プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

鈴木皖武

2016-12-20 22:13:18 | 日記
1966年

秋山(大洋)小川(中日)杉浦、皆川(南海)坂井(東京)足立(阪急)と、代表的な下手投げ投手をあげると、一つの共通点がある。神経質で胃腸が悪そうでほっそりとやせていることだ。鈴木もこの例にもれない。二十五歳。1㍍71、61㌔。猛暑の八月になって五連投、七連投で、すでに十二試合に登板したスタミナがどこにあるのかと首をかしげたくなる。青白い顔にマーロン・ブランドを思わせるニヒルなまなざしは、およそ野球選手らしくない。だが裸になるとやはり違った。右肩の筋肉がこんもりと盛り上がり、左肩と奇妙なアンバランスをなしている。「体力はないがキヨ(鈴木)のからだのバネは抜群だ。だからあれだけの酷使に耐えられるんだ」と岡本捕手。「酷使なんてとんでもない」と鈴木は笑った。「いまでは登板しないで家へ帰るとなにか忘れものをしたみたいで気分が悪い。さすがに七連投目の日曜日の巨人戦(二十一日、神宮)で、延長十一回に負けて帰った夜はメシがくえず吐いてしまった。そのうえねむれないで弱った。ぼくはもともと夏場には弱かったんだが、ことしは自分でもビックリするくらいタフになった」タフになった理由は飯田監督が説明してくれた。「キヨは去年までコーチの目を盗むようにコソコソと練習をさぼっていたことが多かった。ことしは自分から進んで走っているよ」千代子夫人との間に三月長女直子ちゃんが生まれたことが励みになったのだろうか。それをきくと鈴木は笑った。「ことしはたしかにキャンプからずっと走った。よく運動の基本はランニングにあるというでしょう。だからランニングというのがどれほど効果があるものか一つためしてやろうと思ってやってみた。効果がなかったら来年はやめようかと思ったが、やっぱり効果はありました」土居高三年のとき、グラウンドに土を運ぶ作業中土砂くずれで左骨盤を骨折、約束されていたノンプロ伊予銀行入りがダメになった。「それなら一つプロでやってやろう」とオリオンズのテストを受け、最後の二人まで残ったが落とされた。当時監督だった別当薫氏は「まったくおしいことをした」といまでは残念がる。ノンプロ東鉄での三年間の実績が認められ国鉄(現産経)入りしたのが五年前。いまでは巨人キラーといわれるまでになった。しかし巨人キラーはいまにはじまったことではない。プロ入り初勝利が巨人戦。二十日の対巨人十六回戦(神宮)の白星がプロ入り13勝目で、そのうち7勝が巨人からだ。「巨人は去年も小川によくやられたし秋山にも弱い。左投手と同じで下手投げにも弱いのはたしかだ。キヨにはそのうえ球威がある。それで真っ向から勝負に出るからONにも打たれんのや」と中原コーチはいう。「ONさえ押えればあとは中日よりこわくない」という鈴木の自信もあるだろう。だがいまは巨人に強いということより、やっと一人前のプロ選手になれたことを喜んでいる。「なんでも一番になってやろうと思っていた。これで登板数(四十八試合)が板東さんを抜いてトップになった。防御率もいい。チャンスだからことしは防御率十傑をねらいたい。登板数も去年の宮田さん(巨人)の六十九試合を抜いてみたいな」ちっちゃなからだにでっかい望み鈴木の出番はまだまだへりそうもない。
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池田英俊

2016-12-20 20:48:52 | 日記
1966年

宿舎中島旅館(下関市阿弥陀寺町)をでる前、体温をはかったら三十八度近くあったそうだ。新潟、秋田遠征(対産経戦=五月三ー五日)でひいたかぜがこじれて、コンディションは最低。試合前「三回でKOされるよ」とマウンドに向かった。しかし大洋はまた池田にひねられた。林のホーマーで三試合連続シャットアウトだけは免れたが、わずか三安打。まるでヘビににらまれたカエルのようだった。試合後の池田はやはり疲れがどっと出たといった顔つき。試合前と同じようにバスタオルを首に巻き、その上からウインドブレーカーを着るとボツリボツリと口を開いた。「六回ごろが一番しんどかった。しかし味方が3点先取してくれたし、八回の大量追加点で大洋にあきらめムードが出たので助かった」「かぜでからだがきつかったが、ほかの投手が巨人戦(十一、十二日)で投げつくしているし、前から登板予定だったので、四、五回まではなんとかがんばろうと思った。風があんなふう(左から右へ6・8㍍)だったので、シュートをかなり使った。それにスライダーもよかったね。林にホームランされたのはフォークボール。コースが真ん中寄りだったが、うまく打ったよ」対大洋戦の連続無失点をストップされた林のホームランでは、相手をほめてニヤニヤした。池田は昨年も大洋から6勝をあげているが、大洋に強いわけは自分でもわからないそうだ。「ただ大洋は大振りする打者が多い。ぼくはコントロールを身上にする投手。そのあたりになにかの原因があるのではないか」捕手の田中も池田の言葉を裏づける。「振りまわす大洋のバッターが、針の穴を通すようなコントロールの池田を打てるはずがない」この絶妙のコントロールは福岡高時代の基礎練習でつちかわれた。当時の監督だった前川さんが、三カ月間も投手板の2㍍も前から毎日投げさせ、一にも制球、二にもコントロールを強調した。池田は当時をふりかえって「いまぼくのコントロールがいいのは前川さんのおかげですよ。あのときは直球とカーブ以外の変化球は投げさせてくれず、おもしろくないと思ったがね」前日下関球場で練習後「初めて投げる球場だから、マウンドの下調べをしておかねばね。いきなりマウンドに立って高低が激しかったりすると、コントロールを狂わすからね」ただいまの首位の広島を引っぱる役のヒーローは、せん細な神経のもち主でもある。
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