投球フォーム・・・「サイドスロー」、「スリークォーター」、「サイドスロー」とフォームを改造していた。
球種・・・ストレートはMAX140キロ程度。スライダー、カーブ、シュート。決め球はフォーク。
1986年
・長身「187センチ」から投げるカーブはファームの技術では打てそうもないほど大きく曲がる。後楽園での巨人戦「6月11日」の登板では、打者が思わず腰を引いてしまうほど。この試合では1イニングで降板したが大器の片リンをうかがわせた。長所の第一は、いかにも投手向きの体格だ。二番目はカーブの威力。水沢の変化球はきらりと光るものを感じさせる。水沢が、あり余る素質を持ちながらファームでもまだ目立った成績をあげてないのは、あまりにもいろいろな球種のタマを投げ過ぎるからだ。「このタマが最大の武器」と胸の張れるものを、身につけること。ピンチでも、自信のある球種を連投すれば、好結果が必ず出る。たとえそれで打たれたとしても、再出発のポイントは苦もなく見いだせる。将来、日ハム投手陣を背負って立つ力を持った投手だと見る。
1988年・2月12日・オープン戦・中日ー日ハム「沖縄・石川」
日ハム000000200・2
中日・000000000・0
勝ち・田中学・・負け・江本
水沢投手・投球内容・先発・4回・安打0・・自責0
・まさに春の珍事だった。オープン戦初戦の日ハムが、昨年1勝も挙げてない四人の投手リレーで、落合、宇野ら主力をずらりと並べた中日打線を無安打に抑えたのだ。オープン戦でのノーヒットノーランは、1986年3月27日の近鉄ー広島戦で、近鉄投手陣が三人の投手リレーで記録して以来である。それにしても、日ハムのヤング四人は生きのいいピッチングを見せた。その代表例が、水沢対落合二度の対戦だ。二回の落合の第一打席。初球を外角低めの速球でストライクを取った水沢は、二球目に一転して内角高めの速球。生きた球をキャンプでまだ打ってない落合は、バットの出が遅れて詰まった二塁フライ。四回の第二打席も同じように投ゴロに終わった。三年目でまだ未勝利の水沢の好投に刺激されたのか、後続の田中学、渡辺弘、高橋と速球主体の攻めの投球を見せ、出した走者は四死球の三人だけだった。
球種・・・ストレートはMAX140キロ程度。スライダー、カーブ、シュート。決め球はフォーク。
1986年
・長身「187センチ」から投げるカーブはファームの技術では打てそうもないほど大きく曲がる。後楽園での巨人戦「6月11日」の登板では、打者が思わず腰を引いてしまうほど。この試合では1イニングで降板したが大器の片リンをうかがわせた。長所の第一は、いかにも投手向きの体格だ。二番目はカーブの威力。水沢の変化球はきらりと光るものを感じさせる。水沢が、あり余る素質を持ちながらファームでもまだ目立った成績をあげてないのは、あまりにもいろいろな球種のタマを投げ過ぎるからだ。「このタマが最大の武器」と胸の張れるものを、身につけること。ピンチでも、自信のある球種を連投すれば、好結果が必ず出る。たとえそれで打たれたとしても、再出発のポイントは苦もなく見いだせる。将来、日ハム投手陣を背負って立つ力を持った投手だと見る。
1988年・2月12日・オープン戦・中日ー日ハム「沖縄・石川」
日ハム000000200・2
中日・000000000・0
勝ち・田中学・・負け・江本
水沢投手・投球内容・先発・4回・安打0・・自責0
・まさに春の珍事だった。オープン戦初戦の日ハムが、昨年1勝も挙げてない四人の投手リレーで、落合、宇野ら主力をずらりと並べた中日打線を無安打に抑えたのだ。オープン戦でのノーヒットノーランは、1986年3月27日の近鉄ー広島戦で、近鉄投手陣が三人の投手リレーで記録して以来である。それにしても、日ハムのヤング四人は生きのいいピッチングを見せた。その代表例が、水沢対落合二度の対戦だ。二回の落合の第一打席。初球を外角低めの速球でストライクを取った水沢は、二球目に一転して内角高めの速球。生きた球をキャンプでまだ打ってない落合は、バットの出が遅れて詰まった二塁フライ。四回の第二打席も同じように投ゴロに終わった。三年目でまだ未勝利の水沢の好投に刺激されたのか、後続の田中学、渡辺弘、高橋と速球主体の攻めの投球を見せ、出した走者は四死球の三人だけだった。