1968年
とにかく選球眼がいい。それに俊足、器用なので格好のトップバッター。守っても外野のカネメで副主将をつとめている。「一番うれしかったのはセンバツで名門平安に勝ったとき、苦しかったのは帰ってきてからスランプに陥ったとき」というが、波のないことにも定評がある。「小さいころから暴れん坊だった」そうで闘志をむき出しにするファイター。だがテニスをやっている妹のきみ江さん(与野高1年)とは「めったにけんかはしない」兄妹仲。青果物商の父親喜一郎さんも大の野球狂である。昭和二十六年一月十一日生まれ、十七歳。174㌢、70㌔、与野市与野349。長男。
打、守、走と三拍子そろった好選手、選球眼がよく予選で五試合で12四球を記録している。うってつけの一番バッター。チーム一のファイターでもある。
とにかく選球眼がいい。それに俊足、器用なので格好のトップバッター。守っても外野のカネメで副主将をつとめている。「一番うれしかったのはセンバツで名門平安に勝ったとき、苦しかったのは帰ってきてからスランプに陥ったとき」というが、波のないことにも定評がある。「小さいころから暴れん坊だった」そうで闘志をむき出しにするファイター。だがテニスをやっている妹のきみ江さん(与野高1年)とは「めったにけんかはしない」兄妹仲。青果物商の父親喜一郎さんも大の野球狂である。昭和二十六年一月十一日生まれ、十七歳。174㌢、70㌔、与野市与野349。長男。
打、守、走と三拍子そろった好選手、選球眼がよく予選で五試合で12四球を記録している。うってつけの一番バッター。チーム一のファイターでもある。