プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

加藤斌

2016-12-11 14:55:36 | 日記
1963年

対国鉄戦で中日のルーキー加藤(斌)投手が五回から初登板した。結果は1回1/3投げて3点とられて散々のでき。もっともそのうち2点は失策がからんだもので加藤には気の毒だったが、最初の1点は高林、豊田に文句ない二塁打を浴びてとられたもの。豊田は「まだコントロールもスピードも甘い。しかし、シュートはなかなかいいからコントロールがよくなれば、先が楽しみだな」といっていた。加藤は「やはり初登板であがっていた。調子は悪くなかったんだが、シュートもスライダーもみなボールひとつはずれてしまって・・・」と頭をかいていた。
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小川健太郎

2016-12-11 14:21:55 | 日記
1967年

最後の打者、代打の西園寺を三振にとったとき小川は思わず白い歯を見せた。22勝目をマークした喜びもそうだが、再三のピンチをのがれ、ようやく勝ったというホッとした気持ちの方が強かったのだろう。三日の対産経戦でも三イニング投げ、自らのサヨナラ安打で勝っている。「ほんとうは五日の先発を予定していたんだが、三日に投げてしまったので一日ずらしたんだ。そのため調子はあまりよくなかったようだ。いまの小川は疲労がたまっているから2、3点の失点は覚悟してやらないといかんからね」近藤コーチは気の毒そうに小川をかばう。オールスター前はリリーフの切り札板東の故障からその代役をつとめ、板東が復調するとともに、また先発グループにカムバック。一人で中日の投手陣を切り回した疲労は中二日あいての登板のこの日も出ていた。とにかくいまの中日投手陣でたよれるのは三十二歳の超ベテラン小川以外にないのだ。「きょうなどは最初からからだがだるく、きつい試合だった。でも六回の無死一、二塁を切り抜けたときに、これは勝たせなくてはいかんと思った。ボールが走らないのでコントロールばかりに気をくばったんだよ。ああバテた」冷えたお茶をごくりとのんだ。最多勝利を目標に一歩一歩階段をのぼっているわけだが、報道陣からそのことを聞かれると「いまは出されたときにひとつひとつ勝つだけのことや。もうこのへんで勝ち星はいいよ」とそっけない。だれもいないベンチにどっかと腰をすえ、質問に答えていた小川は、吉江代表が呼びにきてからやっと重い腰をあげて、バスにむかった。長い通路を通りぬけながら、小川は最後に張り切ってこういった。「あとウチは三十五試合あるが、出番が五つとして、絶対に25勝はするよ」評論家の白石勝巳氏は「とにかくシュートの使い方がうまい。それで外角のスライダー、ストレート、カーブが生きている。今シーズン30勝は残りゲームから見て無理だが、25勝は絶対にいけるだろう」と太鼓判を押していた。
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上田卓三

2016-12-11 13:10:46 | 日記
1966年

新チームの練習に参加して、毎日バッティング投手をかって出ている。一人二十本ぐらい、十七、八人が入れかわりたちかわり打つ。黙々と投げる上田。バッターが打ちそこねて、帽子をとってあやまっても、打球がからだのすぐ横を通り抜けても、声も出さない。まるでピッチング・マシンのようだ。だが球は速く、二年生、一年生は相当苦しんで打っている。速球を内外角あるいは高低にゆさぶるように投げているからだ。「フリー・バッティングのピッチャーができない投手は一人前の投手になれないのではないですか。西鉄の稲尾さんがコントロールをつけるのはバッティング・ピッチャーをやるに限るといってますね。そのとおりだと思って毎日投げているのです」自分でも「コントロールとスピードには自信がある」といい切るのも決して強がりばかりではない。毎日、考え考えて練習をくり返し、力をたくわえていった自信がいわせるのだ。約一時間半をぶっつづけで投げる。胸幅とシリだけは大きいが、ほかに肉らしきものはついていない。ヒョロッとしたからだの、どこにこんな馬力があるのだろうか。上田が馬力のあることを実証したのは昨年二年生の夏だった。60㌔の体重が56㌔まで落ち、ビタミン剤を注射しながら予選を投げぬき野球部創立以来初めて甲子園出場をきめた。そのうえ初出場で初の全国優勝までなしとげてしまった。このとき上田は一人で投げ切った。このタフさに原監督までが「驚いてしもうた」と舌を巻いた話は有名だ。そして昨年の秋からことしの春にかけて自宅(大牟田市歴木=くぬぎ)近くの大開山(標高500㍍、傾斜40度)の片道3㌔の山道を毎朝走った。「一ケ月ぐらいは歩き歩き登ったのですが、二か月ぐらいになると平気で走れるようになりました」という。さらに「からだが一番こわばっている朝早く走る方が効果があると思って」朝ばかり走った。上田の考え方は「自分にプラスになることならなんでもやる」ということだ。原監督は「別に技術的なアドバイスはしなかった。ただランニングだけはやかましくいっていた」が上田はすぐ実行に移したわけだ。「野球は死ぬまでつづけたい」と大まじめでいうほど打ち込んでいる。家庭環境も野球をするにはめぐまれていた。長兄進一郎氏(31)=大牟田市役所勤務=は三池高時代、外野手として大牟田市から初めて甲子園に出たときの選手。父親進氏(55)=三井グリーンランド・ゴルフ場勤務=と母親一子さん(51)は上田の試合にはたとえ練習試合でも弁当持参で応援にかけつけるほどの熱心さだ。父親進氏は「六人兄弟の末っ子だし、甘えて育ったところもあるが、自分がこうと決めたらいちずに打ち込む性格だ。日ごろはおとなしいが、いざとなったとき非常にがんばりを出す男だ」と自慢にしている。「ことしの県大会で小倉工の打たれたのは全部カーブでした。スピードボールには自信があるのですが、できるだけ体力をたくわえようと変にカーブを投げたのが失敗だった」と反省。「これからスピードをつけるため、また山に登る」という。「南海と西鉄が一位にランクしてくれたのが大きな励みになりました」最初は東海大に進学の気持が強かったが、最近「投手は高校から直接プロにはいった方が有利だ」と南海入りの決心をかためた。しかしプロ入りは「一生の問題だから少しでも有利な条件ではいりたいです」変にいじけたところがなく、いいたいことははっきりいい、もらうものはちゃんともらうというちゃっかりした現代っ子でもあるようだ。

