189センチの田中がマウンドに立つと一段と大きく見える。しかも真上からの伸びのある球が大宮のミットに気持ちよく吸い込まれた。3回まで27球を投げカーブはわずか2球、あとはストレートでパーフェクトに抑える見事な立ち上がり。だが、以後二度のピンチを迎えた。まず4回。高橋慶に遊撃内野安打されたあと三村の8球目に「投球のバランスを崩した」足元をゴロで抜かれ、無死1,2塁。打者は衣笠、山本浩の強打者が続くのだが、田中は顔色一つかえず、衣笠をカウント2-2から目のさめるような高めの速球で三振に仕留めた。このとき、重盗を試みた三村を二塁に刺し二死二塁とかわった。打席に山本浩を迎えた田中は、臆せずにここでもストレートで三ゴロに打ち取った。球界を代表する大打者・山本浩の印象について田中はこう語る。「二回、はじめて山本さんと対決したとき、捕手のサインに三度も首を振ったでしょう。あれは一度目が外角ストレート、次に出たのはカーブ、3回目がシュートだったんです。」当然とも思える大宮のサインだが、「ぼくは長打力のあるただ一人の打者と考えて内角ストレートで勝負したかった。でも、四度目も内角のサインは出なかったので、仕方なく外角にはずした」と新人とは思えない図太い神経を持っている。二度目のピンチは5回。1死から「カーブのテスト」をして連続3四球で満塁になったときだ。が、代打・原を三振、そして高橋慶には頭上を抜かれるかと思われる当たりを食ったが、体いっぱいに伸ばして好捕した。「あれは決してまぐれじゃない。捕りにいったんだ」と、自分を売り込むことも忘れない。ピッチングもインタビューの応対もベテラン並みの新人・田中である。「きょうは75点のでき」と本人は言うが、大沢監督は「体が大きい割には動きはいいし、マウンドでも落ち着いている。80点の合格点」と喜んでいた。
投球フォーム・・・右オーバースロー
球種・・・ストレートのMAXは140キロ程度。シュート、スライダー、SFF「スプリット・フィンガー・ファーストボール」、カーブ。
全体的にストライクゾーンが高いのが難点。
1984年・5月20日・日ハムー南海9回戦「後楽園」観衆2万1千・試合時間・2時間43分
南000000000・0
日40004000・・8
勝ち・田中富・・負け・山内和・・本塁打・柏原10号
田中富投手・投球内容・9回・4安打・6三振・四死球3・自責0
・初完封の田中富は「工夫しましたからね。うれしい勝ちです。」と試合を振り返った。前半は制球がままらなかったが、主軸の門田を緩急の変化で抑えたのが工夫のあとで、これで昨年の勝ち星と並ぶ4勝だ。先月29日のロッテ戦で、9回二死後に一発を浴び、完封を逃がしたのも参考になったそうで「最後は力で押さず、打たせようとカーブでいった」ら、最終打者・山田は三振。初完封に花を添えた。
球種・・・ストレートのMAXは140キロ程度。シュート、スライダー、SFF「スプリット・フィンガー・ファーストボール」、カーブ。
全体的にストライクゾーンが高いのが難点。
1984年・5月20日・日ハムー南海9回戦「後楽園」観衆2万1千・試合時間・2時間43分
南000000000・0
日40004000・・8
勝ち・田中富・・負け・山内和・・本塁打・柏原10号
田中富投手・投球内容・9回・4安打・6三振・四死球3・自責0
・初完封の田中富は「工夫しましたからね。うれしい勝ちです。」と試合を振り返った。前半は制球がままらなかったが、主軸の門田を緩急の変化で抑えたのが工夫のあとで、これで昨年の勝ち星と並ぶ4勝だ。先月29日のロッテ戦で、9回二死後に一発を浴び、完封を逃がしたのも参考になったそうで「最後は力で押さず、打たせようとカーブでいった」ら、最終打者・山田は三振。初完封に花を添えた。