1970年
入谷正典が明大からプロ野球入りしたのは昭和二十六年の暮れである。彼のもとへ多くのプロのスカウトたちが交渉にやってきた。どのスカウトも、彼が平凡なサラリーマンになれば、とても手にすることもできないような契約金を提示した。そして、彼が選んだのが巨人だった。彼がプロに目をつけられはじめたのは、明大の学部にあがってからであった。旧制大学の最後の卒業生であった彼は、予科時代にはそれほど目立った存在ではなかった。杉下がプロ入りしてから、彼はにわかに脚光を浴びはじめた。おそろしく長い指先から、きゃしゃな体からは想像もつかぬほど速い球を投げた。彼が下手投げという変則投法を身につけたのは、学部の三年になってからである。その年の春、練習中に右ヒザに強い打球を受けた彼は、ひと月あまり入院しなければならなかった。退院したとき、彼は左右の足の太さが十センチほどちがうことを知ってガク然とした。軸になる右足が細くては、投球の際に必要な蹴りがじゅうぶんでなくなる。かつての速球は彼の右腕から消えてしまった。肩の肉も入院生活ですっかり落ちている。やむなく、彼は下手からの速球に活路を見出そうとした。やってみると、思ったより球が走った。(まだ野球がつづけられる)そう思うと、涙の出るほどうれしかった。試合にさえ出られれば、どんなフォームでもいいのだ。彼は懸命に下手投の投法を工夫した。かなりスピードもついてきたし、キレのいいスライダーも出るようになった。なによりの強味は、落ちる球が投げられることであった。長い人さし指と中指の腹をじゅうぶんボールに密着させ、上からきりつけるようにしてはなすと、打者の手もと近くへいって急に沈んだ。たいていの打者は空振りか凡ゴロを打たされるのだった。右ヒザの負傷から一時は採用を断念しかけた巨人も、みごとなカムバックぶりを見て、ふたたび彼に誘いの手をのばした。当時の巨人の投手陣といえば、別所、大友が強力な軸になっていた。別所は本格派だが、大友は下手からの速球と変化球を身上としていた。巨人は第二の大友を狙って、入谷に目をつけたのである。巨人にとって、彼は期待の新人投手であった。しかしナインのすべてが彼を歓迎してくれたわけではなかった。理由の第一は、彼が大学出であることだった。チームの主力選手の中で、大学卒といえば数えるほどしかいなかった。旧制中学を出て、汗と涙でようやくレギュラーの座にたどりついた、文字どおり叩きあげの古強者ばかりだった。そんな中へ、東京六大学出身という花やかなうたい文句をひっさげて入団してきたルーキーに、彼らが暖かい目を向けるはずもなかったのである。ただひとり、大学の先輩だった藤本英雄だけが、なにかと言葉をかけてくれるのが唯一の救いだった。「おまえ、いつの間にそんな投げ方になったのだ」負傷から投法を変えたことを知らなかった藤本は、はじめて入谷のピッチングを見たとき、驚いてそう言ったが、チームになじめずに戸惑っているこの後輩にたえず気を配ってくれるのだった。
入谷正典が明大からプロ野球入りしたのは昭和二十六年の暮れである。彼のもとへ多くのプロのスカウトたちが交渉にやってきた。どのスカウトも、彼が平凡なサラリーマンになれば、とても手にすることもできないような契約金を提示した。そして、彼が選んだのが巨人だった。彼がプロに目をつけられはじめたのは、明大の学部にあがってからであった。旧制大学の最後の卒業生であった彼は、予科時代にはそれほど目立った存在ではなかった。杉下がプロ入りしてから、彼はにわかに脚光を浴びはじめた。おそろしく長い指先から、きゃしゃな体からは想像もつかぬほど速い球を投げた。彼が下手投げという変則投法を身につけたのは、学部の三年になってからである。その年の春、練習中に右ヒザに強い打球を受けた彼は、ひと月あまり入院しなければならなかった。退院したとき、彼は左右の足の太さが十センチほどちがうことを知ってガク然とした。軸になる右足が細くては、投球の際に必要な蹴りがじゅうぶんでなくなる。かつての速球は彼の右腕から消えてしまった。肩の肉も入院生活ですっかり落ちている。やむなく、彼は下手からの速球に活路を見出そうとした。やってみると、思ったより球が走った。(まだ野球がつづけられる)そう思うと、涙の出るほどうれしかった。試合にさえ出られれば、どんなフォームでもいいのだ。彼は懸命に下手投の投法を工夫した。かなりスピードもついてきたし、キレのいいスライダーも出るようになった。なによりの強味は、落ちる球が投げられることであった。長い人さし指と中指の腹をじゅうぶんボールに密着させ、上からきりつけるようにしてはなすと、打者の手もと近くへいって急に沈んだ。たいていの打者は空振りか凡ゴロを打たされるのだった。右ヒザの負傷から一時は採用を断念しかけた巨人も、みごとなカムバックぶりを見て、ふたたび彼に誘いの手をのばした。当時の巨人の投手陣といえば、別所、大友が強力な軸になっていた。別所は本格派だが、大友は下手からの速球と変化球を身上としていた。巨人は第二の大友を狙って、入谷に目をつけたのである。巨人にとって、彼は期待の新人投手であった。しかしナインのすべてが彼を歓迎してくれたわけではなかった。理由の第一は、彼が大学出であることだった。チームの主力選手の中で、大学卒といえば数えるほどしかいなかった。旧制中学を出て、汗と涙でようやくレギュラーの座にたどりついた、文字どおり叩きあげの古強者ばかりだった。そんな中へ、東京六大学出身という花やかなうたい文句をひっさげて入団してきたルーキーに、彼らが暖かい目を向けるはずもなかったのである。ただひとり、大学の先輩だった藤本英雄だけが、なにかと言葉をかけてくれるのが唯一の救いだった。「おまえ、いつの間にそんな投げ方になったのだ」負傷から投法を変えたことを知らなかった藤本は、はじめて入谷のピッチングを見たとき、驚いてそう言ったが、チームになじめずに戸惑っているこの後輩にたえず気を配ってくれるのだった。