三池工・原監督「大学なら一年からでもすぐ通用する。だがプロにいくとなればスピードは心配ないが、カーブにコントロールがないのが気にかかる。どんどん走り込んでもっと下半身を鍛えることが必要だ。からだはまだ細いが、いままで背たけだけ伸びてきたので、これからからだはできてくる」
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中井悦雄

2016-12-11 11:49:30 | 日記
1963年

中井の三十日までの記録はつぎのとおりだ。試合数19、完投7、救援11、13勝1敗、投球回数111、1/3イニング、自責点14、防御率1・13。野武士これは真っ黒に日に焼けたたくましい風ぼうから土井垣コーチがつけたニックネームだがサムライのように負けることがきらいだ。研修期間50試合の山尾、辻(佳)が百試合の中井より先に一軍入りしたときはくやしがった。関大を一年で中退して阪神入りしたのも中途はんぱなことがきらいな性格からだ。「勉強と野球、両方うまくやっていくほどぼくは器用じゃないんです。中途はんぱな状態で野球をやるくらいなら思い切ってプロにはいった方がいいと思ったんです。いまではプロの道を選んでよかったと思っています」シーズンのはじめ山尾、辻(佳)の仲のよいグループは禁酒同盟をつくった。これからどんな逆境に立っても酒に救いを求めないというのがねらいだ。だが三人はその翌日、洋酒のビンを合宿に持ち込んだ。禁酒同盟を結んだが、それまで三人はまだ酒を飲んだことがない。「永久に飲まないんだから一度だけ酒の味を知っておこうと思ったんですよ」

チームのなかのライバルは山尾、辻(佳)だが、チームの祖とのライバルは近鉄の土井だ。大鉄高時代、同じクラスで机をならべ、三十五年甲子園の選抜大会にはともに投手で出場した。近鉄の主軸として活躍する土井をみるだびにむくむくとファイトがわくという。「いつかきっと日本シリーズで対決しようって二人で話しているんですよ」阪急合宿虎風荘の四階、部屋のなかには村山(関大先輩)のピッチング・フォームの写真が何枚もはってある。「村山さんのような投手になることが目標なんです」こういって中井は目を輝かす。入団以来つきっきりでみている土井垣コーチの採点はこうだ。「入団当時はただ速い球を投げるだけで荒っぽいだけだったが、いまは違う。コントロールも見違えるようによくなった。カーブもシャープな切れをみせるようになったし、一軍にあがってもすぐ使えそうだ。だがまだシュートが弱い。これからシュートをマスターすることだ。なにくそという気持ちは人一倍強いし、エースになる素質は十分備えている」一軍入りの日も目の前に迫っている。「早く研修期間があけないかと思っていたんですが、実際に近づいてくるとちょっと心配です。でも打たれてもともとという気持ちでやりますよ。辻(佳)さんが今シーズン五本ホームラン打つのとぼくの1勝とどっちが早いか競争しているんです」やはり強気だ。
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石岡康三

