プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

半沢士郎

2016-12-03 21:59:55 | 日記
1964年

この夜の半沢は泣かなかった。二日、中日球場での対中日戦でプロ入り初勝利を記録、しゃくりあげ、涙を流しながら喜びを語った少年の姿はもうみられない。「3点リードされていたし、同点になっても別に・・・。楽な気持ちで投げました」ベンチの真ん中、いつもだったら金田のすわる場所で堂々とした応対だ。半沢は静かに語りつづけた。「シュートと直球で攻めました。王さんは最後までこわかったが、長島さんはそうこわいと思いませんでした」とケロリとしている。登板をいわれたのは九日。そのとたんに王の大ホーマーが出た。「王さんのホームランを見たのはあれがはじめて。それだけに最後まで気が抜けなかった」のだそうだ。「八回、王さんを左飛にとったのは外角の直球。長島さんのは内角の直球です。十回は長島さんを遊ゴロに押えましたが、あれは内角のシュート。これで勝てるという気がしました」「柴田には慎重に投げていたね」という言葉には「柴田さんとは高校(鎌倉学園)のとき試合をしたことがあるんです。ボクは一年生でベンチで観戦していましたがいっぺんも勝てなかった。だからどうしても柴田さんには勝ちたかったんです」「監督や金田に巨人のことを聞いた?」という質問には「いえ、なにも聞きません。白紙でマウンドへあがりました」白い歯をみせながらこたえた。「巨人の長島、王といったら高校時代からボクらのあこがれのマトだった。グラウンドで勝負できるだけでも十分です。研究なんて・・・」イースタン時代、母親のたきさんに水筒とべんとうを差し入れてもらい、いっしょに食事をしたというこの甘えん坊十九日には十九歳の誕生日を迎える。「まだ家へ帰っていないんです。一軍で勝ったら家へ帰るとおとうさんと約束したんです。誕生日には帰りたいですね・・・」

長島選手(対半沢に遊ゴロ2、一邪飛、遊飛)「球は重くないが、とにかく速いね。ストレート、カーブがすごい。いいからだしているし、最近にはめずらしい本格派だ。落ちるシュートを持っているのに?ボクには投げてこなかったな。へんに小細工しないでいまの調子で投げたらちょっとしたものだね」

王選手(3四球、左飛)「みんなが速いというけどそんなに速くはなかった。ただ、ボクの方が調子が悪かっただけだ。だがカーブはよかったんじゃないかな」

佐々木信也氏「とにかくボールが速い。1㍍81という長身をうまく使う純粋なオーバーハンドの投手なんでボールに角度もあり、そのうえボールがのびているので打ちにくいのだろう。
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田辺修

2016-12-03 21:37:20 | 日記
1966年

プロ入り四年目。これで通算六十二試合の登板だが、南海から勝ったのは初めて。「ウフフ・・・」ナインにもまれながらベンチに帰った田辺は、思わず笑い出した。めったに笑わない男、話しかけなければ一日中でも黙っているとナインの間で評判なのだから、よほどうれしかったに違いない。「南海は疲れているんじゃないですか。いつもなら九回も持ちませんよ。三回までひととおり当って野村さんの振りも恐ろしく感じなかったし、ブルームのいやらしさもないみたいだった。いつもの南海と違いますね。だから思い切ってどんどん勝負に出た」三十八年、当時別当監督のときに入団した。徳島・美馬商工の無名の投手をとった理由は「直球がすばらしい」からだった。入団した年、ウエスタン・リーグに初めて登板して、カーブは一球投げただけということもあった。高校ではカーブを全く投げずにいたそうだ。「五回、野村さんを歩かすまで無走者だったけど、完全試合なんてとんでもない。もちろんそのあとノーヒット・ノーランも・・・。そんなたいした記録のできるような投手じゃありませんよ。ほんとに南海がおかしかったんですよ」だが沢藤スコアラーは南海の調子とは無関係だとはっきりいった。「直球にあれだけ伸びがあれば、どんなときでも打たれない。南海に比較的好投するウチの鈴木や西鉄の池永正、東映の尾崎らを見てごらん。みんな直球が武器だ。コーナーワークでかわすのなら、せめて小山級にならなければ押え切れない」四年間で7勝しかあげられないのはコントロールの悪さ。だが直球に自信を持ってきたから大きく飛躍するチャンスがあると野口コーチはいう。「八回、堀込に0-3になったが、三球直球をつづけて三振にとった。直球のコントロールに自信を持ったはずだ」一番コントロールできる球は直球だということは杉浦も稲尾もいっている。無安打に押えられた野村は田辺のよさをこんなふうに見ていた。「どこにくるかわからない。的がしぼれないんだ」
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牧勝彦

