プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

有田二三男

2017-11-19 20:37:50 | 日記
1973年

北陽時代

江川(作新学院)の爆発的な人気に押されてあまり目立たないが、近畿でナンバーワンの折り紙をつけられているのが有田だ。三年生が抜け、二年生主体の新チームになった昨年九月から十九試合に登板。完封3、無四球試合2、防御率は0・63というみごとな成績を残している。武器は伸びのある速球とブレーキの効いたカーブ。ライバルの和歌山工・吉川監督が「コントロールが実によく、実戦向きの投手。私は江川よりも買っている」とはっきりいつのもこの有田だ。「江川、江川と騒がれてますが、ぼくは気にしてません。勝つ自信はあるからです」東のナンバーワン江川とのぶつかり合いは、すでに今大会の大きな話題を集めている。だが、こんなエースをじっと見つめながら北陽・高橋監督はいった。「よくここまで立ち直ったものだと思う」右鎖骨骨折ー。有田が思いもかけないアクシデントに見舞われたのは、一年生の四月だった。外野飛球を追っていて転倒、右肩をはげしく地面に打ちつけた。十日間でベッドを抜け出したが、ギプスのはまった右肩は動かすこともできない。「もう二度と投げられないでしょうね・・・」と有田に聞かれるたびに、松岡部長はいたたまれなかったそうだ。小さいころから家庭的にも恵まれなかった。春木小学五年のとき、父親豊吉さん(67)が肝臓炎、母親とめ子さん(61)が神経障害で相ついで入院、いまだに闘病生活を送っている。学校にも、姉(智枝子さん)の嫁ぎ先から通った。たまらないさびしさをまぎらわしてくれる野球だけが生きがいだった。高橋監督はいう。「カムバックを半分あきらめながらも、毎日グラウンドにきてはたったひとりで走っていた。そして、丸一年間を棒に振ったあとついに立ち直ったんです。ムリをさせないため上手投げをスリークォーターに直したのも、コントロールをつけた点では大成功でした」自分の力だけで逆境を乗り切った自信を胸に、甲子園へ乗り込む有田。ささやかな願いは、病室のテレビを通して両親に、江川との堂々たる投げ合いを見てもらうことだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金本秀夫

2017-11-19 16:00:09 | 日記
1968年

大分県佐伯市の佐伯球場で十九日行われたウエスタン・リーグ、トーナメント第三試合、阪急対西鉄戦で阪急の金本秀夫投手(26)=米子工出=は、ノーヒットノーランを達成した。金本の投球数は131球、三振9、四死球8。なおウエスタンリーグのトーナメントは過去7回行われているが、ノーヒットノーランは初めて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩井活水

2017-11-19 15:15:21 | 日記
二十八年、島田商から入団した岩井。スピードがあったが、すぐ肩を壊した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石川喜理

2017-11-19 14:51:54 | 日記
石川(出雲産高)は小柄ながら大きなカーブを投げた。三年間在籍したが、後半は外野手に転向。「チョロ」のニックネームでみんなにかわいがられていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蔦行雄

2017-11-19 14:48:41 | 日記
蔦は洲本高ー近鉄から入団しためがねをかけた大型投手。近鉄では中堅投手として活躍した。1年いてスポーツライターに転向。いまも活躍している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴木宇成

2017-11-19 14:19:57 | 日記
180㌢、70㌔の本格派左腕投手。速球とカーブに見るべきものがあった。高校時代、各球団にマークされた投手。間もなく肩を壊してやめた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤井勝利

2017-11-19 14:18:00 | 日記
赤井は米子南高出身。当時の投手の型は別所スタイルと大友、長谷川スタイルがあったが、赤井は別所型の本格派投手だった。体もあり、一軍入りも近いと言われていたが、きっかけをつかめないまま三年間でユニホームを脱いだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

永田徹登

2017-11-19 14:14:55 | 日記
永田(松本高)は下手投げの投手。小さな体にムチを打って7、ファームでは立派に通用していた。しかし、球威がもうひとつ乗らず、一軍へのラインを越せなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高橋俊春

2017-11-19 14:05:53 | 日記
1982年

ドラフト外、契約金2500万、右の本格派投手。54年、56年に三菱名古屋、55年に新日鉄名古屋の補強選手として都市対抗に出場している。キャリアがあるだけに即戦力になる可能性十分。

1983年

今季より試合時間の20分延長。中継ぎのふんばりが勝敗に大きく影響することになる。福士の抜けた穴を埋めるのは高橋俊「自分が投げている間には決して点を与えない」首脳陣の期待に応え、一軍でのフル回転が望まれる。

新人ながらショートリリーフとしてよく起用された。勝ち星こそなかったが、その貢献度は認めてやりたい。ことしもリリーフ役が多くなりそうだが、まず1勝が当面の目標。

1984年

広島からの移籍選手。ライオンズの水が姓に合ったのか、生き生きしている。本人はプロ入り3年目の今季が勝負とすごい気迫。昨シーズンこそ登板がなかったものの、1年目は中継ぎで24試合に出場。もともと素質があるだけに開花するチャンス。心機一転思い切って投げてもらいたい。

小林とのトレードで広島から移籍。中継ぎ用の投手だが、昨年は一軍登板がなかった。しかしおととしは24試合も登板している。投手陣豊富な西武で出番はあるか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉江喜一

2017-11-19 13:58:30 | 日記
1966年

ストレートの四球で押し出しの決勝点をとられた塚原吉江投手は、ナインの一番うしろから重い足どりでベンチ裏から引きあげてくると「スクイズを警戒しすぎたんです・・・」としょんぼり。「満塁にされても負けるもんかと自分にいい聞かせてがんばったんですが・・・。きょうはカーブもよく切れたし、調子はよかったんです」ととぎれとぎれの口調でいまにも泣き出しそうな顔。塚原校長兼部長に「すんだことはもうしかたないよ」となぐさめられていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする