1954年
六回阪急は四球のレインズが二盗後、中谷が中前安打する理想的な攻めぶりでリードを奪ったのち奈良、山下が第一球をねらい打つ積極性が連安打となって追加点をあげた。そのあと八番打者の河野がバントに失敗したため離塁した二塁走者が捕手牽制球に刺される不手ぎわで、阪急の集中攻撃は半ばで挫折した。西鉄は四回関口の14号ホーマー(山内(毎)と同数、リーグ首位)で同点としたが、前半アウト・カーブを多投後半変化球と重い球質の原田に目先を変えられて安打なく最終回3安打で1点を返したのみ。
六回阪急は四球のレインズが二盗後、中谷が中前安打する理想的な攻めぶりでリードを奪ったのち奈良、山下が第一球をねらい打つ積極性が連安打となって追加点をあげた。そのあと八番打者の河野がバントに失敗したため離塁した二塁走者が捕手牽制球に刺される不手ぎわで、阪急の集中攻撃は半ばで挫折した。西鉄は四回関口の14号ホーマー(山内(毎)と同数、リーグ首位)で同点としたが、前半アウト・カーブを多投後半変化球と重い球質の原田に目先を変えられて安打なく最終回3安打で1点を返したのみ。