2016-12-11 11:23:00 | 日記
1964年

この日の先発をいわれた十六日の夜、石岡は身のまわりのものをせっせと片付けていた。大倉山の合宿をでて両親と石岡と半々にだして買った調布の新居に移ったのはつぎの日だった。「合宿の食べものがまずいわけじゃないけど自分に合った食いものを食べたくてね」若手三羽ガラスといわれた中で、佐藤進が6勝、半沢が2勝、たったの1勝しかあげていない石岡は、仲間にひとつずつ追いついていく方法を両親の食事に求めた。「四回ごろから、勝てるという気がしてきた。カーブでカウントをかせぎ、速球で勝負したのがよかったのでしょう」王には自信を持っている。十回勝負してホームランを二本打たれているが、三振も五つ。あとの三つは凡打に打ちとっている。「巨人の中で王さんが一番威圧感を感じるけど、どうしてもかなわない相手とは思えない。巨人打線はブリブリ振りまわしてきますからね。低めへ投げればだいじょうぶでしょう」ナインの中でどこにいるのか目立たたないほどじみな男の口から強気な言葉が出た。半沢に追いついたのでつぎは佐藤進を抜きにかかるのだという。勝負をきめた2打点についてはあっさりしていた。「まぐれですよ。内角のシュートだったけど、バットを短く持っていたのがよかった」内気な性格から打者に割り込んでフリー・バッティングをしたことは一度もない。ぶっつけ本番の一発だった。「おふくろがきょうはみにいきたいといったけど、足が神経痛なのでテレビでみてくれっていってきたんです」ただ一度しか寝たことのない家で待つ母親(長子さん)に王を最初に三振にとった球はまっすぐ、二度目はカーブだったとかえって教えるのが最大の楽しみだという。

五割を割った巨人にまた不幸が起こった。二回二死一、三塁で根来のとき、十七日の練習で突き指した伊藤の左親指から血がにじみ出したのだ。根来四球の満塁で巨人はあわてて城之内をリリーフに送る。しかしこの夜の城之内は疫病神にとりつかれていた。ます石岡に1-2からど真ん中への打ちごろのストレートを投げて中前へ先制の2点タイムリー。守っては三回、広岡が杉本の遊ゴロを一塁へ高投した無死二塁で小淵の送りバントを一塁へ暴投した。一塁線へきわどくころがったこの打球を城之内は「きれる」と判断したようだが、ボールはわずかにライン内でとまった。浮き足立っているときだけにこれはショックだ。杉本がかえる。小淵二進のあと豊田にも二塁左を抜かれて国鉄に4点目を与えた。切れのいいスライダーで一回二死後の坂崎から二回王、船田と連続3三振をとった石岡はこれでさらに余裕を持った。三回二死から柴田、塩原に連安打された一、三塁もゆうゆうと切り抜ける。秋天は石岡のプロ入り初のシャットアウトがなるかどうかにしぼられた。回を追ってスローカーブがさえ、低めいっぱいにみごとに決った。巨人は1㍍81の長身から投げおろす球の角度にまどわされた。六回トップの柴田が左中間を抜いた無死二塁も点にならない。石岡が最後のスリルを感じたのは、八回一死後、代打国松が打ちあげた右翼大飛球だ。しかしこのホームラン性の当たりも逆風に押しもどされてヘイぎわで別部のグローブへすいこまれた。国鉄が九回根来の右翼線三塁打でダメを押すと、その裏一塁コーチス・ボックスにもう川上監督の姿はなかった。長島を欠いてから巨人は一度も勝てずに4連敗。石岡は六月二十四日の対阪神戦以来二十四日ぶりの2勝目を完封でかざった。

六回、王がこの試合二度目の三振をしたが、2-1からの内角カーブをから振りしたとき、王のヘルメットは二度もうしろへとんでしまった。ということは、からだの中心線がぐらついて、しかも大振りしている非常に悪い状態だ。新人にひねられてたまるものかという気持ち、これがリキみになり大振りにつながっていた。石岡は金田を右投手にしたように背が高い。しかも純粋のオーバーハンドで球は速い。ボールに角度があり、とくに打者にとっては高めのボールがストライクにみえるタイプの投手だ。そんなことは巨人の選手も全員知っているはずだが、試合終了後まで同じように高めのボールに手を出し、内外野にフライを打ちあげていた(27アウト中フライが15)巨人のダウン・スイングがから回りしていたということである。石岡はまず速球と、ゆるい大きなカーブでカウントをかせぎ、勝負球は速球と、速い小さなカーブで攻めていた。石岡にしてみれば、ストライクをとりにいく大きなカーブをねらわれたら、かなり苦しんだに違いない。ところがそのカーブをほとんど見のがしていたために、次第に調子をあげた。石岡の投球数は百三十四球。そのうちストライクは九十球だった。つまり三球に二球はストライクだったわけ。だからねらい球を各自が決めてかかれば、もっと打てたはずである。
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中井悦雄