2016-12-03 21:24:58 | 日記
1966年

「牧がよくやった。牧の復帰はたいへん大きい」田丸監督は牧をほめちぎった。たよりになる投手が小山ひとりしかいなかった投手陣。ルーキー木樽がはばたき、牧もこれで見通しが立った。後半戦の東京投手陣は明るい材料がいっぱいある。この牧は原因不明のおでき、肩の故障でことしは大きく出遅れた。これまえに投げた最長イニングは東映戦の四回。そんなわけで、この夜、完投目前でマウンドを退いてもくやしさよりうれしさが先に立った。「植村コーチからもいわれました。全力投球しろ、そうすればおのずと完投もできるとね。ですからぼくは満足です。これで完投のペースもつかめてきました。こんどこそは・・・」立ち上がりはちょっとストライクがはいらず、地元ファンに不安をいだかせた。その点は笑いとばした。「それが逆によかったのかもしれません。きょうはスライダーが全くダメで、苦しかったです。そのかわりストレートは最高でした」試合前、阪急の青田コーチと顔を合わせて、いわれた。「きょうはおまえだろう。ウチはもっか大当りしているから、KOだぞ」牧はいい返した。「どうぞどうぞ。ぼくが投げますから、よろしく」試合後、牧はこの点について「青田さんの言葉が頭にやきつき、なにがなんでも押えてやるんだと思いました」ほっとした顔でコーラをほした。五回までノー・ヒットの好投。77㌔の巨体は東京投手陣の中で一番重い。当然ほかのものよりスタミナの消耗度も高く、心臓にかける負担も大きい。五回裏の攻撃で深い遊ゴロを放って一塁へ全力疾走した。胸の鼓動は最高に波打った。初安打を打たれたのはそのあとの六回表だった。阪急の五連勝をストップした牧はそれでも満足げだった。
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合田栄蔵

2016-12-03 21:14:55 | 日記
1966年

1㍍72、68㌔。プロ選手としては小柄だ。だがネット裏で見ていた戸倉勝城氏はいった。「森中(1㍍74)よりは上背があるだろう」投手は大きく見えるように投げるのは有利だといわれている。合田はとくにそれを意識していない。「きょうのようにうまく勝てるとからだの小さいことなんか気にしない」そうだ。得意の球は外角へのスライダーと二種類のカーブ。「合田のように直球にそれほど威力のないタイプは変化球のコントロールがどれだけあるかが一軍入りの条件だ」という野村。県立尼崎高から入団して六年目。三十九、四十年と一、二軍を往復。四十試合に出て計4勝5敗。「ことし完全にローテーションにはいれなければもうだめだと思っていた。きょうは石井晶には外角直球を左翼へ軽くほうり込まれてしまったから、できはよくなかったなあ。それでも一生懸命ボールを散らしたのと、バックの援護で勝つことができた」6勝無敗。ツキだけではこうは勝てまい。「七月末の東映戦で0-0の七回からリリーフに出て勝った試合があった。首位争いに関係のある大事なところで出されたことで自信を持った」という。接戦での救援投手起用に一番神経を使う鶴岡監督。6勝のうち5勝まではそんなケースで登板、勝ったものだ。去年までは近鉄用ピッチャーといわれた。「とんでもない。すべてのチームに投げているじゃないか。新進気鋭の若手だよ」と杉浦コーチは大いにほめたてた。
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