1966年
降りしきる雨の中、マウンドを引きあげてくる顔にうれしさがムキ出しだった。数本のマイクを突きつけられてしりごみし、とうとう1㍍以上もうしろへさがってしまった。「なにもかもはじめてで・・・。初勝利の気分といったってよくわかんないです」公式戦のベンチにはいって二日目。ナイターにも、神宮のマウンドを踏むのもはじめてだ。「調子がよかったんでいけるとは思っていました。はじめはあがっちゃったけど、長島さんや王さんが声をかけてくれるのがきこえたころからやっと落ちつきました。ストレートとシュートがよかった」まだ少しお国なまりが残っている語尾をのみ込んでは、声をはずませた。森はシュートのサインはひとつも出さなかったという。砲丸投げのような独特のフォームからナチュラルにシュートする球が大きな武器になっているのを知っていたからだろう。「ストレートを全体の八割は投げさせた。コントロールをどうのこうのと、いまは注文をつけなくてもいいだろう」と森はいう。多摩川のファームから送り出されたとき、中尾二軍監督からは「失敗してもともとだ、くらいの気持ちで思いきってやれ」とだけ注意されてきたそうだ。実家は農業。十一人きょうだいの九番目だ。秋田の鷹巣農林から農大へ進み、一年のとき東都大学リーグで3勝している。しかし、そのころからは鉄砲肩にものをいわせたストレート一本やり。カーブの投げ方は、プロ入りしておぼえたというかわり種だ。首脳陣に認められるきっかけとなったのは、昨年三月十六日、大津の対阪神オープン戦。石原(昨年退団)をリリーフして4イニングをノーヒットに押え、勝利投手になったが、このとき生まれてはじめて実戦にカーブを投げた。それも一軍を相手にするんだ、と中尾二軍監督にその十日前カーブの握り方をおそわったばかりだ。だが、この直後に肝臓病から黄ダンを併発してシーズンを棒に振ってしまった。長かったそのブランクが、菅原のシンの強さをつちかったようだ。ことしの一月はじめ、静岡県伊東市の日軽金の寮に渡辺、林、金田らと三週間の強化合宿を張っていたときだった。スタジアム裏の二百段以上もある急な石段をだれひとりとしてひと息に上りきれなかったが、それに菅原が挑戦してとうとうやりとげた。それも歯をくいしばって二往復したのだ。北国育ち特有のねばり強さというより、菅原にとってそれは病みあがりの自分への一種のカケだったかもしれない。イースタンでのことしの成績は十五試合に登板して9勝1敗。八十四回三分の二を投げて防御率は1・27。三十七度を越す炎天下で完投してもビクともしないスタミナがついてきている。小守トレーナーも「腹筋をやらせたらだれにも負けない。ウチでナンバー・ワンのスタミナの持ち主だ」とタイコ判をおしている。
降りしきる雨の中、マウンドを引きあげてくる顔にうれしさがムキ出しだった。数本のマイクを突きつけられてしりごみし、とうとう1㍍以上もうしろへさがってしまった。「なにもかもはじめてで・・・。初勝利の気分といったってよくわかんないです」公式戦のベンチにはいって二日目。ナイターにも、神宮のマウンドを踏むのもはじめてだ。「調子がよかったんでいけるとは思っていました。はじめはあがっちゃったけど、長島さんや王さんが声をかけてくれるのがきこえたころからやっと落ちつきました。ストレートとシュートがよかった」まだ少しお国なまりが残っている語尾をのみ込んでは、声をはずませた。森はシュートのサインはひとつも出さなかったという。砲丸投げのような独特のフォームからナチュラルにシュートする球が大きな武器になっているのを知っていたからだろう。「ストレートを全体の八割は投げさせた。コントロールをどうのこうのと、いまは注文をつけなくてもいいだろう」と森はいう。多摩川のファームから送り出されたとき、中尾二軍監督からは「失敗してもともとだ、くらいの気持ちで思いきってやれ」とだけ注意されてきたそうだ。実家は農業。十一人きょうだいの九番目だ。秋田の鷹巣農林から農大へ進み、一年のとき東都大学リーグで3勝している。しかし、そのころからは鉄砲肩にものをいわせたストレート一本やり。カーブの投げ方は、プロ入りしておぼえたというかわり種だ。首脳陣に認められるきっかけとなったのは、昨年三月十六日、大津の対阪神オープン戦。石原(昨年退団)をリリーフして4イニングをノーヒットに押え、勝利投手になったが、このとき生まれてはじめて実戦にカーブを投げた。それも一軍を相手にするんだ、と中尾二軍監督にその十日前カーブの握り方をおそわったばかりだ。だが、この直後に肝臓病から黄ダンを併発してシーズンを棒に振ってしまった。長かったそのブランクが、菅原のシンの強さをつちかったようだ。ことしの一月はじめ、静岡県伊東市の日軽金の寮に渡辺、林、金田らと三週間の強化合宿を張っていたときだった。スタジアム裏の二百段以上もある急な石段をだれひとりとしてひと息に上りきれなかったが、それに菅原が挑戦してとうとうやりとげた。それも歯をくいしばって二往復したのだ。北国育ち特有のねばり強さというより、菅原にとってそれは病みあがりの自分への一種のカケだったかもしれない。イースタンでのことしの成績は十五試合に登板して9勝1敗。八十四回三分の二を投げて防御率は1・27。三十七度を越す炎天下で完投してもビクともしないスタミナがついてきている。小守トレーナーも「腹筋をやらせたらだれにも負けない。ウチでナンバー・ワンのスタミナの持ち主だ」とタイコ判をおしている。