2016-12-11 09:35:19 | 日記
1963年

中井は広いスタンドを見わたしてから胸をそらしてマウンドをおりた。やや気どったようなポーズ。「阪神のユニホームを着たばかりのころ、村山先輩に教えてもらったんです。グラウンドに出たら常に胸を張っていなくちゃいかん。大選手になる秘けつはたえず自信を持って胸をそらせることだって。ぼくはこの試合に負けても堂々と胸を張ってマウンドをおりるつもりでした」公式戦二試合目(十八日の大洋二十七回戦)で勝ち星をあげ、三度目の登板で完封勝利。両リーグ研修あけ投手の中で中井だけがすばらしいピッチングをみせている。「公式戦に出たって一つくらいは勝てると思っていました。それでなければプロにはいりませんよ。やれると思ったから阪神にはいった。みんなそうじゃないですか?でもぼくは自分の力をまだ六〇くらいしか出していない。きょうだってカーブがきまらなかったらシュート・オンリーでした。だから2勝したといってほめられてもちょっとピンとこないんです」ピッチングも大胆、しゃべることも不敵。河西スカウトはこのスケールの大きさに目をつけて、強引に関大を一年で中退させたのだという。「きょうは一回を三人でかたづけたとき、三回まではだいじょうぶだと考え、三回が終わったときは六回までいけると思いました。それ以後はもう一点もとられない自信で投げた。大洋?近藤(和)さんを警戒したんだけど、なんだか肩すかしをくった感じだった・・・」中井はとてもルーキーとは思えない口調でしゃべった。中井のからだをよく知っている稲村トレーナーは中井のこれからをこう占う。「はじめて中井のからだにふれたとき、これはいけると思った。優秀な筋肉質で、村山とそっくりのからだなんだね。一日休めば調子が悪く、逆に投げれば投げるほどエンジンがかかっていくタイプだ。来年は村山、中井の二人の投手で阪神はまた強くなるんじゃないかな。まじめな性格だし、人一倍負けずぎらいだし、大投手になる要素はすべて持っているといっていい」三十五年夏の甲子園に大鉄高の投手として出場、近鉄・土井とは同級生。そして、お互いにものすごいライバル意識をもやしている。ウエスタン・リーグでは13勝1敗でハーラー・ダービーのトップだ。
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米田哲也

2016-12-11 09:16:16 | 日記
1966年

「本塁打はカーブやったな。高かったのでやめようかと思ったが、バットがひとりでに出たんや。一掃してからの左中間安打はまっすぐや」すごい汗だ。カメラのフラッシュを浴びて首筋まで流れ落ちる汗が光る。一イニング二安打はプロ入り初めてだ。勝ち投手になったことより、まずバッティングを楽しそうに話した。六回一死一、三塁で足立をリリーフしたときは自信があったそうだ。ブルペンで米田の球を受けた斎藤克は「いまのヨネさんならそう簡単には打ち込めない」と安心して見ていた。「井石、山崎を連続三振させたのはフォークボール。これでプロ入り16号かな」また本塁打の話に変わった。全選手の引き揚げたロッカー。試合が終わってかなりの時間がすぎたが、汗はふいてもふいてもとまらない。米田は汗の出る季節が好きだ。毎シーズンつゆにはいってムシムシしはじめると白星がどんどんふえる。今シーズンもこれまではまだ勝ち星三つ。だがとんと気にしていない。毎年のことなのでスタートでつまずいても自信があるのだろう。「これからですよ」大きな手で汗を何度もはらった。西宮球場にくる前、いつも浩史ちゃん(一つ)見てもらうかかりつけの医者(西宮・北口)に寄った。なんとなくからだがだるかったそうだ。「先生はぼくの顔色を見るなり、なにしにきたというんだ。元気なものが医者に会いにくるわけがないじゃないの。ちょっとだるいんだといったが、はよう球場に行けと見ようともしない」長年病人を見つづけている先生は体臭でからだの調子がわかるそうだ。診察室にはいってきた米田の体臭に圧倒されたそうだ。「えらいもんやな。ぼくのにおいで体調がわかるんだから。イヌじゃなくってなにかにおいをかいで回る動物があったな」と笑いとばした。ユニホームからムンムンする体臭が鼻をつく。いやらしいにおいではなかった。これで4勝6敗。西本監督は米田のこの日のピッチングをほめなかった。「あれぐらい米田がやるのは当然。おそすぎたんだ」試合前全選手にハッパをかけた小林オーナーは「久しぶるにすかっとした試合を見ましたわ。米田はこれから働きそうでんな」と笑顔で球場を出た。
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