プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

水沢正浩

2012-03-10 08:11:37 | 日記
投球フォーム・・・「サイドスロー」、「スリークォーター」、「サイドスロー」とフォームを改造していた。


球種・・・ストレートはMAX140キロ程度。スライダー、カーブ、シュート。決め球はフォーク。



1986年
・長身「187センチ」から投げるカーブはファームの技術では打てそうもないほど大きく曲がる。後楽園での巨人戦「6月11日」の登板では、打者が思わず腰を引いてしまうほど。この試合では1イニングで降板したが大器の片リンをうかがわせた。長所の第一は、いかにも投手向きの体格だ。二番目はカーブの威力。水沢の変化球はきらりと光るものを感じさせる。水沢が、あり余る素質を持ちながらファームでもまだ目立った成績をあげてないのは、あまりにもいろいろな球種のタマを投げ過ぎるからだ。「このタマが最大の武器」と胸の張れるものを、身につけること。ピンチでも、自信のある球種を連投すれば、好結果が必ず出る。たとえそれで打たれたとしても、再出発のポイントは苦もなく見いだせる。将来、日ハム投手陣を背負って立つ力を持った投手だと見る。


1988年・2月12日・オープン戦・中日ー日ハム「沖縄・石川」
日ハム000000200・2
中日・000000000・0
勝ち・田中学・・負け・江本

水沢投手・投球内容・先発・4回・安打0・・自責0

・まさに春の珍事だった。オープン戦初戦の日ハムが、昨年1勝も挙げてない四人の投手リレーで、落合、宇野ら主力をずらりと並べた中日打線を無安打に抑えたのだ。オープン戦でのノーヒットノーランは、1986年3月27日の近鉄ー広島戦で、近鉄投手陣が三人の投手リレーで記録して以来である。それにしても、日ハムのヤング四人は生きのいいピッチングを見せた。その代表例が、水沢対落合二度の対戦だ。二回の落合の第一打席。初球を外角低めの速球でストライクを取った水沢は、二球目に一転して内角高めの速球。生きた球をキャンプでまだ打ってない落合は、バットの出が遅れて詰まった二塁フライ。四回の第二打席も同じように投ゴロに終わった。三年目でまだ未勝利の水沢の好投に刺激されたのか、後続の田中学、渡辺弘、高橋と速球主体の攻めの投球を見せ、出した走者は四死球の三人だけだった。

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杉浦幸二

2012-03-10 08:11:05 | 日記
投球フォーム・・・184センチの長身を利かしたオーバースロー。


球種・・・ストレートは平均140キロ程度。カーブ、スライダー、フォーク。緩急をつける投球が不得手だった。



1987年・4月15日・大洋ー阪神2回戦「横浜」観衆2万4千・試合時間2時間46分
阪神500000000・5
大洋000100100・2
勝ち・キーオ・・・負け・杉浦・・・本塁打・佐野1号

杉浦投手・投球内容・3分の1・・・2安打・・三振1・・四死球2・・自責4

・猛虎打線が初回に爆発。3年目でプロ初先発の杉浦をとらえ、1死1塁でバースが左中間フェンス最上部に当たる二塁打で先制。さらに、掛布四球、岡田左翼線タイムリーで杉浦をKO。代わった松本から佐野が左翼中段に3ランホーマーを放ち、一挙5点を挙げた。

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木村広

2012-03-10 08:10:33 | 日記
投球フォーム・・・右スリークォーター


球種・・・ストレート、カーブ、シュート、決め球はスライダー。「課題があるのはシュート。体をやや開き気味にして投げるので、曲がりが早く、打者に見極められている」

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守岡茂樹

2012-03-10 08:09:40 | 日記
1971年

・身長169センチの小兵・守岡が地元の中日9回戦で初のスタメン出場したが、いきなり二安打をかっ飛ばした。抜擢された理由は左打者がいないことと「バッティング・アイが新人離れしている」森永コーチ・・・に加えて、打線の軸である山本一が故障したためだが、それにしても17歳の新人が、もっとも難しいといわれる二番の座をまかされて二安打というのは立派。ところが、この守岡、守りの方はサッパリで、新人らしく?ポカの連続。木俣の右翼線にあがった飛球を一度グラブに入れながら、転倒してポロリ。そればかりか、同じ木俣の右中間に上がった当たり損ねの飛球を今度は前進しながら、途中でストップして、ヒットにしてしまうなど拙守の連続。プロ初安打を放ったというのに、守岡は「守備の勉強も一生懸命やらなければ・・・」とションボリしていた。

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深沢修一

2012-03-10 08:09:08 | 日記
1971年「広島時代」
・広島、若手のホープ・深沢がシーズン終盤の活躍が認められ、米大リーグの教育リーグ参加がゆるされた。野崎コーチ、国貞、水谷、水沼らのチームメイト、それに大洋勢も合流して、10月末出発。二十日間ほど滞在して技術をみがくが「バッティングはもちろんだが、ベースランニングについて特に勉強したい」と瞳を輝かせながら渡米。深沢は甲府工から42年巨人入り、44年のシーズン途中、広島に移籍した。巨人時代は投手が主で、それも打撃投手の域を出なかったが、広島入りをしてからは、俊足、強肩が認められて野手に転向。遊撃から外野へとまわされ、徹底的にシゴかれた。出場のきっかけは主砲・山本一の負傷。これをものにした。鉄砲肩と俊足を生かしての守備範囲の広さに加え、シーズンを終えて打率も279をマーク。来季の活躍に期待がかけられている。「足には自信があるが、それをより有効に生かすベースランニングそれと投球に対するスタートなど、勉強してくることはいっぱいあります。」野球留学で自信をつけて、帰国すれば、来季の貴重な戦力になることは間違いない。

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光井正和

2012-03-10 08:08:41 | 日記
1982年
・1年間の出場停止処分というつらい試練を乗り越えたのが近鉄・光井正和内野手だ。81年度のウエスタンでは70試合・233打数68安打・打率292・本塁打12本。「とにかく70試合にフル出場できたんですから、1年前のことを思うと夢みたいです。うれしくて、うれしくて・・・」それもそうだろう。広陵高ー大商大を経てドラフト2位で近鉄入り。期待に胸を躍らせ猛牛の一員に加わったものの、自らの過失とはいえ、酒を飲み通りすがりの人に暴力事件をひき起こし「1年間の出場停止処分」仲間たちの威勢のいい掛け声が藤井寺球場にこだまする間も、光井はひとり薄暗いベンチ裏通路にうずくまる毎日だった。物言わぬコンクリートのカベを相手にキャッチボールを始め、ひとりマシン相手に打撃練習を開始した光井は立派だった。そんな努力が実って処分解除後は、1年間の遅れを取り戻すかのように全試合にフル出場。ジュニア・オールスターにも選ばれた。しかし「同期の仲間たちと、ようやく同じスタートラインに並んだ」光井・・・本当の闘いはこれからだ。

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大原徹也

2012-03-10 08:07:41 | 日記
1980年
・5月5日、こどもの日の西武球場には、何ともおあえつらえ向きのヒーローが生まれた。プロ5年目で初めて打ったホームランが決勝打となった大原である。この日の日ハム7回戦、味方が2-2と追いつかれた直後の5回ウラ、先頭打者として登場した大原は、木田投手のカウント0-2からの直球を左翼席にたたき込んだ。「ストライクなら、どんな球でも打ってやろうと思っていたらカウント取りの甘い球が来たんです。でも、まさかホームランになるとは・・・」と、童顔をほころばせて話す。この試合では、3回にも右翼線二塁打で、先制の突破口を開き、立花の2点タイムリーを誘いでしており、文句なしのヒーローだった。「2打席連続安打なんて、もちろん初めてです。昨夜は寝床の中で木田攻略法を考え、結局は来たストライクは絶対に逃さないことを決心したんです。だから思い切り良くバットが振れました」土井、田淵、両外人の主軸打者たちが束になってかかっても14打数1安打、5三振と全くといってもいいくらいに打ち込めなかった、この日の木田を若手の立花と共に打ち崩したのだから、大原の手柄は大きい。1975年末、大阪・福島商からのドラフト外入団で、契約金ゼロ。昨年、根本監督に抜てきされたが、87試合で打率161と打てず、守りでもボロを出し、今季は4月19日まで二軍暮らしだった。やっと昇格した途端の大爆発。童顔が女学生に大モテだが、モットーは「冬のあとには必ず春がくる」そのモットーどおりに「大学に進んだ同期の連中がプロ入りしてくるまで一人前になること」と、ひたむきに練習を続ける好青年だ。



1984年「近鉄時代」
6月24日・阪急ー近鉄12回戦「西宮」観衆2万・試合時間2時間52分
近鉄000020100・3
阪急100000000・1
勝ち・鈴木啓・・負け・宮本・・本塁打・羽田7号、大原4号

大原選手・9番ショートでスタメン・3打数1安打・打点1・

「大原、9年目のV打」
・勝ち越しの4号ソロホーマーを放った大原。初回、福本のなんでもないゴロをそらし、先制点を許すきっかけを作っただけに、「あの打席が勝負だった。カーブだったけれどタイミングがぴったりでした」この一打がプロ入り9年目で初の勝利打点。「西武時代にも確か打ったことがあったと思うが、制度がなかったからね」と表情は崩れっ放し。

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佐藤滋孝

2012-03-10 08:07:11 | 日記
1980年・2月23日・オープン戦・広島ー阪急「沖縄・那覇」
阪急001002040・7
広島000001000・1
勝ち・山下・・負け・土居

佐藤滋選手・・8番ライト・スタメン・・3打数1安打・打点3・・二塁打1

・阪急が新戦力の活躍で快勝したが、特に目についたのがルーキーの佐藤滋。6回に右翼へ2点二塁打を放つと、8回には左翼犠牲フライと3打点を叩き出した。日本生まれのブラジル育ち。ドラフト外の入団だが、その怪力ぶりに広島ナインもビックリ。「腕力だけで打っている。外人の中で練習していたので、自然にそうなっているのだろう。だが、ボールのとらえ方はうまいですよ」と、長池コーチは育成に懸命だ。まだ、ワキが甘く、力に頼る粗っぽいスイングだが、前に大きく振り切るフォームになれば長距離打者としての楽しみが出てくる。

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伊藤泰憲

2012-03-10 08:06:43 | 日記
1972年
・昨年のジュニア戦でも大島ら中日勢の活躍が目立ったが、ことしも三沢が勝利投手、伊藤泰が本塁打を放って打撃賞に輝くなど、2年連続してジュニア・オールスターで気を吐いた。中でも保坂「東映」から、東京球場の左翼場外ホーマーを放った伊藤泰外野手のパワーには出場選手たちがビックリしたほどだった。「こんなチャンスは二度とないから、思い切って振ったんです」と本人は大喜び。その一発が認められて、後半戦ではプロ2年目で初の一軍入り。攻守とも抜群のセンスの持ち主といわれる伊藤泰に「第二の大島」という呼び声も高い。


1976年
・大型打者として芽を吹き出してきた伊藤が、代打ばかりで5本目のホームランを放った。この5号は8月21日の巨人19回戦で
新浦投手から、左翼席へ豪快に打ち込んだ3ラン。「負け試合では意味がないけど、ボクにとっては代打の1打席一振りが勝負。これで5本のうち巨人戦で3本を放ったが、こんどは自分の一発で勝ちたいです」代打ホーマーといえば、今季、大島が7本目を先ごろ記録。これが世界新というおまけ付きであった。つい口が軽くなった伊藤。「あと2本打てばタイですネ。3本打ったら、ボクが世界新。ひとつ大島サンに挑戦してみようかな・・・」一塁、三塁、外野もこなせる万能型プレーヤーだけに、「いっそのこと、一塁に定着させてみたら」の声もある。

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