1958年
一昨年本大会で室蘭(富士鉄)を相手に一試合77球という大会最小投球数の新記録を作り、ワンヒットに押さえた井投手はがぜん中央球界の注目をひいたが、その井投手が昨年の不振から脱し見事にカムバックして名古屋を1安打、1四球のシャット・アウトに押さえて二瀬勝利の原動力となった。サブマリン村上と併用するこの二瀬の投手陣は一方の井が正統派なら、村上は老練の下手投げとあって好対照をなしていたが、昨年は村上が強豪高砂(鐘化カネカロン)を相手に都市対抗史上空前の完全試合を成しとげ、今年は井投手の働きの年となって二度目のワン・ヒット・ゲームを記録した。ワンヒット・ピッチングは都市対抗ではこれで七回目であるが、そのうち二回を一人で記録したのだからたいしたものだ。スラリとした長身から投げおろす投球は打者を威圧するほどのすご味はないが、外角低目へ小気味よくきめるスライダーと小さいが鋭く割れて球速の変わらないアウドロとは全く非凡であり、名古屋は四回まで無安打、五回辛うじて内海が左越え二塁打を見舞ったが、この一本のみに押さえた。アッパレというほかあるまい。二瀬濃人監督は「彼は昨年ヒザを痛め踏ん張りがきかなくなったので不調をかこったが、今年はこれも治り右足首をねんざしたケガも大分回復したのでご覧のような元気な姿で現すことができた」といっている。井投手も「そうですね。やはり一昨年はこわいもの知らずで無心に投げていたのが成功していたが、本物ではなかった。今年が勝負の年ですよ」と割り切っており「こんど当たる熊谷ー拓銀の勝者もあまりこわい相手ではないのでさらにがん張りたい」と次の一戦へ闘志を燃やしていた。20才、業務課資材係勤務。