1973年
北陽時代
江川(作新学院)の爆発的な人気に押されてあまり目立たないが、近畿でナンバーワンの折り紙をつけられているのが有田だ。三年生が抜け、二年生主体の新チームになった昨年九月から十九試合に登板。完封3、無四球試合2、防御率は0・63というみごとな成績を残している。武器は伸びのある速球とブレーキの効いたカーブ。ライバルの和歌山工・吉川監督が「コントロールが実によく、実戦向きの投手。私は江川よりも買っている」とはっきりいつのもこの有田だ。「江川、江川と騒がれてますが、ぼくは気にしてません。勝つ自信はあるからです」東のナンバーワン江川とのぶつかり合いは、すでに今大会の大きな話題を集めている。だが、こんなエースをじっと見つめながら北陽・高橋監督はいった。「よくここまで立ち直ったものだと思う」右鎖骨骨折ー。有田が思いもかけないアクシデントに見舞われたのは、一年生の四月だった。外野飛球を追っていて転倒、右肩をはげしく地面に打ちつけた。十日間でベッドを抜け出したが、ギプスのはまった右肩は動かすこともできない。「もう二度と投げられないでしょうね・・・」と有田に聞かれるたびに、松岡部長はいたたまれなかったそうだ。小さいころから家庭的にも恵まれなかった。春木小学五年のとき、父親豊吉さん(67)が肝臓炎、母親とめ子さん(61)が神経障害で相ついで入院、いまだに闘病生活を送っている。学校にも、姉(智枝子さん)の嫁ぎ先から通った。たまらないさびしさをまぎらわしてくれる野球だけが生きがいだった。高橋監督はいう。「カムバックを半分あきらめながらも、毎日グラウンドにきてはたったひとりで走っていた。そして、丸一年間を棒に振ったあとついに立ち直ったんです。ムリをさせないため上手投げをスリークォーターに直したのも、コントロールをつけた点では大成功でした」自分の力だけで逆境を乗り切った自信を胸に、甲子園へ乗り込む有田。ささやかな願いは、病室のテレビを通して両親に、江川との堂々たる投げ合いを見てもらうことだ。
北陽時代
江川(作新学院)の爆発的な人気に押されてあまり目立たないが、近畿でナンバーワンの折り紙をつけられているのが有田だ。三年生が抜け、二年生主体の新チームになった昨年九月から十九試合に登板。完封3、無四球試合2、防御率は0・63というみごとな成績を残している。武器は伸びのある速球とブレーキの効いたカーブ。ライバルの和歌山工・吉川監督が「コントロールが実によく、実戦向きの投手。私は江川よりも買っている」とはっきりいつのもこの有田だ。「江川、江川と騒がれてますが、ぼくは気にしてません。勝つ自信はあるからです」東のナンバーワン江川とのぶつかり合いは、すでに今大会の大きな話題を集めている。だが、こんなエースをじっと見つめながら北陽・高橋監督はいった。「よくここまで立ち直ったものだと思う」右鎖骨骨折ー。有田が思いもかけないアクシデントに見舞われたのは、一年生の四月だった。外野飛球を追っていて転倒、右肩をはげしく地面に打ちつけた。十日間でベッドを抜け出したが、ギプスのはまった右肩は動かすこともできない。「もう二度と投げられないでしょうね・・・」と有田に聞かれるたびに、松岡部長はいたたまれなかったそうだ。小さいころから家庭的にも恵まれなかった。春木小学五年のとき、父親豊吉さん(67)が肝臓炎、母親とめ子さん(61)が神経障害で相ついで入院、いまだに闘病生活を送っている。学校にも、姉(智枝子さん)の嫁ぎ先から通った。たまらないさびしさをまぎらわしてくれる野球だけが生きがいだった。高橋監督はいう。「カムバックを半分あきらめながらも、毎日グラウンドにきてはたったひとりで走っていた。そして、丸一年間を棒に振ったあとついに立ち直ったんです。ムリをさせないため上手投げをスリークォーターに直したのも、コントロールをつけた点では大成功でした」自分の力だけで逆境を乗り切った自信を胸に、甲子園へ乗り込む有田。ささやかな願いは、病室のテレビを通して両親に、江川との堂々たる投げ合いを見てもらうことだ。